第152話 とんだ流れ弾に当たった。

 執事長の言葉を聞いて、ツァニスは呆れたように一つ大きなため息をついた。

「それはお前たちがセレーネをぞんざいに扱うからだ。本の時もそうだ。聞こえていたぞ」

 あ。やっぱり? あんだけ大声出したら聞こえるわな。


「しかし──」

「忘れるな。セレーネは私の妻だ。つまりセレーネは私と同じ立場の人間なのだぞ。セレーネにするのであれば私にもしろ。私に向かって出来ない事はセレーネにもするな」

 更に言い繕うとしようとした執事長の言葉を、ツァニスがピシャリと切り捨てた。

「それに。セレーネは自分を雑に扱う人間に対しては、誰に対してもなのだ。私に対してだって例外じゃない」

 ……あ。そういえばそうだったね☆ アゴ掴んで色々罵倒ばとうしたね!

「セレーネが強く言い返すのは、そもそも相手が先にセレーネを無意識にせよ雑に扱った時だけだ。そんな事、セレーネの普段の行動を見ていれば分かるであろう」

 え? ツァニス、そんな所まで見てんの? それは知らなかった……ちょっと、気を付けよう。


「では……」

 執事長をはじめ、三人は愕然とした顔でツァニスを見ている。まるで、信じられないものを見ているかのようだった。

「私はセレーネのそういう部分を含めて全て愛しているのだ。以前言っただろう? 私は妻に恋をしたと」

 ホントに言ったの!? マジで!? ちょっ……マジで?? え………………マジで!??

「毅然とした態度、聡明さ、場所に合わせて上品に振る舞えるしたたかさ、何事に対しても変わらぬ公平さ、時々みせるガラの悪さ、そして何より相手に向ける愛情深さ、その全てが私を魅了しているのだ。

 これがたぶらかされるという事であれば、私は喜んでたぶらかされよう。

 私はセレーネを引き留める為に必死なのだ。邪魔をするな」


 立ち尽くす執事たちに対して、ツァニスはりんとした声でハッキリとそう言い放った。


 やめて、ちょっと、聞いていられない。

 顔から火が出そう。もう出てる。きっと出てる。だって顔に沿えた手が火傷しそう。

 でも、ツァニスが掴んだ私の手を放してくれない。


 やめてこんな所でクリティカルヒット連発しないでッ!! っていうか、完全にコレ流れ弾なんですけど!??

 何がヤバイって、ツァニス真顔で真剣に惚気ノロケてる!! しかも本人それに気づいてないッ!!!

 もう立っていられなくなりそうなんですけど!?


 ふと気づいて後ろに視線を向けると、ゼノの護衛さんもメイド長も、野次馬してるメイドたちまで、顔を真っ赤にして顔を抑えていた。

 床に転がされた野盗ですら、目をまん丸にしてこっちを見ていた。


「ツァニス様……もういいです、大丈夫ですよ……」

 私はなんとか彼の腕を掴んで止める。

 物凄く真剣な顔をしたツァニスが振り返って

「何がだ?」

 キョトンとした顔すんな!!! 今自分が何したのか分かってんの!? もしや分かってるんだね!? 分かってて恥ずかしくないタイプなのか!!!

 これだから生粋きっすいの貴族はッ!!! いや私も一応生粋きっすいだけどさっ!


 私は、大きく何度も深呼吸して気持ちを落ち着ける。

 色即是空しきそくぜくう空即是色くうそくぜしき……ヨシ。大丈夫。いけるよ私。まだ大切な事を執事たちに知らしめていない。

 私は最後に一つ鋭く呼吸をして、顔をあげた。

 ツァニスの手の指を解いて彼から手を放し、ツァニスの横に出る。

 愕然とした執事たちに向かって、最後のトドメを刺す為に。

 ……もう、トドメって言うか、追い打ちだけどさ……

 いいとこ持ってかれたァ……くっそう。


「ま、というワケで。

 ツァニス様は私が行っている事を全てご存じだったんですよ。貴方がたは私とツァニス様を舐めすぎです。経験不足の若造どもめ、とでも思っていたのでしょう? 私に対しては更に女だと思ってあなどっていましたね?

 残念でしたね。見えていなかったのは、貴方たちの方であり貴方たちだけなのですよ」

 私は、もう立っている事もギリギリなのか壁に背を預けた執事三人に向かって、背筋を伸ばして毅然きぜんとして言った。

 彼らは、もう言葉も出ない様子だった。聞けよコラ。

「当初は再三再四ご説明しましたが……ご理解いただけなかったようで。まあ私も、途中説明を放棄してしまったのは、少し良くなかったかとは思いますが」

 反省はしてねぇけどな。だって何回言ったって書類渡したって聞く耳を持たなかったのはそっちなんだもん。

 私にだって限界はあらァ。


「まずは、そうですね。貴方がたが散々罵倒した本について。

 あれは家人たちの識字率の確認と、識字率を上げる事が目的だったのですよ」

 私が丁寧な声でゆっくりそう語りかけると、執事たちの顔が少し動く。

「なん……だって?」

 そんな言葉をポツリとこぼした。

 本当に気づいていなかったのか、それともさっきのツァニスの攻撃が効いているのか。どっちか分からないから説明を続ける。

「気づきませんでした? 家人たちが持っている本、同じ内容ですが違うものですよ。全員分ではないですが、そこそこの量が屋敷の中にあります。

 でも、さすがに私一人ではあの量の本を揃える事はできません。

 じゃあ、そのお金、誰から出てると思っていました?」

 ペーパーバックっていったってまだ安くはないし、量を揃えりゃそれなりの金がかかる。

 でも勿論、執事たちは金出してくれない。私もあんまり金はない。

 なら誰が? 答えは簡単。

「私が出したのだ。勿論、屋敷の金ではなく個人のな」

 ツァニスが呆れた顔をして、そう続けてくれた。

 いや、ホントに助かったよ。やりたくっても私に圧倒的に足りないのは『金の力』だったからね。ちゃんと説明したら、ツァニスはポケットマネーを出してくれた。……ポケット、という金額じゃなかったけど。


「なぜ……」

 執事の一人が呆けた顔でポソリとこぼす。

「何故って……あれが教科書だからですよ。文字を学ぶ為の」

 これはマギー発案、アンドレウ公爵夫人サポート。

 どうすればメイドたちが率先して文字を学ぼうとしてくれるか、どんな本ならメイドたちが喜ぶか、選んで決めてくれたのは私以外。いやぁ。バックアップが強力だとこんなにも上手くいくもんなんだね。

「面白い本であれば、読みたいと思うのが当然でしょう? 自分以外がその話に夢中になれば、人に読んで聞かせられるより自分で読みたいと思うようになります。

 その結果、識字が怪しいメイドたちは、自分から自然と文字を学ぶようになりました。思った以上の成果でしたね」

 ちなみに勉強したがったメイドたちに文字を教えたのはクロエ、そして既に文字が読めるメイドたち自身。

 そりゃ、面白い本の話を共有したかったらさ、仲間に教えてくれるよね。これが布教の力というヤツだ!!

 夜に本を読みふけってたメイドがいたっていうのは、文字の勉強してたんだよ。それをとがめて……ホント、本質が見えないって不便だね。


「なぜ……メイドたちの識字率を……?」

 もう完全に顔面蒼白な執事長。そんな彼の言葉に次に応えたのはメイド長だった。

「メイドたちの能力のベースアップをする事は当たり前でしょう? 文字が読めればそれだけ出来る事が増えます。仕事を伝える時だって、いちいち口伝くでんせずメモを回せば、伝言間違いも減りますし、時間の節約になります」

 そんな事にも気づかないのか、そう言いたげなメイド長。

 勘弁してあげて。気づいていたけど気づかないフリをしていたんだよ。

 だってメイドたちが頭良くなったら、自分に歯向かうかもしれないじゃん? それが怖かっただけだよ。

 が、ついでに私も参戦。

「仕事の内容をマニュアル化しても、それが読めなければ意味がありませんからね。マニュアル化する為の事前準備です」

 おかげで、結構識字率は上がって来たよ。まだまだだけど、これからも勉強していけば、そのうちみんな、普通に本やマニュアルぐらいは読めるようになる。


 ちなみに、既にマニュアル化も少しずつ進めていっている。

 しかもさ。メイドの中には絵が上手い子がいてさ、マニュアルに分かりやすいように絵での解説もつけてくれたんだよね。いやぁホント、カラマンリス家のメイドたちは優秀な人材だらけだよ。


 識字率の問題が解決し、マニュアル化で仕事の並列化ができれば、今度はメイドたちそれぞれの持つ資質の確認までレベルアップしていける。

 絵が上手かった子を発掘できたように、今度は数字に強い子をメイドの中から見つけられるかもしれない。

 一番面倒くさい(と、私が思ってる)経理の仕事をその子に回せれば、これほど効率が上がることはないだろう。


「しかし!!」

 何かに気づいたのか、執事長の顔にサッと赤みが差した。

 お? ツッコミ所見つけた?

「そんな勉強などのコストをかけてしまったら! そのメイドたちが辞めてしまった時に赤字になるではないか!!」

 おお、いいとこ気づいたね。

 浅いけど。


 私は眉毛を上げて、執事の顔を微笑みながら見返した。

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