第154話 嵐のような出来事だった。

 ドリス──お前、空気読め。

 この場が見えてないのかよ。


 いや、見えてないんだろうなぁ。

 ツァニスのそばに立つ私も、床に項垂うなだれている執事たちも、呆れた顔をしたメイド長やゼノの護衛さんも、ヒソヒソと話すメイドたちの事も。

 彼女の目には、多分今は、ツァニスしか見えてない。


 ツァニスは、自分の目の前に来たドリスの顔を、いぶかしげに見ていた。

「どうした?」

 ツァニスの困った声。ああ、そうだよね。彼女がなんでここに来たのか分からないんだよね。

 乙女ゲームや歴代の少女漫画の記憶が微妙に残ってる私は、なんとなーく、なんとなーく察したよ。

 あーめんどくさ。帰りたい。戦績を祝ってクロエとマギーとメイド長とあとメイドたちとええと──とにかくみんなで、酒を酌み交わして打ち上げやりたい。


 ホントなら、コイツもメッタメタに論破してやりたいけど……こういうタイプには、暖簾のれんに腕押し、何を言っても無駄なんだよなァ。


 ドリスは、胸の前に両手を組んでツァニスの顔を見上げる。

「今日が、屋敷が変わる日だと聞き及んでおります」

 誰にだよ。

「そんな日でなければ……もう、こんな事を言うチャンスは訪れないかもしれないっ……」

 こんな事ってどんな事だよ。

「ツァニス様……」

 ドリスはそこで一度言葉を切り、目を伏せる。

 再度視線を上げた瞬間、彼女の大きな瞳から、ポロリと一粒の涙が溢れた。

 あー。見える見える。彼女の脳内で、ウルサイぐらいにメロウなBGMが鳴り響き、今まさにスチルに突入する前段階の最高潮の盛り上がりになってるのが。


 誰もが呆れて何も言えない空気の中、彼女は満を辞して口を開いた。


「好きです、ツァニス様……」


 その場が、水を打ったかのように静まり返った。

 やばい。全然関係ない私が、恥ずかしくなってきた! やめて顔から火が出そう!!

 私は耐えられなくて、顔を手で覆って背けた。いたたまれない! いたたまれないよ!!


「あ……そう、なのか。ありがとう」

 ツァニスは、なんか微妙に言いにくそうにそう答えた。ああバカツァニスっ!

「じゃあ……っ!!」

 ドリスの輝きを感じそうな嬉しそうな声。

 ああコレだめ! 完全に勘違いしてる!!

 ホント逃げたい。この場から逃げ出したいっ!

「嬉しい!!」

 弾むようなドリスの声。

 頑張って顔を上げると、ドリスが今まさにツァニスの胸へと飛び込もうとしていた。


 あ──

 ツァニス避けた。


 てっきり受け止められると思っていたであろうドリスが、闘牛よろしくヒラリと身をかわされて床へとドタリと倒れ込んだ。

 ああもうダメ。見てられないっ!! ツライ!!


「え……?」

 ドリスが、ポカンとした顔でツァニスを見上げていた。

 同じくポカンとした顔でドリスを見下ろすツァニス。

 やめて?! ここで解説とかさせないでよ?! 絶対嫌だからね!!!


「なんで……?」

 なんとか床から立ち上がったドリスが、受け止めてくれなかったツァニスを疑問顔で見る。

 ツァニスも、なんで突然ドリスが突進してきたのか分からないようで、同じく疑問顔をしていた。


 あー……もう。勘弁してよ……

「ドリス、貴女は何しにここに来たのです?」

 頭痛い。頭痛い。マジ頭痛い。でも我慢して、私は頭を抑えつつドリスに尋ねた。


「え……? 奥様? ええと、だって、今日は、その……」

 その、なんだよ。

 執事たちから『奥様が離縁される日』とか言われてたか?

 だから、告白するなら今日とか思ったんだろ。焚き付けられたな、執事たちに。

 踊らされてたんだよ、お前は……

「私は離縁されませんよ……」

 私は痛む額をさすりながら答えた。

 だからこの空気を見ろって。

 そんな空気か? 違うだろ?

「え? そんな……ツァニス様。私、愛人はちょっと……」

 ああもうやめてこれ以上喋らないで察して!!


 この空気の読めなさ……ドリス、今まで私にしでかしてきた事、ホントに天然でやらかしてたんだな……コワっ……

「愛人? 何を言っているのだ」

 ツァニスはずっと疑問顔。

 お前も察しろ。好きだって言われたろ?!

 ラノベの鈍感系主人公かよ!!

「え?」

「え?」

 やめて二人して。そこまで私に言わせんのかよッ……!!!


「ツァニス様、貴方は今ドリスに愛の告白をされたんですよ。

 ドリス、ツァニス様は貴女の好意を恋愛感情ではなく『人として』という意味で取ったんですよ」

 なんで私が他人の気持ちの解説せにゃならんのっ!! なんの拷問だよ!!!


 私の解説に、二人の顔がみるみる変わっていく。

 ツァニスは青ざめ、ドリスは真っ赤になっていく。


「何故そうなる?!」

 やっと理解したツァニスが、慌てふためいてドリスから距離を取った。

 ドリスはドリスで、こっちも慌てふためいて首を横にブンブン振っていた。

「だってツァニス様! 剣を振るうのはホントはハシタナくて恥ずかしいって言ったら、『そんな事はない、私は好きだ』って!!」

 あー……やだ。いたたまれない。

「あれはお前の事ではない! セレーネの事だ!!」

 やめてここで名前出さないでっ……


「それに! 剣を交えるのは楽しいって!」

「アレもセレーネの事だ! セレーネとこうして剣を交えたら、さぞかし楽しいだろうなと!」

 やめてホントもうやめて。


「アティ様の事だって! 助けて差し上げたいと言ったら、任せろと!」

「アレは私がなんとかするという意味ではない! セレーネに任せておけばいいという意味だ! 余計な口出しをするなと!」

 コミュ下手同士のやり取りってこうなの……? こんなに綺麗にすれ違うモンなの……? なんか下手なコント見せられてる気分……


「馬に乗った時だって、三人でまた走りたいって……!」

「お前とではない! セレーネとアティの三人だ!!」

 ツァニスも悪いよ……言葉が足らな過ぎ……


「え……じゃあ、私を受け入れて、アティ様のお傍に置いてくださったいたのは……」

「受け入れた? 違うぞ。私は何も言っていない。勝手にお前が現れるようになっただけだ。セレーネが何も言わないので、私も黙っていただけに過ぎない」

 あー。だろうね。多分、ドリスは執事たちに『ツァニスに許可された』って言われてたんだろ。

 執事たちは、私に似た素質を持ってる若い女をアティのそば──ひいてはツァニスのそばにおけば、勝手になびくと思ったんだ。ツァニスの事、そして私の事舐め過ぎだよ……


 私は、ドリスが大した害にならないと思って放っておいただけ。

 それがアティにとってあんだけ悪影響を与えるとは思わなくって。

 だってまさか、マギーやサミュエルを差し置いて、勝手にアティにアレコレ吹き込むとは思わないじゃん!!

 アティの為を思ってたら、そんな事しないじゃん!

 ……甘かった。

 世の中には、子供への責任がない事をいい事に、勝手気ままに甘やかす人間がいるんだって事をさ、忘れてたよ。


 ドリスは、アティの為を思っていたんじゃない。ツァニスに気に入られたいから、アティを甘やかして自分に懐かせたかっただけだ。

 だからゼノに対してあんな塩対応してたんだろ。ゼノは最初から眼中になかったのだ。


 で、エリックは公爵嫡男であるから甘やかし、イリアスに対してはどうでも良かった。

 多分、ドリスは知らないんだよ、イリアスが宰相家の嫡男だって。多分、エリックの側仕えのただの子供だと思ってたんだろ。


 ホント……いたたまれない……なんだか私が恥ずかしくて。

 しかも、こういうタイプには何を言っても無駄。自分のダブルスタンダードに気づいてないし、どう言っても気づかないから。

 コイツは論破しても意味がない。っていうか、今それよりも恥ずかしい目に遭ってるし……


 やっと状況を飲み込めたのか、ドリスは目に涙を溜めて、ゆっくりフルフルと首を横に振る。

「そんなっ……」

 そして、ジリジリと後ろへと下がっていく。

「酷い! ツァニス様! だましてたなんて!!」

 ハァッ!? 何言ってんのっ!!?

 騙してたのはツァニスじゃなくて執事たちだよ!?

 お前、ホント都合の良いトコしか脳内に残んないんだな?!

「こんな酷いところにっ……! もういられないっ!!」

 いや?! そもそもこの談話室に乱入してきた事自体間違いだからな?! 最初から場違いですけど?!!


 ドリスは一人、突然悲劇のヒロインになりながら、談話室を走って出て行った。

 ちなみに、談話室の入り口にドリスが突入した瞬間、メイドたちが綺麗に左右に割れたよ。あー。メイドたちのあの態度で察し。

 もともとああいう子だったんだなァー。


 多分、シンデレラストーリーに憧れてたんだろうな。不遇に耐えて色々な事を頑張って努力すれば、いずれ王子様に見染められてハッピーエンドって。


 男爵令嬢であるにも関わらず、洗濯婦をしていた事から彼女の家の財政事情は察せられる。

 しかし彼女は望むがまま、知らないうちに与えられてきたんだ。剣を習わせてもらい、馬も習わせてもらった。

 恐らく彼女の家は無理をしてでも、彼女の教育にはお金を惜しまなかったんだ。

 そんなの、不遇でもなんでもない、むしろ幸せな境遇だ。

 でも、その教育を仕事に活かせなかったんだなァ……与えられる事に慣れすぎてて、自分から求めに行かなかったからだよ。

 ……これもいい自戒になる。アティはああならないようにしよう、うん。


 嵐が去った後のように、ドッと疲れた空気が談話室に流れた。

 やっと終わった。たぶん、これで本当に終わった。

 終わってて。お願い。今度は別の人間が乱入してくるとかヤメてよ……?


 私は、気怠い空気になりつつある談話室の中で、ただひたすらその事を祈り続けた。

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