第155話 最後の難関が待っていた。

 執事たちは本当に翌日には屋敷を叩き出された。

 同時にドリスも。……彼女の場合、勝手に荷物をまとめて出て行っただけだけどね。

 捕まえた強盗たちは警ら隊に引き渡したし。

 やっと平穏な屋敷が戻って来た。


 ──と、言いたいころだったけど。

 私にとっては、執事たちの事よりもドリスの事よりも、もっと重大な問題が残されていた。


 アティとの事。


 これが一番頭が痛い……そして物凄く難しい問題。

 叱った事はなかった事にはしたくないし、だから何もなかったという顔はしたくなかった。今まで通りにしたかったけど、でも流せない。

『これは、アティと私の間の大切な事』

 その理解をお互いに持って接したかった。


 が。私自身も結構ダメージが蓄積しているみたいで、アティに今までのような屈託のない笑顔を向ける事ができなかった。

 できるだけいつも通りに振る舞ってはいたけれど。

 どうしてもアティからの距離を感じてしまっていた。

 どうしたら……いいんだ。


 そう悩んでいたある日の事だった。


 午後のお茶の時間に呼ばれ、庭の方へと出た時の事。

 庭に出た瞬間、東屋の前に立っているアティたちの姿が目に飛び込んできた。

 アティの両脇には、ゼノとニコラがいる。

 ツァニスと、サミュエル、マギー、護衛くんたち──大人たちは、少し離れた所で子供たちの事を見守っていた。

 東屋の方へと歩いて行く私に向かって、アティとニコラとゼノが直立不動で待ち構えてる。

 ……なんで?


 私は子供たち三人の前までたどり着く。

「遅れてしまいましたね。ごめんなさい」

 私が苦笑いを浮かべながらアティを見たが、アティは手をモジモジとさせて俯いているだけ。

 うわぁ、どうしよう。やっぱり私の事、嫌いになっちゃったかな……

 私とアティ、お互いに言葉を失ってただその場に突っ立っている事しかできなかった時

「ほら、アティ」

 ゼノが、ポンとアティの背中を押した。

「アティ大丈夫だよ」

 ニコラも、アティに向かってニッコリと笑いかける。


 その声に押されてか、アティが私を上目遣いに見た。可愛い。

「おかあさま……」

 物凄く消え入りそうな小さな声。

 何度も視線を地面と私を行ったり来たりさせる。

 私は、その場に膝をついてアティの視線に合わせる。そして彼女からの言葉を待った。

「あのね……」

 頑張って言葉を絞り出すアティ。

「ルーカスにね、ごめんなさいしたよ……」

 アカーーーーーーン! 胸がギュっとなって心臓麻痺起こしそう!!

 そうなのアティ! ちゃんとルーカスに謝ったんだ! 偉いぞアティ!!

「アティ、ルーカスばかじゃないっておもってるよって」

 だよね! 知ってたよ! 本当はそんな事最初っから知ってたよ!!

「ルーカスいじわるしてないってしってるよって……」

 段々と目に涙が溜まっていく。

 そうなんだ、そうなんだ、ちゃんと自分が言った事、その時思ってた事とか、ちゃんとルーカスに伝えられたんだね! アティ凄いよ! アティ天才だよ!! アティ天使過ぎるよ!!!

「そしたらね、ルーカスいいよって」

 そっか! ルーカスとは仲直りできたんだね! 良かったね!

 あ、後ろでルーカスが顔伏せてる。思い出し泣きしてるな。

 分かるよ、アティからそんな事言われたら泣いちゃうよね。


「だからね……」

 アティの大きな菫色ヴァイオレットの瞳から、ボロボロと涙が零れ落ちて来た。

「アティのこと……きらいにならないで……」

 ハァ!?

「私がアティの事を!? 嫌いになるわけないじゃない!!」

 何言ってんのアティ!?

「ドリスがね……アティがルーカスにばかっていうわるいこだから、おかあさまがおこるんだって……きらいになっちゃったんだって……」

 あのクソ女! 今から八つ裂きにしに行ってやろうかっ!!!

 パズルも真っ青ってぐらいバラバラに刻んで豚の餌にしてやらァ!!!


「おがあざまごめんなざいっ……」

 可愛い顔を真っ赤にグッチャグチャに歪めたアティが、涙と鼻水を流しながらそう謝罪の言葉を絞り出した。

 私はたまらず、速攻でアティの身体を抱きしめる。

 いつもだと出来るだけ優しく抱きしめていたけど、感情が溢れて来てできなかった。アティの身体を強く強く、ギュウっと抱き締めた。

「私はアティを嫌いになっていません。悪い子だとも思っていません。アティの事が凄く凄く大好きです。大好きなままです。ずっと変わっていませんよ」

 アティはいい子。凄くいい子。優しくて行動力もあってちょっと我が強くて。愛しくて愛しくて堪らない子。私の宝物。


「ゼノっがねっ……アティきらいになってないってっ……いってたっ……!」

 そうなの? ゼノがそんな事を言ってくれたの?

「ニコラっもっねっ……だいじょうっぶってっ……」

 そうなんだ、ニコラも励ましてくれたんだ。

「でもアティごわがっだのっ……」

 マジで!? 私の剣幕ヤバかった!? 冷静だったつもりだったけど……そっか……

「おがあざまにぎらわれだって! おもっだがらっ!」

 そっちか!

「ごめんなさいね。その場で言えばよかったね。アティの事は嫌いじゃないよ。アティはアティだから、嫌いになんかなれないよ。だって大好きだもん。ずっと大好きだもん」

 やばい。私も涙我慢できないっ!!

「私も強く言ってごめんなさい。今度はもっと、アティに分かるように伝えるからね」

 もっと、ちゃんと、アティが怖がらないように、耳を傾けられるように、アティが分かるように伝えるからね。ごめんねアティ。

「おがあざまっ……すきなの……」

「私も。アティの事が大好き」

 アティの頭に自分の頬を擦りつけた。

 良かった。仲直りできた。本当に良かった。


 私はふと視線を上げて、そこに立つゼノとニコラの顔を見上げた。

「二人とも、ありがとうございます」

 ドリスからの言葉を否定してくれたのは、二人だったんだね。

 二人に助けられちゃった。子供だと思っていたけど、なんだかんだで二人ともしっかりしてる。

 私の言葉に、ゼノは恥ずかしそうに顔を歪め、ニコラはニコニコとほほ笑んでいた。

「だって、セレーネ様だし……」

 ゼノがポソリとそう呟く。

「セレーネ様、大丈夫って言ってたから」

 ニコラも微笑みながらそう伝えてくれた。

 子供って、本当によく状況を見てる。そして成長早いな。

 思った以上に早く、私なんか出る幕がなくなってしまうかもな。


 少し離れた所に立つ大人たちの方にも視線を向けた。

 ツァニスはほほ笑んで私たちの事を見ていた。マギーは顔に手を当てて俯いている。サミュエルもあらぬ方向へと視線を向けていた。

 ルーカスはまだ男泣きしており、ゼノの護衛さんに肩を叩かれていた。


 私は、大人や子供関係なく、色んな人にバックアップされて生きてるな。生かされてる。

 そしてアティも。沢山の人に愛されて、ちゃんと真っすぐ育ってる。

 時には悪い意図がアティに囁きかけてくるけど、その場に私がいなくても、ちゃんと他の人たちがアティを助けてくれている。

 良かった。本当に良かった。


 私は、その場にいる人間、そして屋敷の中からこっちの様子を見ているであろう家人たちに向かって、心の底から感謝の気持ちを送った。


 ***


「書庫の解放?」

 ツァニスの執務室にて。

 執事のサポートがなくなったので、色々自分でやらなければならない事が増えたツァニスが、机にかじりつきながらも返事をした。

 開け放たれた窓からは、秋の午前中の涼しい風がささやかに吹き込んできている。

 しかし、その空気に冬の匂いを感じた。そろそろ寒くなりはじめるんだろうな。


「はい。カラマンリス邸には大きな図書室がありますから。それを家人たちに開放したいのです。いつでも勉強できるように。

 あ、でも貴重な本等は鍵のかかる別の部屋で保管しておいて。解放するのは、家人たちが読んでも構わない本ですよ」

 折角、メイドたちに勉強意欲の火種を撒けたのだ。これを絶やしたくない。

「その為に、まずはメイドの一人を専門の司書として──」

「任せる。好きにしていい」

 ツァニス話はやーい! 面倒くさかったからかもしれないけど。


「あと、執事選定についてですが、これは──」

「任せる」

 ええ!? そうなの?

「いいのですか?」

 だってツァニスの執事だよ? ツァニスとの相性が重要じゃない?

「構わない。お前の眼識がんしきに期待してる」

 マジすか。あーこりゃ責任重大だわ。

「それでは次に、屋敷設備についてな──」

「任せる」

 それもっ!?

「メイドたちから聞き取り調査したのだろう? なら構わない」

 そ……そうなんだ。

 なんか、上手くいきすぎてちょっと……不安になってくるよ。

「では、業者を読んで相見積もりを取りますね。結果は──」

「報告しなくていい。他の人間と共通理解が得られていれば」

 そこまで!? そんなに私を信用しちゃっていいの!? 私が好き勝手にセレーネ御殿に改造しちゃうかもしれないよ!? しないけど。


「お忙しいところありがとうございました」

 私は、変わらずずっと書類等に埋もれたツァニスに、そうペコリと挨拶する。

 ツァニスもサッと手をあげて返事をした。


 彼に背を向けて執務室を出て行こうとして、そういえばと思って足を止めた。

「あ、そういえば、忘れないウチにお伝えしておきますね」

 私は身体を半身返してツァニスを見る。

 彼は私の方は見ていなかったが、意識をこっちに向けてくれているのは気づいた。


 なので、私は思った事を素直に言う為に、口を開いた。

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