第146話 罠にかかりに行った。(※暴力表現注意)

 昼過ぎ、午後のお茶の時間の後の事。

 玄関の前に馬車が用意された。

 私は開かれた玄関の扉をくぐって馬車へと近づいていく。

 その背中を、使用人たちが頭を下げて見送ってくれた。


 少し振り返ると。

 ずらりと並ぶ使用人たちの先頭に、素知らぬフリをした執事長と少し心配げな表情をするメイド長が。

 正面にはアティと、何故かそこに付き従うドリス。その後ろには能面のマギー。

 そしてゼノとニコラが、アティの横に立って小さく手を振っていた。


 私は笑顔で手を振り返す。

「では」

 小さく頷いて正面を見据え、馬車の前でエスコートの為に立っていたサミュエルの手を借りながら、馬車に乗り込んだ。

 さぁて。罠にかかりに行くとしますか。

 馬車に揺られながら、私は馬車の中に色々視線を這わせて、そこここにコッソリ仕込んだモノの位置を確認していった。

 剣は座席のすぐ下、クッションの隙間にはナイフ。実は馬車の側面等にも色々仕込んでおいたんだよな。ふふ。楽しかった。午後のお茶を辞退した甲斐はあったよ。


「……しかし……凄いですね」

 私の向いに座ったサミュエルが、私の姿を足元から頭の先まで視線を這わせて感嘆の声を漏らす。

「セレーネ様にしか見えない」

 本人やからな。


 サミュエルには、セルギオスが私に成り代わって行くと伝えた。

 つまり、サミュエルは今私の事を、女装したセルギオスだと思っている。

 今回は顔をさらしている。流石に布で顔半分を隠して、なんて出来ないから。

 しかしその代わりに、クロエがわざとらしい厚化粧をしてくれた。

『アンドレウ公爵家に赴くのですから、この時ぐらいはちゃんとメイクしないといけませんわ』と言い訳して。

 つまり私は今、セルギオスの男装をした上から、女性もののドレスを着込んでいる。暑くてしゃーないわ。

 カツラはさすがに二重にはできなかった。

 その代わりに、男装用のカツラの上に私個人としては珍しくつばの広い帽子をかぶった。カツラも男性用とはいえ襟足が長いものになっており、髪を帽子の中に入れていると言えるような状態になっている。

 暑苦しいから、馬車の中ではさっさと取ったけどね。


 正直、こんな間近で対面して、セレーネだとバレないかヒヤヒヤしたけど、思い込みの力って本当に凄いな。

 実際はただ厚化粧した私なのに、おそらくサミュエルの目には女装したセルギオスにうつっているのだろう。……なんか、複雑なんですけど。


「しかし、正直貴方一人でも大丈夫かどうか不安なのですが……」

 サミュエルが不安げな顔で私を見てくる。

 私はなるべくしゃべりたくなかったので、小さく首を横に振り微かに笑うだけにとどめた。布越しじゃない声でバレる可能性あるからな。

 しかし、彼を不安なままにしておくのも可哀そうだな。

「大丈夫です。貴方は自分の身を守る事を最優先にしてください」

 なるべく小さく、そして低いダミ声でそう彼に声をかけた。

 さすがに、サミュエルを守りながらでは敵を撃退できる自信がない。彼には教えた護身術を遺憾いかんなく発揮して逃げて欲しかった。


 緊張しているからか、そこからサミュエルは黙りこくってしまった。じっと外を見つめている。

 私も頭の中でアレコレシミュレーションしながら、ずっと黙って馬車に揺られていた。


 しばらく経った時だった。

 馬のいななきが聞こえて来て、馬車がガクンと揺れる。急停車したんだ。

 外で男たちの騒がしい声がギャーギャー聞こえてきたと思ったら、馬車の扉がバタンと開かれた。

 ──来た。


 開かれた馬車の扉の向うからノッソリ現れたのは、大柄な男だった。

 よれよれで汚れたシャツにサスペンダーでギリギリ釣っているズボン、手には──抜き身の大振りのナイフ。

「降りろ」

 息くっさ。飲んでるな。

 私は気持ち悪い息の匂いを遮る為に両手で顔を覆った。──これで怯えているように見えるだろ。

「何者だ!?」

 サミュエルがそう叫んで腰を浮かすと、大柄な男に腹を思いっきり蹴り飛ばされる。鍛え始めたとはいえ、弱点である腹を蹴られたサミュエルは、馬車の椅子の上に転がった。腹を抑えて呻いている。大丈夫かな!?

「おら来い」

 男はサミュエルを放っておいて、私の手首を掴んで馬車から引きずり下ろした。


 怯えたように片手で顔を覆いつつも、私は素早く回りを見渡した。

 ──五人。どいつもこいつも身なりが汚い。地方から出て来たかなり底辺の日雇い労働者だな。着の身着のまま生活するから、どうしても汚くなってしまうんだ。

 おそらく、執事たちに金で雇われた。

 どんなコネがあればこんな奴らとお知り合いになるんだよ全くもう。

 みんな手に手にナイフを持っていた。お、丸腰のヤツもいる。ハンドガンを持ってるヤツはいなかった。ラッキーだ。でも油断できない。腰の後ろに隠している可能性もある。

 馬車を走らせていた御者は、襲撃者の一人にやられたのか地面に突っ伏して頭をかかえて震えていた。


「やめてください……誰ですかっ……?」

 私は身体をわざと震わせて怯えた演技をする。同時に、どの順番に対応しようかと頭の中でシミュレーションした。

 五人か、ちょっと一人では難しいな。さてどうしよう。

「お金ならあげますからっ」

 私はお金の事を言いつつ、馬車の方へと視線をうつす。ここから取れる武器は──

「金はもう貰ってる」

 私の手首を掴んだ腕を高くかかげ、私を吊り上げる大柄な男。同時に私の顎を掴んで上へと向けさせて、自分の顔をグイっと寄せてくる。くっせぇな。息すんな。

「どういう……事です?」

 信じられない、といった顔をしてみせた。ま、どうせ前金で半分、成功報酬であと残り半分ってとこだろ。分かってるよ。

「酷い女なんだって? 権力をかさに着て好き放題してんじゃねぇぞ」

 私の顔を舐めるようにジロジロ見てくる大柄な男。きもっ。

「そんな事っ……しておりませんっ……」

 ホントにしてないけどな。

「お仕置きが必要なんだとさ」

 大柄な男は、私の顎から手を放すと、今度は私の太ももに手を這わせてきた。マジで悪寒が背中を走り抜けた。服越しでも気持ち悪ッ!!!


「やめろっ……!」

 そんな声を上げたのは、身体をくの字に曲げてお腹を押さえつつ、馬車から身を乗り出してきたサミュエルだった。

 自分の身を守れって言ったのに!

 そんなサミュエルを、侮蔑の目で見下ろす男たち。私を捕まえた大柄な男の後ろにいたハゲがゆらりと動いた。

 いけない!!


 ハゲが腕を振りかぶったのとほぼ同時に、私はサミュエルの肩をドンと押して馬車の中へと叩き返す。

 ぱっと見はハゲがサミュエルを殴り飛ばしたように見えただろう。

 馬車の中に再度転がったサミュエルを見て、男たちが口々に下品な笑い声をあげた。

「そこで見てろォ」

 その言葉と共に、大柄な男が私の腕を引っ張って道脇の木陰の方へと引っ張っていく。

 少し入った所で背中をドンと押されて地面へと転がされた。

 勿論前受け身を取って身体を翻す。しかしすぐさま大柄な男がのしかかってきた。

「綺麗な顔をグチャグチャにされたくなければ大人しくしてろ? 気持ちよくしてやるからよォ」

 キモォォォォーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!


 そう。

 執事たちがガラの悪い奴らを雇って、アンドレウ邸に赴く私の馬車を襲わせたのはコレ。

 私を襲え、強姦しろと命令したのだ。

 執事たちの思惑は分かってる。強姦されてボロボロにされた私を、ツァニスは見放すだろうと。もしくは、ツァニスがそうしなくても、私が汚れた身体を恥じて身を引くだろうと。どうせそういう事があったら、男に抱かれる事なんてできなくなるだろ、とでも思ってんだろ?

 呆れるを通り越して直ぐに消し炭にしてやりたい。


 聞いた時には、怒りで頭がオカシクなるかと思った。

 だからサミュエルも通告してきてくれたのだ。さすがにそれはダメだ、と。


 本当に、本当にあいつら、私の事──いや、女性全般の事を舐めくさってる。

 思い返しても、ハラワタどころか全身から炎を噴きそうだよ。

 さすがにもう、恩情はかけられねぇわ。


 私は、私に馬乗りになる男を、身体を震わせつつも酷く冷静な目で見上げていた。

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