第144話 真意を確かめられた。

 サミュエルの質問に足を止めて、ゆっくり振り返った。

 彼の質問の意図が分からなかった。


 私は首を傾げていると、サミュエルは私からサッと視線を外してしまう。

「お前が今やってる事──他の人間の時間を割かせてまで色々させたり、メイドたちに本をバラまいたりとか……正直アティ様と直接関係があるとは思えない」

 そんな言いにくそうにしなくても。

 責められているとか思わないから大丈夫だよ。

 確かに、協力を断れたから、真意についてをサミュエルに説明した事はなかったな。

 私は小さく笑ってサミュエルの方へと向き直る。

「間接的にですが、あるんですよ」

 今私が起こしている事を、それぞれミクロな視点で見たらね。そりゃ『どんな関係があるんだよ』って感じかもしれないけどさ。


「物事って、色々な事情が複雑に絡まり合ってしまっていて、そんな簡単には解決しない事は分かりますよね?」

 私は両手の指を絡ませて見せる。

「アティの為にしたい事があっても、ゴリ押ししても通用しない事の方が多いです」

 ってか、ゴリ押せる部分はもう押したつもりだし。

「絡まった複数の糸から一本を抜き出そうとした時、その一本を無理矢理引っ張っても抜けません。

 そんな時はどうします?」

 私の比喩からも、彼は意図を汲んだのか真っすぐに私の方へと向き直ってきた。

「絡まっている部分をほぐす」

「ですよね」

 私は組んだ両手の指を一本一本離していく。

「私が最終的に目指しているのは、アティが心穏やかに健やかに育つ事です。

 ここはアティの家。本来『家』は過ごしやすくて安心できる場所であるべきなんです」


 ツァニスと仮面夫婦になりたくない理由はこれもある。

 もし私が自分を押し殺してしまえば、ツァニスの事が嫌いになるし当然その空気がアティに伝わる。嫌うな、態度に出すなという人がいるけど、無理な話。私にも意志があり尊厳があり、そして生きている人間なんだから。

 感情は行動の端々に現れる。口もきかない両親に挟まれたアティのなれの果てが悪役令嬢だ。そんな風には絶対にしたくない。


 そこまで説明すると、サミュエルが表情を崩した。苦笑いする。

「てっきり、自分の為の粛清かと思ってたぞ」

 そうじゃなくて良かった、という顔だね。

 そんな安心した彼の顔を、私は挑戦的に見返した。

「どうでしょうね? つまんねぇプライドにしがみついて邪魔してくるようなヤツらなら……いらないよね」

 むしろ害悪。腐ったミカン。芽が伸びてシオシオになったジャガイモ。あれ、それはちょっと違う。

 脅しとしては充分だったのか、サミュエルが苦虫を千匹ぐらい噛み潰したような顔をした。

 しょうがないよ。傷を治す時だってさ、時には大きく切開して洗う必要があるんだから。


「もう一つ聞きたい」

 苦い顔をしつつも、サミュエルが更に言い募ってきた。

「もし、成功しなかったら? もし、お前の方が──」

 追い出される結果になったら?

 ふむ。

 そういば、多分執事たちはそこを大きく勘違いしてるんだよねェ。

 私はサミュエルの言葉を鼻で笑い飛ばした。

「私がしがみついているのは『カラマンリス侯爵夫人』ではありません。『アティの母親』です。

 私が全て説明しても理解できない家を追い出される事になったら、遠慮なくアティをさらって逃げますよ。勿論、さらった証拠など残しませんけどね」

 そうなったら、自分とアティを事故で死んだように偽装するわ。豚とかの骨と肉を人に見えるように偽装して、その上で潰して判別不可になるまで焼いたるわ。ちょっと火薬混ぜて爆破してもいいかも。

 そうすりゃ実家にも迷惑はかからないし、追っ手もかからないだろ。

 ニコラは諸手を挙げてアンドレウ夫人が引き取ってくれるし、ゼノも獅子伯の所に戻るだけだ。

 マギーはついてきそうだな。魔王──違った、彼女の力が借りられればアティを養うのも楽になると思うし。

 ルーカスは腕を見込まれたんだから、アティがいなくなっても恐らく放逐ほうちくされない。クロエは……そうだな。下手したらイリアスの家──テオドラキス侯爵家に潜り込んで、この国を牛耳るようになるかもな。

 エリックは泣いてくれるかな。でも人との別れは心の成長にもなる。きっと強い男になれるよ。でもイリアスが色んな意味で心配だなぁ。また偏執さを発揮して、エリックに依存しなければいいけど……いや、彼の事だ。私の死を信じられなくて国内外しらみつぶしに探されそう。それは気をつけなきゃ。

 獅子伯には事情を伝えて支援してもらえると嬉しいけど、そんな甘ったれな事を最初から期待はしたくないから……最初は隠すかな。彼は、どう思うかな……

 あとツァニスは──大丈夫。ちょっと心苦しいけれど……でも。彼はそのうち整理がつけられるよ。前妻・アティの実母の事も気持ちの整理がつけられたんだ。私とアティの事も、時間が解決してくれる。たぶん、ね。

 うん。何も問題はない。

 ああ、セルギオスが夢見たように、色々な国を旅してまわってもいいね。どこか落ち着ける場所が見つかれば儲けもんだ。


 ま、そんな事言わないけど。ここで方法バラしたら逃げられなくなるし。

「そうなれば、好きに新しい若い奥様を迎えて、旧来通りの生活を続ければいい。この家が没落しようとどうなろうと、私の知った事じゃない」

 みんな滅茶苦茶勘違いしている。

 私は物事の道理を正そうとしてるんじゃない。そんな正義感は微塵もない。

 私はあくまで利己的。

『アティを健全な美少女にしたい』

 ただそれだけ。自己満足の権化だ悪いかコラ。


「……さっきまでベソベソ泣いていたと思ったら、今度は恐ろしいまでの強気発言。何なんだよお前は……」

 余計なお世話じゃ。情緒不安定なだけじゃ。ほっとけ。

 ふと。

 逆に私が気になった事があったので、ゲンナリした顔のサミュエルに問いかける事にした。

「そうなったら、貴方はどうしますか?」

 サミュエルは今まで、ツァニスとアティの為に行動していた。

 ここで二人が分かれる事になったら、どうすんのかな。

 やっぱりツァニスの為にここに留まるのかな?

 問いかけたられて、サミュエルが驚いた顔をする。考えた事もなかった、そんな顔だな。ま、アティがさらわれる事なんて考えないよな。

 黙ったまま視線を泳がせて色々思案するサミュエル。……あれ、結構真剣に考えてる。私がアティをさらう未来も、結構ありうる状況なのかなもしかして。

「そうなれば、俺ももう不要なのかもしれない。なら、旅を……してみたいな。ここ最近、考えた事もなかった事に沢山出会った。俺の見識はまだまだ狭い。色々な場所を訪れてもっと色々な事を知りたい」

 ポツリと、そう答えるサミュエル。ああ、いいね。それも凄く良い気がするよ。

「まぁそれが……」

 彼が、チラリと私の顔を見て、すぐにサッと視線をはずした。何さ。

「アティ様の傍であれば、もっと良いかもしれないけれどな」

 え。やだそれってどういう事? えーそれってつまりそういう事?


「アティを妻にしたいなら、もっと良い男にならなきゃダメですからね。私は簡単には許しませんよ」

 サミュエルの妻になるアティとか。えー。やだやだ。勿論アティの恋は成就はして欲しいけど、それとこれとは話が別じゃ。

「なんでそうなる……」

 そう言ってガックリ肩を落とすサミュエル。しかし次の瞬間にはスクリと体勢を元に戻して

妄言もうげんはもういい。さっさと寝ろ。に足元をすくわれないようにしろよ」

 そう言い捨てて、サッサと廊下を歩いて行ってしまった。

 妄言もうげんって。そっちが言ってきた事なのに。

 まぁいいや。


 私は、窓の向うにある美しく大きな月を見上げてみた。

 セルギオス、私頑張るよ。あともう少しだから。

 私は気持ちを新たにして、再度自分の部屋への方へと身体を向けて、ゆっくりと戻って行った。


 ***


「エリック様が!?」

 私は、クロエからもたらされた言葉に、思わず声をあげてしまった。


 エリックが病気になった!? ちょっと前はあんなに元気だったのに!?

 でも、インフルとかも突然症状出るからな。しかも子供って「ちょっと体調悪いかな?」なんて分からないから、気づいたら高熱出てましたとかあるんだよね。

 病気か……大丈夫かな。インフル系の流行り病かな……

 残念ながら、まだペニシリン等の抗生物質は世の中に出回っていない。研究されているという話は聞いた事あるけど、でも結局まだ対処療法でしかまだそういう流行り病に対抗する方法がない。

 しかも、そういうものがあったとしても。インフルのような強い病気は子供だと危ない。熱性けいれんを起こす事もありうるし。

 マジか。どうしよう。


「クロエ。お見舞いの手配を」

「かしこまりました」

 私が若干焦りながら何も詳しい事を伝えていないのに、クロエは静かに深く頭を下げて部屋を出て行く。有能過ぎるって。


 流行り病かもしれないから、アティやニコラは連れて行けないな。私も万全の準備をしておかないと。

 ツァニスはさっき仕事で外出してしまって屋敷にいないし……兎に角、連絡をツァニスとアンドレウ邸にしないとな。これは執事たちじゃないとやってくれないからお願いするしかない。……してくれるかどうか知らんけど。


 私はソワソワしながらも、エリックへの見舞いの準備をしはじめた。

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