第139話 執事長に怒鳴られた。
執事長は私の手から本をむしり取ると、それも床に叩きつけた。
なんて事すんねん。ペーパーバックといったってまだ高いんだぞ。数を揃える為にどんだけ苦労したと思ってんねん。
「やはり貴女か……貴女のせいでメイドたちが仕事をさぼるようになったのですよっ……その責任をどう取るつもりですかッ……」
執事は本をぐしゃりと踏みつけ、さらににじった。やめろ、マジで。
「……本を踏みつけるのをおやめになっていただけます?」
誰かの技術と英知で作り上げられたものを踏みつけるな。例え工場で作られたものだって、そこには作った人の努力が含まれてんだよ。
私は顔から笑顔を消し、彼の足元に視線を落とす。
しかし彼はグリグリとする足を止めない。何度も何度も足を振り上げ本を踏みつけた。
「この本のせいでメイドたちが堕落した! 休憩室で読みふけり、庭で読みふけり、話す話題はこの本の事ばかり! あげく夜更かししてまで読み漁って! 仕事に支障が出たらどうするおつもりですかッ!?」
は? それだけこの本が面白いって事だろ? それのどこがダメなんだよ。凄い事じゃないか。
「しかも内容は
あ、読んだんだ。
私は、執事長が踏みつける本から彼の顔へと視線を移動させる。
真っ赤に
「貴方が今怒っている事は何に対してですか? 本をメイドに広めた事? メイドが本を読みふける事? 本の内容? どれですか?」
一緒くたにごちゃまぜにして怒ってるように見えるんだけど。
「全てだ!!」
つばを飛ばしながら怒鳴る執事長。ちょっ……
「では一つ一つお話させていただきますね」
私は
「まず一つ目、本をメイドに広めた事。怒る要素が見当たりません。本を広める事のどこにデメリ──」
「本に気を取られて仕事が疎かになっている!!!」
……あ、そう。
「本を読みふけっているとの事ですが、それは仕事ちゅ──」
「暇を見つけては本をチラチラと! 集中力に欠けているではないか!!」
あー。ハイハイ。
「本の内容を
「あんな内容のものを読むとはけしからん!!!」
へーへー。
「つまり執事長は、メイドたちが本を読む事も──」
「つまらん本にうつつを抜かして、本来の仕事を疎かにし始めている!! この責任をどう取るおつもりかッ!!?」
ハイハイ。つまりそこを怒ってるんでしょ。
別に本が云々じゃないんでしょ。
自分のあずかり知らぬ所でメイドが勝手な事をし始めたって思ってるんでしょ。
あー。ムカつく。
何がムカつくって?
それはさ──
「責任をと申しますが、執事長、貴方は──」
「私の事ではない! 今は貴女の事を言っている!!!」
ほらな。
まったく。どうしようかな。
執事長の
まあ執事長はそれを分かっていて廊下で私を
そうして自分の優位を示したいか。
舐めんな。
「言い訳させていただく前に。まず本から足をどけてくださいます?」
私は落ち着いた声で、先ほどから執事長に踏みつけにされている本に視線を落とした。
しかし彼は足をどけない。
なので──
「その汚ェ足を本からどけろって言ってんだよ聞こえねェのか」
思いっきり殺気を込めた視線で彼を射抜く。
「足をへし折られたくなきゃ今すぐどけろ」
本当に足をへし折る気持ちを声に込めると、さすがにそれはを感じたのか、執事長が一歩下がった。ちッ。下げなきゃ本当にヤツの膝を踏みぬいてやったものを。
「まず始めに」
踏みつけられた二冊の本を拾い上げ、汚れをはたく。
「私が喋ってんだよ。被せんな」
何がムカつくって、私の言葉を遮る事だよ。聞く気ねぇって事じゃねぇか。
「言いたいだけの文句なら壁にでも向かって叫んでろ」
本を胸に抱きなおして、執事長の顔を冷たく見返した。
彼は顔を真っ赤にしてブルブル震えている。どうせ怒りで震えてんだろ。
「侯爵夫人がそんな言葉をッ……!」
はっ。またそんなどうでもいい事を。
「丁寧に喋ってもお前が聞く耳持たねぇからだよ。聞く気あんなら丁寧に喋ってやるわ」
私をぞんざいに扱うヤツに丁寧に接する気はない。なんで一方的に相手に丁寧にしなきゃならん。
執事長は何かいいたげな顔をしつつもグッと何かを飲み込んだ。
一応、聞く気が出来たのだと判断し、私は改めて口を開いた。
「本の事ですが。貴方がこの本を
言論統制したいならいざしらず、こんな娯楽本の中身にまで云々口出しして欲しくない。それとも? 読む本は全て意識高い系の自己啓発本だけしか許さないとか? それやべぇぞ?
「メイドたちが読みふけって集中力に欠くとおっしゃっておりますが、彼女たちがいつ集中力を欠きました? 何か大きな失敗をしましたか? ミスが増えましたか? ちゃんとミスの数を数えて、本が出回る前と比較しましたか?
まさか個人的印象で喋っていないですよね?」
執事長ならしっかりと比較データをもとに喋れよ?
「本来の仕事を疎かにしているとおっしゃっていましたが、どの子がどれぐらい仕事を疎かにしましたか? なのであれば、ちゃんとしっかり自分の仕事をやるよう伝えますから。
──間違っても、休憩中や仕事が終わった後に読んでいるのを
仕事さぼってんなら、それは注意すべきだ。
でも、そうじゃないならそれは余計な口出しというもの。メイドにだって自分の時間はある。
ただでさえ住み込みでプライベートな時間は短いんだ。その短い時間に何をしていようと構わない。
「お客様がいらっしゃっている前で、構わず仲間内で喋っていたら、それはやめさせるべきですね。また、会話が邪魔になったり、喋らずにやった方が効率が上がる事もあるかもしれません。
しかし、それ以外であれば仕事をしながら喋る事は構わないと思います。メイド同士の情報交換、意思疎通は重要です。仲間意識も強くなりますし、そうなれば仕事の効率は上がると思いますがいかがでしょうか?」
機械じゃないんだから与えられた仕事をただ黙々とやるものではない。そもそもメイドの仕事は流れ作業じゃない。都度都度連携を取る必要がある。
その会話の合間に本の話題が挟まる事の何が悪い。
「先ほどから、執事長のおっしゃる事は『そんな気がする』という事ばかり。文句を仰るなら、それなりの証拠を揃えて提示すべきではないですか?
主観ばかりで根拠のない話をぶつけられても困ります」
カラマンリス邸のメイドたちは優秀だ。流行りの本が屋敷の中で出回り始め、それが噂にのぼりはじめたからって、仕事に支障を出すわけないじゃないか。
メイドたち舐めてんじゃねぇぞ。
「で? 貴方は何に怒っているのです?」
私は背筋を伸ばして顎を上げ、執事長の顔を若干見下した。
執事長は顔をこれ以上ほど真っ赤に──いやむしろ赤を通り越して少し黒ずませ、鼻息をフンっと吐き出して──
何も言わずに私に背中を向けて、ドスドスというワザとらしい足音を立てながら去っていった。
ふん。
「奥様カッコイイっ」
廊下の角で、私と執事のやり取りを見ていた複数の若いメイドたちが、キャイキャイ言いながら私に向かって小さく拍手を送ってくれた。
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