第138話 頭の痛い事が起こり始めた。

 ドリスの剣先はスピードがあった。

 ちゃんと稽古してるんだとすぐに分かる。

 しかし、ツァニスはその全てを見切って、弾いていた。


 うん。ドリスの動きには無駄がない。

 恐らく、何処かちゃんとした場所で習ったんだろう。

 しかしなぁ……正直言わせてもらうと『マニュアル通りで読み易い』動きだった。

 いや、あの動きが出来る様になるまでしっかり鍛錬したんだろうな。それは凄い。

 基本以外は雑多な武術から摘んで混ぜたような私とは訳が違う。だから剣筋も綺麗だ。

 マニュアル通りなので、逆に下手な隙がない。型通りに覚えて再現する事の利点だね。

 既に構築された『型』は、剣術の天才達が試行錯誤を重ねた結果出来上がったものだ。

 勿論、完璧なもの無敵なものなんて存在しないけれど、それに近づく努力の集大成が『型』にはある。

 それを身につけられた事は……正直、少し羨ましい。


 次第にドリスの息が上がってくる。そのせいで剣先が下りスピードが落ちてきた。

 勿論、ツァニスはその隙を見逃さない。

 ドリスが持つ剣の手元近くを力強く弾き落とした。

 衝撃で剣を取り落とすドリス。

 首元に剣先を突きつけられ

「……参りました」

 彼女は降参した。

「お見事です。やはりお強いですね旦那様」

 剣を拾ったドリスが、上がる息を整えつつそう微笑みをこぼした。

「そなたも綺麗な太刀筋をしていた。よく訓練をしているな」

 そう言ってツァニスも彼女を褒める。ドリスはその言葉に頬を染めていた。


「剣が使えて馬にも乗れる。子供の相手が出来て明るく元気で活動的な女性。まるで誰かさんを彷彿ほうふつとさせますね」

 アティの頭に、ティアラかよと言う程可愛らしく豪華な花冠を載せたマギーが、こちらを見ずにポツリと呟く。

 ……ああ、確かにそうだね。

 え。でもちょっと待って。私、あんな感じなの? マジで? なんかちょっと複雑なんだけど。

「そういえば。あの子、男爵令嬢だそうですよ」

 え? あ、そうなの? 知らなかった。男爵令嬢なのに洗濯婦してたの? なんでまた……もしかして生活に困窮こんきゅうしてて、なんとか働き口を探してカラマンリス邸に来たって事なのかな。

「誰かさんに似た境遇を持ち、しかも何より誰かさんより若い。……ふふ」

 何がおかしいのさマギー。

「こんなにあからさまな感じで来るとは……」

 マギー……喉でクククって笑ったら、そりゃもう完全にどこに出しても恥ずかしくない悪役よ?


 ま。私もさ。そうなんじゃないかなって、思ってたよ。


 ドリス──彼女は、執事達が私の代わりにツァニスの妻の後釜に据えようとしている女の子なんでしょ?

 やってる事が大奥様と大差ねぇんだよ……アイツら。

 つまり、ドリスが今メイドの仕事を放り出してアレコレしてるのは、執事達の差金。メイド長にも話を聞いてみたけど、執事たちが彼女について勝手にアレコレ決めてゴリ押ししてくるから、仕事がしにくいって愚痴ってたし。

 彼女だけ執事たちに特別扱いされている事に、当たり前だけど他のメイドたちから不満が上がっているらしい。いじめのキッカケになりそうだから嫌だなぁ。あらかじめ手を打っておかないとね。まったく。


「面白くなってきた」

 そう言いつつも、朗らかな笑顔で今度はアティの首に、これでもかという程豪華に作った花飾りをかけるマギー。見た目は凄く微笑ましいのに、言ってる事が不穏だよ?!

 当事者じゃないからって気楽だなオイ?!

 全く。私の身になって欲しいもんだよもう……


 私は、今の打ち合いの事についてキャッキャと話し合うドリスとツァニスの二人の姿を、複雑な気持ちで見るのだった。


 ***


 ピクニックがあった後から。

 ドリスの行動の制限が更に解除されてきた。


 彼女がメイドの仕事をしている姿を全く見なくなったのだ。

 ある時は庭でアティと遊んでいたし、ある時はアティとお茶を飲んでいた。

 結婚した当初の頃の私のように、アティとベッタリ一緒にいるようになったのだ。


 勿論、私がその場にいる事もある。

 流石にドリスが寝かしつけまではしなかったけど。寝かしつけの時に、アティの口からドリスの名前もよく出てくるようになったよ。

 今日はこんな事して遊んだよ。

 明日はこんな事して遊ぶんだ。

 ドリスドリスドリスドリス。


 ははははは。

 結婚当初のマギーの気持ちをまざまざ思い知ったよチキショウ。よく我慢したなマギー。私は歯を噛み締めすぎて奥歯割れそうだよ。

 でも。

 アティが本当に楽しそうで嬉しそう。

 私では提供できない事も沢山あるし、更に新しい世界を知ったアティの好奇心の芽は潰したくなく。

 腹の中の煮えたぎるマグマは、勿論アティに見せないようにした。

 アティの言葉も否定しないし、これからやる事に制限も設けなかった。


 どうせ、もっと大きくなって行動範囲が広がったら、今と同じ気持ちになってたんだし。

 それが思ったより早かっただけだよ。

 気にしない気にしない気にしない気にしない。

 これは試練だ。私が子離れする為の第一歩だ。耐えろ自分。

 個人的感情でアティを縛りつけちゃいけない。

 だってアティは私とは違う人間なんだから。


 アティがのびのび元気に健やかに育つのがイチバン。


 私は事あるごとにその言葉を脳内で呪文のように唱えながら耐えた。


 代わりに少しずつ私は屋敷のアレコレに着手を始めた。

 料理長への聞き取りなどもそこに含まれる。

 正直、料理長からの聞き取りは思っていた以上に難航した。

 やっぱり、長年料理部門だけで世界が完結して回していたので、それを突き崩すのは本当に大変だった。

 私は足しげく料理長の元へと通い、何度も意図を説明し、私がやろうとしている事のメリットとデメリットを正直に伝えた。

 時には酒を酌み交わし、時には怒鳴り散らかされつつ、でも少しずつ少しずつ着実に。

 はははは。私はこういう時マジでシツコイからな。こういう時の自分の性質を改めてグッジョブって思った。


 そのおかげで、色々な事が本当に少しずつだけど、動き始めて行った。


 そして──


「奥様!!!」

 ある日の午後のお茶の時間、談話室でアティたちとノンビリお茶を楽しみながら本を読んでいたら。

 そこに執事長が怒鳴り込んできた。

 あらやだどうしたの? そんなに顔を真っ赤にして。血圧あがって大変よ? もう少し身体を労わったら?


 なんて思いながら素知らぬ顔をして、部屋に入ってきた彼を見上げる。

「アティがおります。怒鳴らずお話してくださいます?」

 私の隣で、ドリスと一緒に絵本を音読していたアティが、キョトンとした顔で執事長を見上げた。

 それを見て口をへの字の曲げる執事長。

 彼は苦々しく、その場にいたメンツに視線を這わせていった。

 仕事の書類に視線を落としつつソファで優雅にお茶を飲むツァニス、サミュエルにお茶の淹れ方を習っているニコラ、部屋の隅でアティの冬用ニットを編むマギー。

 そして、アティの隣で絵本を読むドリス。

 彼が彼女の視線を止めた瞬間、ドリスが腰を浮かせようとした。

「では、話は向うで」

 ドリスが動ききる前に、先に私がその場から立ち上がる。

 執事の顔を真正面に見据えて、顎を少ししゃくってやった。

 それを、目の端をピクピクさせて睨みつける執事長。私に顎でしゃくられるのはムカつくだろ? だから敢えてやったんだよ喜べ。


 私は本を胸に抱きつつ、スルリと談話室を出て行った。

 暫く歩いて談話室から離れる。どこら辺がいいかな、と考えていた時に

「ウチの屋敷をダメにするおつもりかッ!?」

 我慢しきれなくなった執事長が、私の背中に向かってそう怒鳴りつけてきた。

 気が短いなぁ。まだ廊下なんだけど。

 ここだと屋敷中に声が丸聞こえだよ? ま、私は構わないけどね。

「何の話ですか?」

 私は立ち止まり、ゆっくりと振り返って執事長の顔を見る。


 彼はジャケットの裏から丸めたペーパーバック本を掴みだしてきて、思いっきり振りかぶって床に叩きつけ、更にそれを足で踏みつけた。

 そして、同時に私が胸に抱く本を忌々いまいましく睨みつける。

 そう、今彼が踏みつけた本と、私が持っている本は同じもの。

「奥様ですかっ……こんな下劣げれつな本をメイドたちに広めたのはっ……」

 執事長は、怒りに震えた声をなんとか喉から絞り出していた。


下劣げれつ? どこがですか? とっても面白い本ですよ?」

 私は胸に抱いた本を執事長に見せつけるように目の前に掲げてニッコリとほほ笑んだ。

「女の子がこの国の昔にタイムトラベルして、歴史に名を遺す偉人と恋愛するお話。斬新な設定で目が離せませんね!」

 私はニヤつく口元を本で隠しながら執事の顔を確認する。


 彼の顔は、沸騰しそうな程真っ赤になっていた。

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