第134話 協力をなんとか取り付けた。

 マギーのいぶかし気な顔。

「そんなの、大奥様──」

 そこまで言って、彼女も気づいたようだった。


「そう。マギーだけは特別、大奥様が直接面談して決めた特別な子守。つまり、雇用の管轄は大奥様なんだよ」

 忘れてた。たぶん、他の殆どの人間も忘れてる。

 でも事実。

 彼女は、子供が産めないという理由で特別に大奥様が抜粋した、アティ専属の子守。他の子守はマギーほどべったり傍には居れない。何故なら、大奥様がそれを許さなかったから。

 アティといる時間が多くなるという事は、便宜上それだけツァニスとの距離も近くなる。ツァニスの浮気を心配した大奥様が、それを危惧して特別な権限を与えたのが、『子守頭』であるマギーだ。


 しかし、今屋敷には大奥様はいない。

 つまり。彼女人事権は、大奥様の次の屋敷の女主人、つまり私が代理で持っている事になる。


 そう、マギーだけは、執事長が勝手に辞めさせられないのだ。メイド長にも無理。

 彼女を辞めさせる事は、女主人である私、ひいては大奥様の意志に反するという事になるから。

 本人の我の強さにかき消されて、そんな大切な事もすっっっっっっかり忘れてたよ!!


「しかも。貴女にはその頭脳がある。私にはないその教養が必要なの」

 以前悪態をついたテセウスに言っていたでしょ? 『悪態をつく時は言葉を選べ。相手が聞き返すぐらいギリギリを狙え』って。そんなの語彙ごい力──つまり教養がないと出来ないって事。

 しかも、もともと良い所のお嬢様で基礎教育はバッチリ。

 頭が良くて相手に上手に言葉を伝える語彙ごい力があり、私にも遠慮なく毒を吐き散らかせて、そしてアティの為──ひいては屋敷の為に動いてくれる、極めつけには執事たちの力が及ばない人物。

 これ以上の適任が他にあろうか!? いやない!!!


 私はガッとマギーの右手をつかんで胸に抱きこむ。そして彼女に詰め寄った。

「近い」

 左手で顔をめっちゃ押し返された。待って! まだ寝違えた首がメッチャ痛いのっ!! 無理やり曲げられたら痛ァい!!

 思わず彼女の手を放して、自分の首を労わってあげた。大丈夫かな。変な場所オカシクしてないかな。大丈夫? 曲げちゃいけないところまで曲がっちゃってない?

 そんな私を冷めた目で見降ろしてくるマギー。

「一応、考えておきます。しかし、言っておきますが、私はアティ様が最優先ですよ」

「勿論!」

 それでこそマギー!

 しかし、私の勢いの良い返事に、彼女は更に極寒ブリザード侮蔑ぶべつの視線をぶつけてきた。

「私はにはなりたくないので」

 そんなマギーの言葉に、引っ掛かりを感じた。

「……私?」

「さあ、誰の事でしょう?」

 問いかけてみたが、マギーはまた鉄仮面を復活させてしまい、表情からは考えを読み取れなかった。でも、流石に分かるわ。

「……知ってるよ」

 私が最近、全然アティを構えてない事の事言ってるでしょう。

 それに──

なのは理解してる。しかも、手薄になった隙を突かれてるって事も」

 今回は、私が攻められている側だ。

 本当にムカつくけど、相手の隙を突くのは有効な戦い方。それにケチをつける気はない。むしろ勉強になるわって思う。ムカつくけど。ムカつくけど。ムカつくけど。

 でも……


「分かってて何故何もしないのですか?」

 そう言いつつも、マギーの表情は動かない。返答によっては罵倒が待ってるね? コレは。

 私は慎重に答えを探る。マギーは真意を確かめてるんだ。私がアティよりも他の事を優先させるつもりじゃないのかって。

「だって物事には優先度があるし」

 結果が出るまで時間がかかるものについては、先に取り掛かっておかないと効率が悪すぎる。

「その間に──って、思わないのですか?」

 厳しいマギーの声。

 確かにねェー。ちょっと思う事もあるけどさー。

 私はニッコリ笑って、無表情のマギーを見返した。


「私、アティの事、信じてるもん」


 私は確かに義理の母だけど。

 まだ会って一年も経ってないけど。

 でも、血とか時間とかに依らない濃密な時間を過ごしてきたつもりだもん。

 ……まぁ、ちょっと、一方的に頬擦りとか頭皮の匂い嗅いだりとかチューしまくってて、実はそれが嫌だった、とかは、あるかも、しんない……ケド。

「それ以外の事は瑣末さまつな事」

 スッパリと言い切ったった。

 ぶっちゃけ、最悪アティの事以外どうでもいい。他の人間から何を言われても、別に構わない。


「つまり、アティ様からの愛情を疑わない、と」

 マギーが眉毛をちょっと釣り上げた。うう、その反応が逆に怖い。

「とんだ自意識過剰ですね」

 グサっと来た!!

 なんで他の人にはギリギリ狙うくせに、私にはそう急所直撃なのっ?!

 でも負けんぞ!!

「だってアティは『お母様が一番好きなのは私でしょ?』って顔してるもん!!」

 それは間違いないもん!

 だって妹たちと同じ顔してるもん!!

 妹達なんか『口ではみんな大好きって言うけど、実は私が一番だって知ってるよ?』って、コッソリ私に耳打ちしてくるぐらい私からの愛情疑ってないんだぞ?!

 つまりあの子達の中で私が愛情深さイチバンって事やぞ?!

 それと同じ顔するって事は、つまりそう言う事やろ?!


「だから他の事は気にしない。それに、まだまだこれからだし。そっちの方は、今は、まだ、その時じゃない」

 私は一度、気持ちを落ち着ける。

 ここで焦ったら相手の思う壺だ。メイド長にもペースを落とせと言われた。

 大丈夫。私は、そんなに、弱い人間じゃない。

「私がここまでに積み重ねたものは、たぶん、きっと、無駄じゃない」

 息と共に、そう、吐き出した。

 信じたい。信じたいんだよ。ここまで積み重ねて来たものが、盤石だって。無駄じゃなかったんだって。


 マギーは一度目を閉じた。

 沈黙が舞い降りる。

 酷く重たくて、息苦しくなる程の沈黙。

「……良かった。また無駄に弱気になって、変な事を言い出すかと思いましたよ」

 マギーが口元を緩めて、苦笑とともにそう呟いた。

「少しでも弱音を吐きようもんなら、生まれて来てごめんなさいとその場に泣き崩れて更に生きる気力を失うまで罵倒する気でしたよ」

 ヤダ怖い。しかも本気マジだね?

「貴女がそう思っているなら問題ありませんね。前にも申した通り、貴女は好きに動けばいいのです。結果は勝手に付いてきます。

 どうせ、そう思ってるんでしょう?」

「勿論」

 私は力強く頷いた。

 そう思ってなければ動かない。

 私だってただの猪突猛進人間じゃない。と、思う。たぶん。きっと。おそらく?


「じゃあ──」

 マギーがまた鉄仮面を被り直して真っ直ぐに私を見た。

「うん。このまま進める。……まぁ、自分の我慢の限界に挑戦? 最近ちょっと気軽にキレすぎだし」

「何を今更」

「せめてアティの前では我慢する。それが大人の余裕?」

「どの口が言います?」

「この麗しき口が」

「自己評価高すぎ女ウザっ」

 厳しいマギー!!

 私がショボンとしていると、マギーは口の端をフッと持ち上げた。

「じゃあ手始めに」

「うん、まず情報収集から。でも、やり方を間違えるとメイド達が萎縮してしまったり、身構えてしまうから、その方法を相談したい」

 そう伝えると、ふむ、と一瞬私から視線を外して宙を漂わせるマギー。

 視線が私に戻ってくると共に、マギーはスゥっと目を細めてニィっと笑った怖ッ!!


「それなら、良い方法があります」

 もンの凄く心強い味方が、まるで真の裏ボスのような笑顔を浮かべて頷いた。


 ***


「……」

 私は、クロエからもたらされた情報を見ながら、自分の気持ちがグラグラ煮えてるのを感じた。


 落ち着け私。心頭滅却すれば火もまた涼し。色即是空しきそくぜくう空即是色くうそくぜしき。深呼吸深呼吸。部屋中の空気を全部入れ替わるぐらい深く呼吸したった。

 ヨシ。

 私は資料まとめしていた手を止めて、さっさと着替えを行って部屋を出て行った。


 玄関前で集合していたメンツの所に合流し

「ピクニックへ行くんですって? 素晴らしいですね!」

 そこで少し大げさなぐらいの笑顔でそう声をあげた。

 確かに確かに。ピクニックに行くには最高のコンディションだよね! 秋晴れだし太陽の日差しは柔らかな雲で遮られてるし! こんな時に屋外でお弁当食べたり遊んだりするの、きっと最高だよねっ!!

 はははは。なんで声かけてくれなかったのかなー?


 その声に、ゼノとアティが輝いた笑顔で振り返った。

「おかあさま!」

 アティが、手を繋いでいたゼノの手を振り切って私の方へと走り寄ってくる。

 私はそれを膝をついて迎え入れ、ひょいっと抱き上げた。ついでの頬ずり。あぁたまらんこのキメの細かい肌触り! 吸い付く吸い付くっ!!

 ゼノもパタパタと走り寄ってくる。はにかんだ微笑みがまたもうっ! 可愛いやつめっ!!

「セレーネ様も行きますか?」

 ほっぺたを上気させた顔でそんな風に尋ねられたら勿論──


「奥様はお仕事がお忙しいのですよっ! ワガママを言っては奥様が困ってしまいます!」

 答えたのは私ではなく、ピクニックバスケットを馬に括りつけていたドリスだった。

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