第129話 夫が確認しに来た。

 いつものようにアティを寝かしつけた。

 頭皮の匂いをメッチャ堪能しまくったった。アティも慣れたもんで、むしろ私の顔んところに頭すりつけてくるぐらい。

 何もうソレ可愛すぎるわコンチキショウ!

 ……最近、アクティブになってきたからか、ちょっと汗臭くなってきた気がするのは気のせいか? 気のせいだ!! アティの頭皮はいつでも夢の香り!!!


 私はそのまま、アティの眠るベッドをスルリと抜け出す。

 部屋の片隅置かれた、私の為のロッキングチェアにどっかり腰を下ろした。

 サイドテーブルの上に置かれたロウソクに火をつける。ランタンだと明るすぎるから。

 そして、書類を広げた。

 書類の隅々に付けられたケチを片っ端から読んでいく。

 そこから、執事達が本当は何処に拒絶反応を示しているのかを、少しずつ感じ取る事にした。

 ふむ。

『今までそうでしたので』か。変化に関する拒否反応だな。

『執事長が把握しておりますから』って。それを脳内から出せって言ってんだよ。

『判断の仕方が難しいから伝達不可』……もしかして、勘でやってる?

『これは見直し不要』。お前が判断すんな。判断すんなら理由書けや。

『外に漏らせない情報で』? 何、コッソリ不正でもしてんの? それとも自分のSMの道具とか経費で落としてんの?


 うーん。やっぱり、メイド長の言う通り、難癖つけてるものが多いな。中にはちゃんとした事もあったけどこれは……

 どうしたもんか。

 どう考えても、私個人が嫌いという、感情的な理由だな。

 さぁて。どこから崩していくか。

 理屈じゃないから難しそう。どうしようかな……


 感情論に訴えるか。下手したてに出るか。正面から、変えることで得られるメリットを伝えるか。

 いやでも、多分属人化した仕事を手放したくないんだろうな。自分の仕事がなくなるかもしれないっていう恐怖もあるのかも。

 もっと効率的に動いて余裕を生み出し、ツァニスを更にサポートしてって欲しいだけなんだけどなぁ。

 クビにもしないし給料も下げないのに。

 でも、私の言葉じゃきっと信じないだろうし……

 あ。向うが私の事舐めくさってるんだから、こっちが正々堂々とする理由もないんだよな。

 いっそ恫喝どうかつしてやっか。その方が私の個人的ムカムカが解消され──


 ……


 ん? ノックの音した?

 私は視線を上げてドアの方を見て、耳を澄ましてみた。


 コンコン……


 ホントに小さな音で、扉がノックされたみたい。

 私は音を立てないようにしてユラリと立ち上がった。

 そしてそっと扉を開く。

 扉の向こうに立っていたのはツァニスだった。彼がクイッと顎をしゃくる。

 アティが寝てるからかな。声を出さないようにしてる。

 私はそれに応じてそっと部屋を出て扉を閉めた。


「どうしましたか?」

 まだ廊下の明かりは落とされていなかったので、ツァニスの顔が普通に見えた。

 彼はまたなんだか苦い顔をしている。

「執事たちと何があった」

 おうっ。それか。執事たちめ。私より先にツァニスに泣きついたな。賢いぞ。くそっ。ムカつく。こんな時ばっかり動き早ェな。

 別に変な事をしてるんじゃないから、普通にあった事やろうとしている事をツァニスに伝えて、彼に公正に判断を──


 いや、待てよ?

 ここでツァニスの鶴の一声をあげられたら、執事たちには不満が残るな。

 たぶんまた言うだろ『あの女狐が侯爵様をたらしこんで』って。

 タラし込むような事はまだ何もしてないけど、奴らそんな事実はどうでもいいだろうし。

 それに、ツァニスが前に『私に恋をしてる』って言ってた。それを執事たちが知ってるとしたら『恋は盲目だ』とか言って、ツァニスの評価も下げんだろ。

 ──良い事考えた。


「セレーネ……顔が不穏だぞ」

 思わずニヤリと笑ってしまった事を、ツァニスからとがめられてしまった。

 不穏とはなんだ不穏とは。不敵ふてきな笑みと言ってくれ。

「いいえ、なんでもありません。それよりも。執事たちから何と言われましたか?」

 私は至極しごく真っ当清廉せいれん潔白けっぱくの顔に戻してツァニスを見上げる。

 彼は小さな溜息とともに言葉を吐き出した。

「お前が帳簿に不正があるとうそぶいていると言っていたぞ。本当か?」

 そんな事言ってねぇよ。帳簿を見せろって言っただけじゃ。

「帳簿は見せてくださいとお伝えしましたが、不正云々は言っておりませんよ」

 言うなら逃げられない証拠掴んでからに決まってんだろうが。馬鹿め。

「私は簿記などできませんから、例え不正があったとしても気づきませんし」

 むしろ、不正すんなら最初から二重帳簿にしとけよ。下手くそか。

「ツァニス様がご心配なさるような事は、ありませんよ」

 執事たちから間接的に喧嘩売られただけじゃ。倍額で買い取ってやらぁ。


 そこまで言うと、ツァニスはまた何か言いたそうな顔をする。

 少しだけ視線を宙に漂わせて──何か言葉を探してんな。

「セレーネ、私は──」

「ツァニス様。私はまだ何もされていないのにかばわれるのは好きではありません」

 ツァニスが言いそうな事を前以まえもって封じにかかる。

 その言葉に、ツァニスがグッと喉を鳴らした。図星やろ。

 守りたいんだろうなっていうのは分かるよ。

 でも、レアンドロス様に言われたろ? 私は人とぶつかる事自体は別に平気なんだよ。

 お願いだから先んじて箱に閉じ込めるような事はしないでくれ。

 そんな事されたらさ。私はツァニスにだって遠慮なく歯向かうぞ。

 また壁ドンしてやろうか。あ、いやあれはサミュエルにだったか。

「……」

 ツァニスは、口をへの字にして天を仰ぐ。

 言いたい言葉があるな。

 でも言わないでくれ。


 暫くの無言。葛藤してんな葛藤してんな。

「……どうすればいいのだ」

 聞くか。いいよ。聞かれたら答えましょう。

「何も。ツァニス様は何もしなくていいのです。これは、私と執事たちとの問題なので。どーんと構えていてください」

 そう私が笑うと

「……辺境伯のようにか」

 ぐぅッ!! 彼の名前をそこで名前を出すか!?

 いかん、笑顔が崩れる。

「……違いますよ」

 何て事を言うんだお前は。

「執事たちは執事たちの思惑があって、貴方に進言してきた。

 私は私の思惑があって動き、意図的にツァニス様に何も言わないのです」

 なんとか平静を保ちつつ、そう言葉を続ける。

 するとツァニスは、なんだか意外そうな顔をしてから、少し表情を崩す。……なんで嬉しそうな顔をした?

「もしや、私の為に──」

「それは違います」

 ズバッと言ってやったら、ガックリと肩を落とすツァニス。何期待してんだよ。

 そんな期待は当初から捨てろと言ってあったろ。

「ですが、悪いようにはしません。まぁ、見ててください」

 私がそうニヤリと笑うと、彼はゲンナリという表情になった。


 諦めろ。お前の妻はこういう人間だ。

 話は終わったと、私はツァニスに頭を下げてアティの部屋へと戻る。

 そして、サイドテーブルの消えそうになっているロウソクの明かりに視線を落とした。


 さぁて。どう料理してやろうかあの執事たち野郎ども


 ***


「ワシですかぃ? ワシなんぞ何の力にもなれませんよ」

 物凄い秋晴れの青い空の下、木陰のベンチで一休みして汗を拭う厩務員さんと一緒に、私はお茶をしていた。

 といっても。今手に持ってるのはティーカップじゃなくて炭酸水のビンだけど。

 ついでにニコラを連れてきている。厩務員さんにニコラの事を紹介する為に。

 厩務員さんとニコラをベンチに座らせ、私は向いに立っていた。


「いいえ。そんな事はありません。貴方が長年厩務員としてカラマンリス邸に雇われています。それが貴方が有能である証拠です」

「はぁ」

 私が前のめりになりつつそう伝えるが、厩務員さんは困ったような表情を浮かべて、若干仰け反っただけだった。まぁこういうのって、本人には気づけない事だよねぇ。

「貴方には長年培われた経験がある。それをまとめて欲しいのです」

「しかしなぁ……」

 私の言葉に、厩務員さんが目元のシワを更に増やした。……ん? シワが多すぎて感情読めんな。なんだろう。


 厩務員さんは、一度言葉を切って厩舎の中にいる馬たちに顔を向けた。

 愛おしそうな目で一頭一頭をゆっくり視線を這わせる。

 それが終わり、緩慢かんまんな動きで私の方を再度みた。

「ワシは文字が書けんのです」

 彼は、恥ずかしそうに、そして申し訳なさそうに、そうポツリと呟いた。

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