第122話 もう一人を説得した。
「ニコラオスは考えんの嫌だってよ。クソッ……都合悪い時ばっかり俺に押し付けやがって……」
ニコラ──いや、テセウスが憎々しげにそう吐き捨てた。
テセウスはベッドから飛び降りて窓へと張り付く。
しかし、窓が
彼が出てくるかもしれないと思っていたので、先手を打っておいたのだ。私はその背中に構わず話しかける。
「テセウス。私はニコラオスに無理強いする気はありません。
人形にする気もありません。
ただ、心穏やかに生きる術をニコラオスに提供したいだけです」
「ああ?」
私の言葉に、テセウスが刺すような視線を向けてきた。私は
「テセウスなら知ってるでしょう。ニコラオスは綺麗な可愛い格好をしたり、絵を描いたりは好きです。それを、私は女の子のやる事だと断罪しませんし、ならば女の子のように振る舞えとも強要しません。好きならやればいいし、やりたくないならしなくていい。好きにしていい。
場を提供するだけです」
淡々とテセウスに説明する。
他意はないのだと、彼を納得させるために。
テセウスは私の顔を憎々しげに
「あの男といいお前といい、なんでそんな事知ってんだよ……お前ら何モンだよ」
窓を背にして、私に向かって構えるテセウス。まるで……一生懸命にこっちを威嚇する子猫みたい。
私は思わず笑いをこぼしてしまってから、慌てて表情を元に戻す。
「あの男は私ですよ」
そう説明してから、私はピンを外してカツラをとる。そして頭に巻かれた包帯を見せた。
「その傷……! あの時のっ!! なんだよ女だったのか!? それとも今が女装してんのか!?」
テセウスが驚きの声を上げた。
「こっちが本当の姿です。あの時は男装していました」
私は再度カツラを付けなおしながら、ははっと笑う。……女装にも見えるんだ。ちょっと、複雑。
「……正直、私も、男だとか女だとか、見た目や着る物で区別される事に納得していません。職業を示しつつ、理にかなっているのなら構わないですが。
例えば男性使用人と女性使用人。なぜ同じ格好をしていないのでしょう。男女の体のラインの違いはありますが、大きな違いではありません。多少の形の違いでいいはずなのに。
なのにメイドはスカートです。そんなの、作業をする事を考えると邪魔でしかありません」
掃除や洗濯は重労働だ。なぜパンツスタイルはダメなのだろう。
「子供達も言っていた通り、私もニコラオスがスカートはく事がダメだと思いません。ファッションだとしたら特に」
局所を丸出しにしていない限り、どんな格好をしても構わないんじゃないかと、私は思う。まぁ、ある程度の節度は必要で、他人を無駄に怖がらせるべきでもないとは思うけど。
だから私は体の傷を普段は見せないようにしている。痛々しいから。相手が気を使うから。
「そんな風に、ニコラオスがニコラオスとして、生きやすい場所を私は提供したい。それに──」
私は、改めてテセウスの顔を真っ直ぐに見つめた。
「私は、ニコラオスだけじゃなく、テセウス──貴方も助けたい」
「ふざけんな!!」
そう叫ぶと共に、テセウスが私に掴みかかってきた。
私はそのまま椅子ごと後ろにひっくり返る。
上からテセウスに馬乗りになられて胸ぐらを掴み上げられた。
しかし、私はされるがままにする。
「俺を救う?! どうやって?! 都合良い事言って、俺を引っ込めさせてニコラオスを出させたいだけだろ?!」
「違います。テセウスも助けたい。だって、貴方がニコラオスの代わりに頑張って耐えてくれたから、ニコラオスは生きてるんですよ。
貴方がいなきゃニコラオスは死んでいたでしょう」
「なんでそう言い切れる?!」
「ニコラオスが……自殺しようとしたからですよ」
私のその言葉に、テセウスが私の胸ぐらを掴む腕を緩める。
「なんで……知ってる……」
本当はカマをかけただけだった。
ニコラとの最初の出会い。
ニコラは川に落ちて溺れていた。
ニコラは当初、遊んでいて足を滑らせたと言っていたらしいが、私はその事に違和感を感じてた。あくまでも『違和感』程度だったけど。
本当に、自分で川に飛び込んだんだな。
両親からの肉体的精神的暴力に疲れて。
もし、これが乙女ゲームの世界の流れでもそのままだったのだとしたら、きっと私が助けなくても奇跡的に助かってたんだろうな。
絶望しただろう。死んで逃げる事も出来なかったら。
テセウスが生まれなければ、多分ニコラオスはあの父親に殺されてたか、再度自殺を試みただろう。
テセウスが代わりに耐えて、そして父親を手にかけたから、ニコラオスは生き残れたんだ。
「貴方が他の男性たちを傷つけていた事は許される事ではありません。でも、その罪は片付けました」
金と権力でな。
「もう暴力に怯える必要はありません。テセウス、貴方も暴力から解放されたんですよ。貴方の好きに生きて良いんです。
もう誰にも、貴方を殴らせませんから」
そこまで言うと、彼は私の上からどいて立ち上がり、両手をマジマジと見ていた。
「そんな事……じゃあ俺は……用済みじゃないかっ……」
「それは違います」
私も起き上がり、ワナワナと震えるテセウスの両肩をそっと掴む。
「ニコラオスはまだ混乱していて不安定です。初めての場所は不安と恐怖の連続です。
そんな中では生きるには、貴方も必要なんですよ。貴方は自分を『ニコラオスの都合の良い逃げ場』だと感じているかもしれませんが、それは違うんです。
ニコラオスにとって、貴方が唯一頼れる相手であり『心の拠り所』なんですよ」
『逃げ場』なんて嫌な言い方。そういう風に自分を見ている間は、テセウスもニコラオスも先に進めない。違う言葉を使うだけで、その認識は百八十度変わる。
「貴方がニコラオスを支えてあげてください。
私が貴方を支えます」
解離性同一性障害を治す術は私は持ってない。薬もないし催眠療法も使えない。
だから、寄り添うしかない。
でも正直、解離性同一性障害が治らなくても良いとも思ってる。その症状を含め──テセウスとニコラを含め、ニコラオスだから。
彼が、生きやすくいてくれれば、それでいい。解離した人格は、必要だから生まれたのだ。必要がなくなれば自然と統合されると、私は思ってる。
それがいつかは分からないけど、長い彼の人生の中では、きっとそのうちなるようになる。
「お前……バカじゃねぇの?」
テセウスが、なんだか不思議な顔──泣き笑いのような、変に歪めた顔で私を見ていた。
なので私は笑って
「よく言われます」
そう答えた。
***
ニコラの母は紹介された仕事場へ旅立っていた。
ニコラとの別れは、思ったよりもアッサリだったよ。
こっちが拍子抜けするぐらい。
「手紙、書くね」
そう優しく、でもアッサリと母を突き放したのはテセウスだったのかニコラだったのか、ニコラオスだったのか。
突き放された母親はショックを受けたかのような顔をしていたけれど、そばに我々がいたためか何も言わなかった。
名残惜しそうに何度も振り返りつつ、アンドレウ公爵家の私兵に連れられてその場を後にした。
その姿に、私は少し、自分を重ねる。
私が手放したくなくても、アティが離れたがる日がそのうち必ず来る。
その時は、私もちゃんと、アティの手を離せるようにしないとな。
そんな事を、ふと考えていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます