第121話 残りの問題と向き合った。

 驚くべき事なのかどうなのか。

 屋敷に戻って事情を聞いたら。

 アンドレウ夫人の正体は見破られていなかった。


 ツァニスに話しかけられたので、椅子に座りうつむいて、ひたすら首を振って返事していたそう。

 マギーが横で『アティ様が心配で言葉も出ないそうです』とサポートしたおかげか、気づかなかったらしい。

 ツァニス。『こんなにしおらしくなって』とか思ってねぇだろうな? まだまだだな。


 サミュエルはマギーからの進言で意図して避けたらしい。彼とは軽口叩き合う事があるからね。さすがに会話したらバレてしまうし。マギーファインプレイ!


 アンドレウ公爵とは私個人は話をしないので、横を通り過ぎても同じ空間に居ても全然バレなかったらしい。

 それはそれでどうなんだ。

 でも、夫人はなんか楽しげにコロコロ笑っていた。


 あとは。怪我がバレて物凄く怒られた。夫人にもマギーにも。怪我の一つや二つ気にしないと言ったら『そういう問題ではありません』と夫人に呆れられちった。

 マギーに至っては『下手な所で死なれるより、私がここでトドメを刺して差し上げますよ』とか真顔で言われた。真顔だった……

 暫く傷を隠す為のヅラを夫人から貸してもらった。流石に頭に包帯巻いてたらバレるしね。

 ツァニスにその髪型はどうしたんだと聞かれたので、『気分を変えるためにカツラを借りたんだ』と伝えたら、不思議な顔はしていたけれど納得していた。

 ツァニス、チョロい。

 過去、信じてくれみたいな事は自分からツァニスに伝えたけどさ。ちょっとこれは信じすぎじゃね? ま、そういう素直なところは好きだけど。


 屋敷に戻って成り代りを解いてから暫くして、レアンドロス様と子供達が戻ってきた。


 戻ってきたエリックはアンドレウ公爵に怒られそうになったけれど、レアンドロス様が『道中言い聞かせたからあまり怒らないでやってくれ』という言葉で、あまり叱られずに済んだ。

 ま、私の顔を見てビクッとしてたから、多分ちゃんと理解できてるだろう。


 ツァニスはアティを怒らなかった。──ってか、怒れなかった。

 心配したぞとアティを声をかけたツァニスは、シュンとしたアティを前に言葉を失う。

 ツァニスはアティを叱り慣れてないし、アティも叱られ慣れてないから、二人ともギクシャクしていた。なので間に入り、二人のワダカマリを言語化させて取り持つ。

 ツァニスはアティに、勝手にいなくならない事、心配するから必ず一声かける事を伝え、アティはツァニスに、今度からはちゃんとやりたい事があったら言う事を約束した。


 ゼノは多分、ここまでの間にコッテリ絞られたんだろうな。ただでさえ小柄な身体を更に小さくしてた。一回り小さくなったんじゃね??


 そして。

 三人はイリアスに深々と頭を下げて謝った。

 イジワルそうな顔でニヤニヤ笑っていたイリアスだったけど、閉じ込められた事、除け者にされた事を謝られて、心底嬉しそうな顔をしていたな。

 良かった良かった。


 取り敢えず内輪の問題は滞りなく解決したけれど、肝心のニコラオスとその母親の件は、その時は何も話さなかった。

 取り敢えず、傷を癒す事を最優先にしよう、という事になって。


 二人の事は、腫れ物に触るかのように暫くは扱われた。


 ***


 あれから数日が経ち。

 色々事が動いた。


 まず傷害事件について。

 レアンドロス様たちの働きかけにより、犯人は逃亡中に川へ落ちて溺死した事にされた。証拠として、あの時テセウスが着ていたワンピースが提出された。

 被害者たちへの補償は、特例としてアンドレウ公爵家が負担する事に。たまたま居合わせたアンドレウ公爵家からの見舞金という扱いにされた。

 実際の金の出どころは、アンドレウ夫人、そして私から。夫人は一括、私はツァニスが立て替えて、私からツァニスに返す事になった。


 アンドレウ夫人やツァニスが肩代わりしてくれると申し出てくれたんだけどね。それは丁重に辞退した。個人持ちの当面の不用品は売っ払って、もし足りないならお小遣いから天引き、という事で決着。

 あー。働いて稼ぎたいなぁ。いざって時の個人資産増やしておきたいなァー。どっかで厩務員として雇ってくんないかなァー?

 そういえば、お小遣い制だと言った時のアンドレウ夫人の顔。宇宙人でも見たような顔してたなぁ。ま、普通はないか。


 そして。

 あのDV野郎ニコラの父親

 暴行罪として取り敢えずとっ捕まったけど、多分すぐ釈放されるだろうって。

 実質おとがめナシだ。ムカついたけど、こればかりは仕方ない。今はDV野郎をなんとかする法律がないから。

 まじムカツク、マジむかつく。もっとボコボコにしてくりゃ良かった。

 と、いう顔をしていたら。

「歯を折っても足りないとは」とレアンドロス様に呆れられた。

「一本じゃ足りないです」

 とコッソリ彼に不満を漏らすと

「ん? 、前歯二本も無くなったそうだぞ?」

 とレアンドロス様は飄々ひょうひょうと答えた。

 ……少し、満足した。


 国の法律をすぐさま変えるのは難しいけれど、公爵様たちが取り敢えず領地内での法案を考えつつ、養育院を運用してくださるそうだ。

 夫人からも、被害女性たちのシェルターを作る案が出たし。

 家庭内暴力は表から見えないけれど、そう言うものがあると分かれば、逃げてくれる人も増えるだろう。

 少しずつでも、改善していければいいな。


 そして。

 肝心のニコラオスの事。

 彼には、色々説明しなければならないし、今後の為に、聞いておきたい事が沢山あった。


 ***


 その日、私はニコラオスと二人っきりにしてもらった。


 ニコラオスにあてがわれた部屋で。ベッドに座って小さくなるニコラオスと、その向かいに座る私。

 私はこれまでに、悩み抜いた。

 ニコラオスにテセウスの事を話すか否か。

 しかし、一人で考えていてもらちがあかない。私は思い切ってニコラオスの反応を見る事にした。


「まず最初に。アナタの事を何て呼んだらいいでしょう? ニコラオス? ニコラ? アナタが呼ばれたい呼び名で呼びますよ」

 そう確認すると、ニコラオスは視線を上に向けてユラユラとさせ考える。

 そしてポツリと

「ニコラ」

 そう答えた。


「ではニコラ。アナタはテセウスの事を知っていますか?」

 改めて尋ねると、彼は首を横に振った。

「では、つい最近記憶が抜け落ちる事はありませんでしたか? 気づいたら、知らない場所に立っていた、とか」

 重ねて問いかけた言葉に、ニコラは再度視線をユラユラと巡らせて、小さく頷いた。

 そっか。やっぱりな。

 ニコラはテセウスである時の記憶がない。だからテセウスの事は知らないんだ。

「じゃあ……そうですね。時々、自分の意思とは関係なく、それをただ見ているだけ、という感覚はありますか?」

 今度は、もう一人のの方の事を聞いてみる。

 私の言葉に、ニコラは脳内を弄るかのようにまた視線を巡らせた。

「……時々。その時、僕はなんだ」

 なるほど。解離の事を知らなきゃ不思議な言葉だなぁ。人称も揺れてるし。テセウスの時は自分を『俺』と言う。今は『僕』と言ってる。『私』と言う時もあったな。人格の違いなのかな。

 でも、どうやらである時とニコラオスである時の境はまだ曖昧みたい。

 の人格がハッキリするのは、もっと先だったのかもしれないな。


 ──今はまだ、多重人格の事を彼に話すのは難しいかもしれない。まだ混乱状態で精神が落ち着いてない。

 話すのは、もう少し後にしよう。

 私はそう結論づけて、別の事をニコラに聞く事にした。


「ニコラ。アナタはもう家に帰る必要はありません。アナタが望めば、別の所で暮らしていけるのですよ」

 そう伝えると、ニコラの目がまん丸に開かれた。

 しかし、喜びの色が見えた瞬間、すぐにそれは暗い色に塗り潰される。

「でも、母さんが……」

 そう、悲しげにポツリと呟いた。

 なので更に私は彼に今後の事を伝える事にする。

「アナタの母も、もうあの家には戻りません。アンドレウ公爵夫人の紹介で、どこか別の場所で働く事になります」

 それを言って初めて、ニコラの目が輝いた。心底安心した、という顔だ。

 本当に、母親の事心配してたんだね。優しい子。

「アナタには、二つの選択肢があります。

 一つは、母と一緒に行く事。

 もう一つは……アナタ一人で、私の家で働く事です」

 本当なら、選択肢を与えずに問答無用で引き取りたかった。

 でも、彼の生き方を制限したくない。したくないけど……でも……

「……私個人の意見を言わせていただければ、暫く母親とも距離を置くべきだと思います。二度と会うなとは勿論言いません。

 少し時間と距離をあけて、アナタが母親に、自分の意見──嫌な事は嫌だと言えるぐらいになるまでになったほうがいいと……思います。

 手紙などのやりとりは勿論していただいていいですから。

 物理的に、距離を、少し、取って欲しい……」

 ニコラがそばに居続けたら、あの母親はずっとニコラに依存し続ける。

 そんな母親を手放せなくて、結局もう一人の『ニコラという女性』を確立する結果になりそうだし。


 ニコラはうつむいてしまった。

 考えてるのかな。

 そりゃそうだな。今まで一緒にいた母親と離れろなんて言ったら、まだ十歳のニコラは──

「で? 今度はお前がニコラオスを好き勝手な着せ替え人形にすんのか?」

 柄の悪い喋り方。あ、これは……

「テセウス……」


 ユラリと顔を上げたニコラ──テセウスの顔に、激しい憎しみの色が浮かんでいた。

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