第120話 怪我の治療をしてもらった。

 裏に連れて行かれ、救急セットを私兵から受け取ったレアンドロス様は、その場で人払いする。

 私をその辺に座らせて、自分は私の横に立膝になった。


「触るぞ」

 その言葉と共に、側頭部──殴られた辺りに鋭い痛みが走った。

「いっつ……」

「ん? これはどういう……なるほど、カツラか。取るぞ」

 レアンドロス様は私が痛がるのをお構いなしに、遠慮なくテキパキとこなしていく。

 ピンで止められたカツラをズルリと外され、それをポンと手渡された。あらやだ血塗れ☆ 血塗れのカツラってスプラッター映画みたい……気持ち悪っ。

 そんな事を思っていたら、傷の辺りをぎゅむぎゅむ押された。

「いたたたたたたたた!!」

「我慢しろ。まったく、本当に無茶をする。……うん、骨は折れてない。傷も思ったよりは範囲が狭いな。カツラをつけていたお陰か。良かったな」

 ハイ良かったです!! メッチャ痛かったです!!


「前のめりになれ。まずは傷口を水で洗う」

 その言葉の通り、私は座ったまま上半身を前に倒す。すると、桶から汲まれた水を傷の辺りにぶっかけられた。

「くっ……」

 沁みた!!

「汚れを取らないと危険だからな。耐えろ」

 ハイィッ!!

 ジャバジャバと水をかけられ、その都度傷の辺りを弄られる。

「ッ……!!」

 私は歯を食いしばって耐えた。

「あれほど勝手に動くなと言っておいたのに。挙句このザマだ。反省しろ」

「ハイっ!!」

 物理的な痛みとして反省しております!!

「そのうち怪我では済まんぞ。それを分かっているのか」

「申し訳ありません」

「言葉ではなく態度で示せ」

「そう言われ──ぐっ!!」

「よし、こんなものか」

 暫くすると、レアンドロス様が救急セットの中からビンを取り出す。

「次は消毒するぞ」

 身体を起こすと同時に、今度は消毒液を傷の辺りにかけられた。

 手を握り締めて耐える。ホントは麻酔されたかったなァー!!! 麻酔の有り難みをホント感じるわァー!!!

「己の力を過信しすぎだ。頭の怪我は後々影響が出ることがある。戻ったら定期的に診断を受けろ」

「ハイ……」

 痛みを我慢しすぎてなんか疲れてきた……

「そうだな。本来なら縫うべきだが……髪を編んで代用するぞ」

 え?! マジで?!

「そんな事を出来──いたたたたた!」

 傷口あたりの髪が引っ張られてまた鋭い痛みが断続的に続く。

「髪を剃らなくて済むし、髪に長さがある時はこうしたほうがいい。抜糸の手間も省ける」

 なるほど理解ッ!!

 私はレアンドロス様が手を止めるまで、そこからは目を閉じてジッと痛みに耐えた。


 治療が終わり、レアンドロス様が救急セットを片付ける姿を、ボンヤリと見ていた。

 痛みから解放されたからか、なんか頭回んなーい。

「……どうやって屋敷を抜け出した。カラマンリス侯爵に監視しとくよう伝えておいた筈だが。それに、確か俺が別荘を出た時はまだ屋敷に居ただろう」

 レアンドロス様にそう問われ、んー? と考える。

「あれはアンドレウ夫人です。屋敷を抜け出す為に私の扮装をしていただきました。私はレアンドロス様がたより先に屋敷を出発しましたから」

 そう答えると彼は呆れた顔をした。

「そこまでしたのか。全く……」

 そうポツリとこぼして救急セットを脇に置く。そして私の向かいにドッカリと腰を下ろした。

「何故相談しない」

 怒っているというより、ホントに呆れた感じでそう問われた。

 痛みのせいかニコラオスを助けられた安堵感からか。なんだか微妙に気合の入らない頭で言葉を探す。

「相談したところで、行かせてはくれないでしょう。今回の事だって、本来ならエリック様やアティを見つけたら、そのまま帰るつもりだったのではないですか?」

 答えつつ質問し返すと、レアンドロス様が苦い顔をした。ホラ、図星。

「……ニコラオスの事は、順を追って手配する予定だった。ただ単純にニコラオスを連れてきては角が立つ。保護する名目の算段を立てていた」

「保護?」

「個人経営や教会管轄の孤児院ではなく、アンドレウ公爵家やカラマンリス侯爵家、メルクーリ伯爵家管轄の養育院だ。親を亡くした子供達や家出した子供達を保護し、職業訓練を行いつつ生活の面倒を見る場所を作るつもりだった。

 そうすれば、家出したというテイを取ったニコラオスを保護する名目が立つ」

 なるほど。でも……

「それだと遅いですよね」

 そうポロっと零してからマズイと思った。アカン、オブラートに包めない。なんか上手く考えられないなぁ。

「勿論、それは素晴らしい事です。是非その件は進めてください。

 でも多分、ニコラオスは保護できなかったでしょうね」

 私は、先ほどまで展開されていた事を思い出しながら口を開く。

「ニコラオスは父親から虐待されていた事で人格が解離し、本人が知らぬところで別人格が他の男性を襲って鬱憤うっぷんを晴らしてしました。

 別人格の時の記憶は本人にはない為、ニコラオスである時に外から見ただけでは、異変に気づけません。それほど経たないウチに、元凶の父親を殺していたでしょう。

 養育院の準備が整う頃には、ニコラオスは逃げて姿を消すか、牢屋の中でした」

 もともとの乙女ゲームの方では、父親を殺したニコラオスをおそらく母親がかばったんだろうな。で、ここから逃げてペルサキス子爵の別荘地の方まで行き、使用人として働く事になったって事だ。

「それは……そうだが……」

 レアンドロス様が眉間に深い皺を二本も刻んで口籠くちごもる。

「私やアンドレウ夫人がしたかったのは、虐待される子供を助けることではありません。のです。

 だから早く動きたかった。取り返しがつかなくなる前に」

 虐待被害者の子供を救う算段を綿密に立てても、今回の事で言えば

 勿論、行き場のない子供や虐待されてる女性を保護する場所も必要。

 でも、今まさに溺れてる人を目の前にして、『溺れたら助かるための装置を設計開始するから待て』はオカシイ。

 まずはその目の前の人を助けなければ。

 その人は、今まさにこの瞬間、命の危険に晒されているのだから。


「子供達が動いた事で、チャンスと思い今日決行しました」

 取り返しがつかなくなる前──父親を殺してしまう前に、ニコラオスを止められて本当に良かった。ある意味、子供達グッジョブ。

「ならば、そう相談して欲しかったぞ」

 頭をガリガリと掻きながらそうボヤくレアンドロス様。あー。確かに。でもなぁ。

「先程も申した通り、私が行こうとしたら止めたでしょう。私はニコラオスの事情を知っていたので、誰よりも上手く出来る自信があったのです」

 解離の状態を知らなきゃ、多分ニコラオスを止められなかったよ。

 かと言って、解離性同一性障害──多重人格の概念を説明してる時間もなかった。今のこの世界と時代で、他人にそれを理解させる事も無理だと思うし。


 しかし、レアンドロス様が珍しく言い募ってきた。

「いや。前にも言ったが、セレーネ殿への協力は惜しまない。今回のエリック様の件でも、相談してくれれば連れて行ったぞ」

 うーん。レアンドロス様はそう言ってくれるけどさァ。

「本当にそうでしょうか? ツァニス様は、貴方が行くなら私は行く必要がないと言い出したでしょう。そうやってツァニス様がダメと言ったら、レアンドロス様は引き下がりますよね?」

 そう突っ込むと、彼はむぅと口をひん曲げた。ホラ、また図星。

「貴方が良いと言っても、ツァニス様──夫がダメだと言ったら、貴方はツァニス様の言葉を優先させる。

 だって、私はツァニス様の妻だから……」

 夫の意見と妻の意見が異なり、それを第三者が判断を下すとした時、大概夫の方の意見が通る。おそらく、『妻は夫に隷属しているもの』という感覚があるから。

 そして。

 ツァニスなら絶対ダメって言う。危ないからって。気持ちは分かる。危険な目に遭って欲しくないんだって、心配してる気持ちを感じるし。一度妻を亡くしてるしね。怖いんだと思う。その気持ちも理解できる。

 でも、ちょっとそれが息苦しい。

 大切にされるあまり、そのまま箱に閉じ込められてしまいそうな気がするよ。


「……きっと、貴方の妻だったら、私は私の姿のまま、自分の娘を自分で助けに行け──」

 何考えずにそこまで口にして、頭から冷水をぶっかけられた気持ちになった。

 今私、なんてった?!


 レアンドロス様が、物凄く驚いた顔をして私を凝視していた。

 聞こえてないよね?! 聞こえてないと言って!! 聞こえてたらどうか今のは聞かなかった事にして!!! 無理かッ!!!


 私はガバリと立ち上がる。

「今のは他意はありませんからッ!!

 あ! きっとエリック様やニコラオスが待っておりますよ!! 事件の後片付けも終わってないですよね?!

 私は先に戻りますのでこれでっ!

 治療ありがとうございましたァ!!!」

 私は地面に置いていたカツラを引っ掴み、その場から走って逃げ去った。

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