第117話 犯人を止めようとした。

 ニコラを行かせまいと彼に飛びかかったが、すんでのところでかわされてしまった。


「ニコラ! ダメです!! そんな事をしたらアナタが捕まりますよ!!」

 ニコラの言い分は通らない。正当防衛も認められない。そうじゃなくとも、大人と子供の言い分だと、大人の方が認められる。

 これで父親を殺したら、ニコラは一生殺人犯のレッテルが貼られてしまう。

「それが何? ニコラオスが捕まろうと知ったこっちゃねぇわ。ニコラオスが俺に嫌な役割押し付けて来てんだよ。俺は自分の役割を果たすだけだ」

「っ……」

 を呼ぼうとしたが、思い出せない。ニコラじゃない、ニコラオスでもない、彼自身の名前。

 彼を認めてあげないと、ニコラ自身も救われない。

 彼も被害者なんだ。ニコラに殴られる役を押し付けられた、もう一人の彼。


 ユラリとして捉え所のない動きで、彼が立ち上がる。

 そして路地の奥の闇へと溶け込んで行ってしまった。


「ニコラ!」

 アティとエリックが、ゼノの手を振り切って彼の名前を叫んで追いかけようとする。

 私はその肩をガシッと掴んで捕まえた。

 彼らを抱き込むようにしてから膝をつき、二人の顔を間近で見上げる。

「ここから先はダメです。ニコラは貴方たちも傷つける恐れがある。

 貴方達を守りながらでは私は戦えない」

 恐らく、今のニコラは父親を殺す為ならなんでもする。私や子供達ですら攻撃してくる。

「そんなこと──」

「あるのですよエリック様。今のニコラは貴方の知っているニコラではありません」

 解離状態の事を説明する時間はないけどな。

「そう思いませんか? だって、エリック様が知ってるニコラは、アティや貴方に『馬鹿』などと言いますか?」

 そう言われて、エリックは考え込む。

 アティも困惑した顔をするばかりだった。


 そのうち、周りがザワザワとうるさくなってきた。馬の足音が複数する。

 レアンドロス様達が町に到着したな。

 私はどうすればいいのかとオロオロするゼノを見上げた。

「ゼノ様。レアンドロス様が迎えに上がったようです。エリック様とアティ様を連れて、レアンドロス様の元へ行ってください」

 義父の名前が出た途端、ゼノはまたもやビクーンと身体を硬直させて、ちょっと飛び上がった。

「お覚悟を。レアンドロス様は、恐らく私よりもキツイ説教をなさるでしょう。でも、それを分かっていて来たんですよね?」

 私の言葉に、ゼノの顔が蒼白になる。もしかして、そこまで考えてなかった? ゼノもまだまだ子供だなぁ。

 私は少し笑って

「私は、ゼノ様が『エリック様とアティ様の望みを叶えてあげたい』と思って行動した事は、素晴らしい事だと思いますよ。

 まぁ、やり方は、ちょっとどうかと思いますけどね」

 フォローした。ま、私も人の事言えないからさ。


 私はエリックとアティの身体をゼノへと引き渡す。

 二人が不安そうな顔で私を見上げてきていたので

「ニコラを救ってきますよ。アティ様を助けたようにね」

 そうウィンク一つをその場に残し、私もニコラが消えた闇の中へと入って行った。


 ***


 駐在さんに聞いていたニコラの家の方を目指すが……残念ながら現在地からだと分からなーい!

 知らん町だからな! 仕方ない!!

「すみません! パパスさんの家はどちらですか?!」

 騒ぎを聞きつけて家の外に出てきていた人達に総当たりで聞いていく。

 みんなが指差した方向へと走った。

 どうか間に合って!!


 ここら辺、と教えてくれた場所に辿り着いたはいいけどどの家か分からない。

 どの家だ?!

 私があたりをキョロキョロと見回していると。


 ガチャーン


 ガラスや陶器の割れる音がした。

 そちらへと振り返る。

 すると、とある家からドスンバタンと何か重いものが倒れたりする音が聞こえてきていた。

 ここか!

 と、いえど。家の扉を蹴破るとかアカンし、そもそもそんな事出来ないので、窓から中を覗く。 

 曇りガラスでよく見えなかったけれど、人影が暴れ回ってるか踊ってるかしてるのは見えた。

 それに

「やめてニコラオス!」

 そんな女性の悲鳴が聞こえたし。

 ここに間違いない!

 私は玄関の扉の取っ手を回してみる。

 特に鍵がかかっている様子はなかった為、そのまま開け放って中へと飛び込んだ。


 目の前には、床にへたり込んだ女性と、鼻血でベタベタになった顔を抑えて床に転がる男、そしてそれを悠然と立って見下ろす、ニコラの姿があった。

 家に飛び込んできた私に、女性と男性──ニコラの両親が驚いた顔で振り返る。

 ニコラは振り返らない。鉄パイプを手から下げたまま、床の父親をずっと見下ろしていた。

「ウザいなぁ。ほっとけよ」

 来たのが私だと気づいてはいたようで、背中でそう吐き捨てた。

「放っておけません」

 私は手で母親に、ニコラから離れるように指示を出す。

 しかし彼女は私とニコラ、そして父親を見ただけでその場から動かなかった。

 チッ。何してんだよ。邪魔だなぁ。

「どうせアレだろ? お前も、ニコラオスを好き勝手したいんだろ? 気に入らなければ殴り倒し、女の服を着せてアレコレ無理矢理やらせて喜びたいだけだろ」

 そう言いつつも、こちらを見ずに父親が逃げないようにしているニコラ。

 ──あ、鉄パイプを持ってない方の手に包丁が握られてるじゃんか! 本気かニコラ……

 私は彼を刺激しないように、でもなんとか思いとどまらせたく口を開く。

「違います私は──」

「私が悪いんです!」

 それを遮ったのは、母親だった。

「ニコラオス! 父さんが殴るのは私が至らないからなのよ! 私が悪いの! だから父さんを責めないで!!」

 ああ、ダメだ、この女。どっぷり共依存に浸ってら。この状況の異常さに気づけてない。そんな言葉で、こんな事を起こしたニコラをまだ止められると思ってる。

 そんなワケはないのに。

「そうだな、お前も悪いわ。だからお前も一緒に殺してやる」

 ニコラのギラリとした目が、母親の方にも向けられる。右手に持った鉄パイプが鋭く振り上げられた。

 それが振り下ろされる前に、私はニコラの手首を掴んで止める。

「そうだ。私も分かってる。殴る父親も、殴らせる母親も、お前にとっては敵だ。分かってる。だから来たんだ。ニコラを……ニコラオスを、あと──」

 私は、やっと思い出せた名前を口にした。

「テセウスを、ここから助け出す為に」


 私がその名前を口にすると、ニコラ──いや、もう一人の人格、テセウスが驚愕の顔を私に向けて来た。

「なんで俺の名前を知ってんだ」

 彼が私の手を振り切ってその場から飛び退く。

 私はなんとか、テセウスと親たちの間に割り込んで、彼の顔を真っすぐに見た。

「私は色々知っています。ニコラオスが殴られてテセウスが生まれた事、本当は服と絵以外には興味なくて、音楽や歌は好きじゃない事、料理も好きじゃない事、別に女の子になりたいわけじゃない事、全部知ってます」

 その言葉に、テセウスがビクリを身体を震わせた。

「テセウスの他に『ニコラ』もいますね? ニコラオスとは別の、もう一人です。女の子で、ならなんでもやる子が」

「なんでの事まで知ってんだ……お前ホント何なんだよ……」

 怖いだろう。そりゃそうだ。誰にも言った事がない事を、私が知っているんだから。


 テセウスの名前と同時に、乙女ゲーム中のサポートキャラ、ニコラから語られる話も思い出した。

 彼がどうして侍女として登場するのか。

 ニコラオスの中にいる人物は二人。暴力的で勇ましいテセウスと、女性よりも女性らしく大人しいニコラ。本当のニコラオスの性自認は男だが、ニコラの人格の性自認は『女性』。乙女ゲームに出てくるニコラはこの女性の人格。

 別に騙して侍女になったワケではない。面接の時に裸になるワケでもないし、かといってに性別を聞けば当然女だと答える。もともとの見た目が中性的で髪が長かったが、使用人として働こうとしたから、自然と『メイド』そして『侍女』として周りが扱っただけの話。


 テセウスが父親から殴られて生まれた一方、ニコラという女性の人格は──母親からの精神的依存から生まれた。

 自分では何もできないからと母親がニコラを代理にアレコレさせる依存心、母が可哀そうだと思って嫌でもいいなりになるしかなかった状況が産んだ、ニコラオスの中のもう一人の人格。それが『ニコラ』。

恐らく、もうは生まれている。アンドレウ公爵の別荘にいた時、ニコラオス本人との差が分かりにくいだけで、恐らく何度か出てきていたハズ。多分だけど。


 私の言葉にテセウスがショックを受けている間に、私は後ろ手で父親と母親に合図する。

 正直、この両親の事はどうでもいい。邪魔だからサッサと離れて欲しくて。

 後ろの状況は分からなかったけど、床を這いずる音がしたので、ジリジリ下がってくれているのは感じた。


 しかし──

 テセウスの方にばかり集中していた為か、私は気づけなかった。

 ガタッという音がした瞬間、物凄い衝撃が側頭部に走り、目の前に白く星が飛んだ。

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