第115話 子供達に説教した。

 ハッキリそう伝えると、エリックは信じられないモノを見たかのような顔をしていた。


「そんなことない! だんちょうといっしょにしゅぎょうして──」

「ええ。以前のエリック様よりは強くなっているでしょう。でも、それでもまだ弱いんですよ。貴方を殴る大人の男がいないので、それを実感していないでしょうが、貴方は、まだ、弱いのです」

 私は、噛んで含めるように伝える。


「大人の男相手では、私も苦戦します。私の手を振りほどけない程度のエリック様では、大人の男には腕力や身体の大きさなど、どうしようもない事で歯が立たないんですよ」

 これは、エリックに言いつつも、自分への戒めでもある。自分がおごらない為の。いくら技術を身に着けても、死ぬ気で挑みかかってくる男には勝てない。相手を挑発したりして油断した隙を狙うのは、そうしないと勝てないからだ。

 エリックの目が段々と潤んでくる。今にも零れ落ちそうなほどの涙が、エリックの大きな目に溜まった。

「エリック様。私は貴方を強くしたいと思っていますが、私が言う『強さ』とは、腕力だけの事ではありません。『自分の技量を知り、必要な時は退く勇気を持つ』事も『目的の為に他の人の協力を得る』事も強さの一つです。まだ小さい貴方が今身に着けられる『強さ』がそれです」

 ポロリと、エリックの目から涙がこぼれた。

 唇をかみしめて、頬っぺたを真っ赤にし、身体をフルフルと震わせるエリック。

 不満、怒り、理不尽、でも、自覚している恥ずかしさ、エリックは身体全身からその気持ちを洩れさせていた。


「ニコラの為に助けに行こうとした事はとても素晴らしい事です。でも、今回エリック様にして欲しかったのは、言う事を聞いてくれないイリアス様を閉じ込める事ではありませんでした。

 イリアス様に相談して、じゃあどうすれば、自分達がニコラを助けに行けるのか、それをみんなで考えて欲しかった。

 イリアス様は誰よりも賢い。きっと良い案をくださった筈ですよ。

 エリック様、忘れてはいけません。イリアス様は、貴方の一番の理解者であり、かけがえのない友達なのです」

 そう諭したが、エリックがどこまで理解できたかは正直分からない。

 でも、顔をくしゃくしゃにして悔し涙を流すエリックは

「ごめんなさい……」

 肩を震わせてそう小さく呟いた。悔しいだろう。分かってるよ。自分の無力を実感するとさ、悔しいんだよ。

 だから人は強くなろうとできる。

「私に謝る必要はありません。私は貴方に、腕力だけではないしなやかな強さを身に着けて欲しいだけです。誰でも間違う事はあります。間違えていいのです。間違えないと間違いと気づけないからです。エリック様は、これでまた一つ強くなれたんですよ。私は嬉しいです。

 あと、謝るならイリアス様に」

 ぐふぅと嗚咽しながらも、エリックはブンブンと首を縦に振った。

 よし。エリックは落とした。

 次だ。


「アティ様」

 私は、悔し泣きするエリックをオロオロを見るアティへと視線を移す。

 アティは、今までは守るばかりだった私がエリックを泣かせているのを見て、心底驚いた顔をしていた。

「セルギオスです。私を覚えていますか?」

 そう尋ねると、アティは小さくコクリと頷いた。

「今回の事は……アティ様、貴女が言い出したのだと私は思うのですが、合っていますか?」

 アティの心底困った顔。こんな顔見たくなかったなぁ。

 でも、言わなきゃいけない事は言わなきゃ。それが保護者としての私の務め。

「黙っていては分かりません。私に教えてください。違うなら違うと」

 次第に、アティの可愛い顔が歪んでいく。スカートを両手でぎゅっと握りしめ、俯いてしまった。

 それでも、私は彼女からの言葉を待つ。

「それは──」

 見かねたゼノが口を挟もうとしてきたので、私は鋭い目で彼を睨みつけた。

「ゼノ様。アティ様に言わせてください」

 ここで甘えさせて、自分の要求を通そうとする癖に、誰かに代弁させる事に慣れてもらっては困る。

 気づくと、地面にポタポタと水滴が垂れた。

 泣いてるー。アティが泣いてるゥー。私が泣かせたァー。良心が痛むゥー。

 我慢しろ私。私はアティを、ただただ甘やかすだけではいたくない。

 それでは自立した人間になれない。


 私は待つ。それは恐ろしく長い時間。実際はそれほどでもない時間。

「アティがいった……」

 小さな声だったが、アティは認めた。震える声で。

「だって……ニコラが、こわいっておもってるかも……」

 必死のアティの言い訳。聞く方もツライ。

「アティは、せるぎおすにたすけてもらったから……だからニコラも、たすけたいのっ……」

 嗚咽しながらも理由を言うアティ。

 感無量。優しい子に育ってる。他人の事を思いやれる子になってる。まだたった四歳なのに。奇跡すぎんだろっ……

「アティには、せるぎおすがいるけど……ニコラには……いないから……」

 胸が詰まる。私ももらい泣きしそう。くそっ。我慢しろ私。今は説教中!!

 私も奥歯をかみしめて耐える。

 するとアティは、天を仰いで大声で泣き始めた。

「せるぎおすがいないからァ! おねがいしたかったのにいないんだもんー!」

 ああああもう、今すぐ抱きしめたい。ぎゅうっと抱きしめて慰めたいィ!

 ごめんねアティ。この姿ですぐそばにいられなくてごめん!!

 そばにいるのに、そばにいれなくてゴメン。

 私は爪が自分の手のひらに食い込む程強く拳を握りしめて耐えた。

「……アティ様。私は便利屋ではありません。いつでも貴方の傍にいる、という事ができないのです」

 いつでもアティの傍にいるよ。でもセルギオスの姿ではいられないんだ。

 セレーネの姿では、動けない事が多いんだよ。

「でも、アティ様のそばには、沢山の方がいらっしゃった筈です。お父様も、レアンドロス様も、アンドレウ公爵もいらっしゃいました」

「だってだめっていうもん! おかあさまもだめっていわれてるもん!!」

 ぐぅ! そんなところまで見てるんかい! よく見てるな!!

 私の行動が制限されている事を、自分に置き換えて考える事まで出来てるのか……アティ、思った以上にさといな。

 今まで自分から発言する事が少なかったから気づかなかった。

 よく観察してる。そして、思った以上に色々な事考えてる。

 相談したところで自分はダメと言われるのが目に見えていたから、私がYESと言ってもツァニスにダメと反故にされると思って。だから大人に相談しなかったんだな。

 でも、我を通したい。だからエリックとゼノに相談した。

 やるなアティ。

 あまり言葉を発しないから分からなかったけど、アティ、実はかなり気が強いね?


 アティの気持ちは痛い程分かる。

 私がアティでも、同じことをしただろう。

 ダメと言われても、動きたい事がある。だから私は、現にこうしてアンドレウ夫人に正体を明かしてでもここにいる。

 夫たちが、絶対止めると分かっていたから。

 そうだね。

 アティを諭すなら、まず自分からだな。

 今度、なんとかツァニスたちを説き伏せる姿を見せなければ。

「アティ様。そういう時は、沢山の人間を味方につけるのです。セレーネや、イリアス様、エリックの母上、マギー、サミュエル。それ以外にも、貴女には他にも沢山の味方がいらっしゃるのですよ」

 ベソベソ泣くアティの手をしっかり握りながら、私はアティに力強く語りかける。

「一人一人の声が小さくて聞いてもらえなくても、沢山の人の声が集まれば大きくなり、無視できなくなります。それも『強さ』の一つです。

 貴女には、他の人の協力を得られる力があるのです」

 アティの切なる願いなら、きっと聞く耳を持ってくれるよ。持ってくれなきゃ、私が他の人間の耳引っ張ってでも聞かせるよ。

「エリック様とゼノ様に相談したのは偉いですよ。相談しなければ貴女がどう思っているのか、誰にも伝わりませんからね。

 でも、誰かを助けるという事は、とても危険な事なのです。その時は、大人にも相談してください。

 どうすれば、みんながうんと言ってくれるのか、考えるのをやめてしまっては勿体ないです。考えて話をすれば、きっと貴女の願いを叶えようと、色々みんなも一緒に考えてくれます」

 私ももっとそうするよ。

 対話する事を諦めないようにするから。

「だから、今度からはちゃんと、大人にも相談してくれますか?」

 そう尋ねると、アティはひゃっくりしながらも、小さく首を縦に振ってくれた。


 やっぱり。

 他の人間が私に対する態度で、アティは自分の身の回りの事を少しずつ理解し始めている。

『自分では許されないことがある』という事に、気づき始めてる。

 そんな事を察して、自分の行動に制限を設けて欲しくないのに。

 まだまだ、アティの周りの事に気を配る必要があるな。私が他の人間に押さえつけられる姿を、アティに見せてはいけない。

 何とかしなければ。


 さて次だ。

 ゼノに視線を移動させると、彼はビクリと肩を振るわせた。

 この中で一番年長者。

 彼には自覚してもらわなければならないことが沢山ある。


 私が彼に対して口を開こうとした時だった。


「うわぁぁ!!」

 野太い男性の悲鳴が、路地の奥から響き渡って来た。

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