第107話 母親が酷い目に遭っていた。

 医者に診せて簡単な治療した後、暫くして気がついた彼女は当初、周りを取り囲む我々の姿を見て怯えていた。


 恐縮する彼女を何とか落ち着かせ、身元の確認をする。

 やはり、彼女はニコラの母親だった。

 その傷はどうしたのかと聞いてみたら。

 暫く逡巡した後に、彼女の口から漏れた言葉は

『自宅の階段から落ちた』

 だった。


 なぁーんか。聞いた事ある理由だなァー。台本でもあんのかなァー。

 自宅の階段から落ちて、何故かアンドレウ公爵家の別荘に歩いてきたってか?

 へー。そうだったんだー。凄いねー。


 ……まぁ、その言い訳で、理解できたから、別に構わないんだけどね。

 そして、そう言い訳してしまう理由も。


 実は。

 彼女に話を聞く前に、治療を終えて部屋に戻ろうとしていた医者を捕まえて話を聞いていた。

 私は医者に質問した。

「彼女の身体に、古い傷はありませんでしたか?」

 と。

 眠いのか面倒くさそうな初老の男性の医者は、私の問いかけに『そうですな』と頷く。

アザの色が青や緑、黄色の物がありましたね。背中や太腿に。打撲を負ってから数日経たないと、その色にはなりませんからな。治った火傷の跡もありましたよ」

 それだけ聞ければいい。

 私は彼にお礼を言って解放した。


 古いアザがあると言う事は、今回が初めてという事じゃないな。

 継続的に殴られてる。

 でも、顔には今回の腫れだけで、あまりそういうアザは見当たらない。

 つまり普段は、服で隠れる場所しか殴らないって事だろ。


 ──より、ニコラが心配になった。


 他の人間たちは捌けて、その部屋にメイドと私だけが残った時。

 私はベッドの近くに椅子を置いて座り、ベッドに横になり窓の外をじっと見つめているニコラの母親に問いかけてみた。

「……ニコラも、?」

 すると、彼女は恐怖に顔を歪めて私の方を見る。

 目を泳がせて言葉を探すが、口からは何も出て来なかった。

「私は、今貴女をとがめているワケではありません。ニコラが心配なのです。ニコラは、大丈夫なのですか?」

 もしかしたら、殴られているのは母親だけなのかもしれないし。いや、それもどうかと思うけど。

 そもそも殴るようなヤツの傍にニコラを置いておくのは嫌だけど、でもまだ傷つく可能性が低いのであれば、彼女が動けるようになるまで待つ時間が取れるし。

 それを、まず確認したかった。

 彼女は、長い間沈黙していた。定まらない視線を宙に漂わせて。

 用事を済ませたメイドが、私から出される退室の許可を待ってる息遣いだけが聞こえる。


 それでも、彼女は、何も言わなかった。


「分かりました」

 私は静かに頷いた。沈黙、それが答えだろ。

 もし、ニコラが殴られてないなら、もしくはニコラ自身も加勢する側だった場合は「大丈夫」って言うだろ。

 言わないって事は、大丈夫じゃないけど──それが他人に知られたら、自分がとがめられるしまた殴られるから言いたくないんだろう。


 私は席を立つとメイドに目配せする。

 退室しようと身を翻したメイドの耳元に、小さく声をかけた。

「お手間をかけて申し訳ないですが、交代で彼女を見張っていてください」

 その声を聞いて、メイドは小さく頷いてくれた。

 ホント、手間かけさせて申し訳ない。眠いだろうに。明日私からアンドレウ公爵様たちに伝えておくから。

 窓の外をじっと見つめるニコラの母をそのままに、私はメイドに続いて部屋を出た。


 ──と。マジか。

 部屋を出るとそこには、ガウン姿のツァニスが部屋の外の廊下の壁に、背を預けて待っていた。

「待っていてくださったのですか? ありがとうございます」

 私がサラリと頭を下げると、二の腕をぐいっと掴まれる。

「お前を寝室まで連行する」

 なんだって!?

「メルクーリ辺境伯に、『部屋から出て来たセレーネを捕まえておけ』と言われた。私も同意だ。この状況で、お前が何もしないと思えない」

 わー、正解☆

 クッソ! バレたかっ! ニコラが無事かどうか、確認しに行きたかったのにっ! 窓から出ればよかった!!

 私たちを後目しりめに、メイドはそそくさとどこかへ行ってしまった。空気読めてるアンドレウ公爵家のメイド最高! 違う! そうだけどそうじゃない!


 私は何とか掴まれた二の腕を離してもらおうと肘を引いたが、ツァニスは許さなかった。

 なので、観念して彼と話す事にする。

「……ニコラの母親がああだという事は──」

「分かっている。メルクーリ辺境伯がもう動いている。明日の朝一でニコラの家に人をやる予定だ」

 速攻で言葉を被せられた。

 明日の朝一……

「それで、遅かったらどうします?」

 私が静かにそう言うと、ツァニスがグッと喉を詰まらせた。

「明日の朝一向かって、もう、ニコラが殴り殺されていたら、どうする?」

 私は丁寧な言い方をやめて、再度ツァニスに問う。丁寧な言葉遣いでは、この私が抱えた緊張感は伝わらない。

 ツァニスが私から視線を外す。眉根を寄せて考えていた。

「私は、時間を置いた事による最悪の事態を避けたいだけ。ニコラの無事が確認できればそれで良い。別に殴った相手をぶっ飛ばさな──い事もないかもしれないけど、でもまずはニコラが無事かどうかが確認したい」

 私は、真っすぐにツァニスの顔を見て告げる。

「妻の顔の形が変わるまで殴る男が、女装する息子をそのままにしておくわけがない」

 トドメの一撃。

 正論だった為か、ツァニスが苦々しい顔をして私を見下げてくる。

 少し言い淀んだ彼だったが、意を決したように口を開いた。

「それでも、お前がまた危険に首を突っ込もうとしているのを看過かんかできない。死にかけたのを忘れたのか」

 ド正論で打ち返されたッ!

 今度は私が喉を詰まらせる番だった。

「お前がいくら強くても、相手はメルクーリ辺境伯やサミュエルとは違う。お前を殺そうとしてくるかもしれないんだぞ。

 そんな相手がいるかもしれない所に、お前をやるわけにはいかない」

 いつもは言葉少ない彼が、真っすぐに淀みなく私にハッキリとそう告げた。


 心配してくれているのが、掴まれた腕から感じられた。

 前までの彼だったら違っただろう。前に出る私がうとましくて、後ろに下げたがっているのが透けて見えていたから。

 しかし、今は。

 彼は、私を心配してくれている。

「心配してくださっているんですね。ありがとうございます、ツァニス様」

 私は、二の腕を掴む彼の指をそっとほどき、そしてその手を両手でぎゅっと握った。

 彼の目を真っすぐに見つめ返し、そして私は私の気持ちを言葉で伝える。

「しかし私は、今自分が出来る事をせずに、最悪の事態を想定しながら待つ事ができません。今回のこの場合、無駄に時間を経過させる事が悪手だと感じているから動きたいのです。

 私が命をかけて守ったニコラを、他のクソ野郎が殴っているかと思うとハラワタが煮えくり返ります。

 だから──」

 ちょっと一部本音が漏れちゃったけど、そのまま続けた。

「心配だというのなら一緒に行きましょう。ツァニス様が、私の背中を守ってください。私も貴方の背中を守ります。

 二人で行けば、安全だと思いませんか?」


 ツァニスが、息を飲んだ。

 恐らく、そんな事言われるとは夢にも思わなかったんだろう。

 私が、説得に応じて引き下がると思っていたんだな。

 そんなワケはない。

 アティがあんなに慕っていたニコラを、みすみすボコボコにされてたまるか。

 同じだけ殴り──いや、腕力だと物足りないな。蹴り尽くしてやるわ。ピンヒールでじゃないだけありがたいと思え。

 ツァニスが、渋い顔をして考え込んでいた。

 私の言い分をちゃんと聞いて考えてくれる。ここで速攻で『ダメだ』と言わないのが、彼の甘いところだな。


 何かにふと気づいたツァニスが、首を横にフルフルと振った。

「……いや、我々が行く必要はない。今すぐ確認したいというなら、誰かを行かせればいい」

 ぐぁ。そうきたか! ですよね! 確かに!!

 偵察に、大将自らが出陣する必要ねぇってか! 正解っ!!

 チッ……騙されてくれるかと思ったけど、そう何度も騙されないか。


 ……まぁ、別にこの目で確かめたいワケじゃなく、無事かどうかが知りたいだけだから。別に構わないけれど。ま、できれば、自分の目で、確かめたかったけど。

 それは仕方がない。

 頭ごなしに『ダメだ』『口を出すな』『黙っていろ』と言う男が多い中で、ツァニスがちゃんと話を聞いてくれた事、私の案も一部飲んでくれた事が嬉しい。

 ま、ホントはさ。物凄い不公平を感じているけどね。

 男は聞く耳を持つ事が偉く、女はそれが当たり前ってところにさ。ま、今はそれどころじゃないから置いておくとして。

「私の話を聞いてくれて、折衷せっちゅう案を出していただけて嬉しいです。ありがとうございます、ツァニス様。

 貴方のそういう所は好きですよ」

 ちゃんと、伝えないとね。


 それを聞いたツァニスは驚いた顔をした後、段々と渋い顔になっていった。

「そういう所……」

 若干納得のいっていないような顔をしたツァニスだったが、私に催促されて、アンドレス公爵とレアンドロス様に相談しに、彼らの部屋の方へと足を向けるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る