第105話 宿題について考えた。
子供たちに宿題を出しつつ。
子供達に考えさせるんだから、私も自分なりの理由を考えておかないとねー。
『何故スカートは女性のものと認識されているのか』
一人でじっくり考えたかったので、深夜にまたバルコニーで夜風に当たりながら。
ここ、いい。落ち着く。良い場所を見つけたな。ワインも進むー。
しかし、他の事も思い出す。
ニコラの事。
前に私が『非人道的じゃなければいい』とか言った時に、ニコラは泣いた。
あれってつまり、男だと隠して可愛い恰好をしている事が、ニコラにとっては『非人道的』だと感じたって事だよね。
そういう感覚って、誰かから植えつけられないと持ちえないもの。
──十中八九、あの父親だろうな。
ニコラが女の子だと勘違いされている──女の子の格好をしていた、自分が辞めさせようとしていたにも関わらず──といったところか。
あの父親に関わらず、この世界での『洋服』は『性別や立場を示す』アイコンとしての意味合いが強い。確か、日本の江戸時代もそうだったと、うろ覚えの前世の記憶の中にある。
誰もが好き勝手な格好はできないのだ。
特に性別を飛び越えた格好は、嫌悪感丸出しで忌避される事があるんだよね。意味分からないけれど。
でもさ。屋敷の中だけなら、構わなくないか? 別に国王謁見とか冠婚葬祭じゃないんだから。ただ、閉じた世界の中で好きな格好をしていただけだよ。
しかも、させたのは私たちだ。
なのに、何故あの父親はニコラの方を責めた? 私たちが貴族だから? いやむしろ、貴族が勝手にやった事なんだから、余計にニコラを責めるには筋違いじゃないのか? 事実が分からないなら余計に。
しかもしかも。都度都度ニコラを小突き回しやがって。しまいには愚息だ? 愚妻だ? お前が愚かなだけだろうがッ!!
ガンッ
思わず、バルコニーの手すりを殴る。
でも、熱くなった頭を冷やすにはちょうどいい痛さだな。私が怒りを抱えても仕方ないし……
「揺れたな、屋敷が」
そんな声が突然後ろからかけられた。私は驚いて後ろを振り返る。
バルコニーに出る為の窓の所に、腕組みして笑うレアンドロス様が立っていた。
なんでいるのーっ!? そしてなんで声かけてくるのーッ!?
やめてください、勘弁してください。実はまだ微妙に気まずいんです。特に、二人っきりだと!! もう!
よし。今回は
私は人妻私は人妻私は人妻私は人妻私は人妻。
よし、今日はイケる気がする。だって寝室に戻ればツァニスいるし。大丈夫。私の心は揺れない。穏やかに凪いだ海のよう。ほうら、そう思うと全然問題ナシ。余裕余裕。
「セレーネ殿にはいちいち驚かされる。毎日が退屈しない」
そう、優し気に微笑みつつこちらへと寄ってくるレアンドロス様。私が足元に置いていたワインボトルをひょいっと拾うと、私のグラスへと視線を落とす。
グラスを差し出すと注いでくれて、自分は──ボトルごと
……私は人妻私は人妻私は人妻私は人妻私は人妻私は人妻私は人妻私は人妻……
「今日の問答は特に面白かった。俺も考えた事がなかった事だし、何より子供たちに『考えさせる』というのがいい。考えさせた、理由もな」
彼は、ボトルを持ったままバルコニーに両腕を乗せてもたれかかる。
ふとこちらを一瞥し、ウィンク。
ダメだ。見てはいけない。これは見てはいけないものだ。危険極まりない。アカンヤツ。
私は慌ててレアンドロス様から視線を外して、夜空の方へと視線を向けた。
落ち着け。彼はいっつもウィンクとかするだけだから。クセみたいなもんだし、ゼノとかにもしてたじゃん。他意はない他意はない他意はない他意はない他意はない。
「俺は、子供たちに苦労や命の危険に脅かされない平和な国にする為に戦っているが、それだけではダメなのだと、セレーネ殿の言葉に気づかされたよ」
横から、彼の落ち着いた声が聞こえてくる。
「子供はいずれ親元を離れ巣立つ。その時には既に『自分で判断する』事に慣れておく必要があるのだな。新兵の教育と同じか。ま、しかし、ちょっと気が早いような気もするが」
そう喉の奥で笑った。
「確かにまだ二人とも四歳で、物事の道理を理解する前ですが……だからこそ、考えて欲しかったのです。『今ある決まり事』が何故あるのか。その道理に頭から染まってしまう前に、疑問を持つクセをつけてほしくて」
領民や国民の生活如何が、彼らの判断に委ねられてしまうのであれば、『昔からそう決まっているから』と思考停止していられない。
「昔をなぞるだけでは、昔より悪くはなっても良くはなりませんからね」
昔は上手くいっても、今は上手くいくとは限らない。
昔とは状況が違うから。だから、絶えずアップデートしていく必要があるんだよね。私も含め。
「そういえば、セレーネ殿はどう思うのだ? 『男がスカートを履いてはならない理由』は」
レアンドロス様にそう問われ、私は視線を下げる。まだ形になっていない考えを形にする糸口を探す。
「そうですね……理由は簡単です。『スカート』が『女性』を示すものだからです」
そこまでは簡単なんだよ。ゼノでもエリックでもそれは分かっていた。
問題は『どうしてそうなったのか』と『性別を超える事に忌避感がある』理由だよね。
「そもそも、服が着ている人間の属性を表すのは理に適っています。軍服等は特にそうですね。所属や階級、役割を言葉によらず示す事ができます。味方にも敵にも」
「そうだな」
「だから、『スカート』が着ている人間を『女性』だと示すものである、という事自体には、なんら問題を感じません。問題は……そこじゃない……」
言語化して、改めて自分の中の違和感に気づいた。
そうだ、そこが問題じゃないんだよ。問題は──
「何故、『性別』を示す必要があるのか、何故、それが『スカート』であるのか……」
これは、二つの大きな問題を内包してる? いや、もっと複数の問題が複雑に絡み合って、この違和感が生まれているのか。
──ああそうか。私の男装が、赤の他人にバレない理由は、それだ。
「そういえば、剣術大会に出ていた時に、誰も私を女だと疑いませんでしたよね」
私は自分の中に浮いてきた消えそうな答えを求めて、レアンドロス様に問いかける。彼の顔を見上げると、彼は私から視線を外して記憶をまさぐっているかのような顔をしていた。
「そうだな……セレーネ殿が戦う前までは、俺もセレーネ殿であるとは気づかなかった。まだ年若い少年騎士かと思っていた」
それと同じ。私が女性であると示すものを身に着けていないから、自然と男だとみんな思い込むんだ。
思い込みの力は思ってる以上に強い。時には見た物・聞いた物・その記憶すら歪める。
逆に実家の人間がすぐ気づくのは、その思い込みがないからだ。
あれ……でも──
「なんで……女は女である事を示さねばならないのでしょうか……」
そうポツリと呟いてから、ある事に気づいてしまった。
考えるまでもない。そんなのは明らかだろうよ。
「男と女では、持つ権利が違うからですね……」
そうだよ。そんな事、私は前から気づいていたじゃないか。だからいつも不満に思ってたんだ。
「同じ事をしても、男は許され女は許されないから。それを、一目で判別させる為に……」
セルギオスの格好をしていた時には、誰にも何も言われなかった。剣術大会に出てたって、馬に乗ったって汚い言葉を使ったって、誰も咎めない。
だけど。
女なのに剣を持つな。
女なのに馬に乗るな。
女なんだから丁寧な物腰と言葉使いでいろ。
何度言われただろうか。
でも待てよ?
それって──
「男にも不利益になる。権利があるのに行使できない男は落第者のレッテルが貼られる……男なのに剣が扱えない、男なのに馬に乗れない、男なのに柔らかい言葉を使うな女みたいに──」
セルギオスが、本当のセルギオスが、何度も浴びせかけられてきた言葉じゃないか。
「セルギオスは……ただ得意じゃなかっただけなのに……努力するだけの体力がなかっただけなのに……ただ、優しかっただけなのに……」
何故、そんな価値観を一方的に押し付けられ、私たちは罵倒されなければならなかったんだろうか。
「逆の身体で生まれてくれば、セルギオスも私も、こんなに辛い目に合わなくて済んだのかな……」
そうだよ。
熊に襲われても一命を取り留める体力があり、剣が得意で馬にも乗れる。気性が荒くてつい口汚くなるのがセルギオスで、
病弱でも剣にも馬にも触る必要がなく、誰にでも優しく対応できるのが私だったら。
誰からも何も言われず、穏やかに生きて──セルギオスは、死なずに済んだのに。
「逆なら、良かったのに……」
そんな言葉が、口からポロリと漏れた。
「違う。俺はそうは思わない」
私の思考に割り込んできたのは、レアンドロス様の強い声だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます