第104話 喧嘩が始まった。

 驚いて、私は声の主をマジマジと見下ろした。

 他のメンバーもビックリした顔で声の主を見ている。


 声の主は──アティだった。

 目に涙を溜めて、憤怒の表情をしていた。

 あ……アティ? 怒ってるの!? しかも、そんな顔も出来るの? いつもの天使みたいな顔を真っ赤にして、メチャクチャ怒っている。

 ああ。前に、マギーが休暇を取った時も似たような感じだ。自分の考えと違うことが目の前で展開されたから、アティは怒ってんるんだね。

 なんだろう。泣きながらも一人で悲しみに向き合ったからかな。なんか、ちょっと、強くなってない?

 キュンとなんか、してないよ? 全然してないよ?


「にこらはすかーとはいてもいいんだもん! かわいいもん! はいていいんだもん!!」

 いつものアティとは別人の、キッという強い表情でエリックを睨みつけていた。

 反対にエリックはポカンとした顔。

 まさかアティに否定されるとは、夢にも思ってなかったんだろうなぁ。

 いや、私も思ってなかったよ。ここに居る誰しもが思ったんじゃないのかな。


 少しパクパクと口を動かしていたエリックだったが、次第に顔が赤く染まっていく。

「へんだ!! にこらはおとこだぞ! すかーとはいたらだめなんだ!!」

 口から泡を飛ばしてそう反論するエリック。

 自分の言葉が否定されたからか。それとも、いつもは自分が何をしても怒らないアティが怒ったからか。ムキになってるな。

 しかしアティも負けず劣らず顔を真っ赤にして叫んだ。

「だめじゃないもん! へんじゃないもん!!」

「へんだ!!」

「ちがうもん!!」

 エリックとアティが、テーブルを挟んで喧嘩を始めてしまった。……初めてじゃね? 二人が喧嘩するの。


 まさか、こんな日が来るなんて……!

 二人が! 意見をぶつけ合ってる!

 自分の意見を相手に主張してるっ! 特にアティ!! アティ変わったね! 本当に変わったね! いいよこの変化! ちゃんと自分の意見が言える事はいい事だよ!!

「……セレーネ、何故嬉しそうにしてる……」

 アティをは挟んで隣に座ったツァニスに、ゲンナリとしながらそう突っ込まれてしまった。

 あ、しまった。顔に出てたか。

「止めないのか?」

 ツァニスが更に言い募ってきた。止めろって? そう思うなら自分が止めろや。

 私は首を横に小さく振った。

 私は止めないよ。意見のぶつかり合いは悪い事じゃないと思ってるし。

 子供同士が喧嘩する事も、まだ悪い事じゃない。

「手が出たら止めますが。ここで無理矢理止めたら、二人の中に『理不尽』だと思う気持ちが残ってしまいます。でも、止めたいならどうぞ」

 そういうと、ツァニスは苦い顔をして黙ってしまった。


 私は暫く様子見した。

 レアンドロス様もお茶を飲みながら二人の様子を見ているだけ。

 イリアスやゼノ、マギーやサミュエルが、焦りながら私を見たが、私は首を横に振る。

 他の使用人たちもアワアワしていたが、我々が動かないので困りながらもただ見守っていた。


 次第にエリックが優勢になっていく。

 アティはあまり意見を言う事を今までしてこなかったし、誰かにああやって強く言われる事もなかったからだろう。

 次第に口を閉し、スカートの裾をギリリと強く掴んで、目に涙をいっぱい溜めていった。


 アティが何も言わなくなった事に、エリックは満足したのか

「へんだ!!」

 最後のトドメのように、そう強くアティに言い放った。


「はい。そこまでです」


 私は少し大きな声で場を締めた。

 エリックは勝ち誇ったかのような顔をしている。

「エリック様は、ニコラがスカートを履く事を変だと思う。アティは変だと思わない。そして、その考えは変わらないっていうのは、分かりましたよね?」

 私はエリックの顔、そしてアティの顔を交互に見ながらそうまとめる。

 エリックはいぶかしげな顔、アティは悔しそうに小さくコクコク頷いていた。

「だってへんだ」

「そうですね。エリック様はそう思うのですよね。それは分かりました」

 私はそう言いながらも、アティの手に自分の手をそっと重ねる。

「でも、アティはそう思わないと言っています。エリック様も、それは分かっていただけましたか?」

 そう問いかけると、エリックは首を横にブンブンと振る。

「へんなのはあたりまえだ」

 私が同意しない事が面白くないのか、エリックはまた怒った顔で私を睨みつけてくる。


「エリック様。聞いてください。私が今確認しているのは、エリック様とアティの意見が合わなかった、それをご理解いただけたか、ですよ?」

 重ねてそう問うと、エリックは口をひん曲げて、それでもコクリと頷いた。

「アティも、エリック様がどう思うのか分かりましたよね?」

 今度はそばにいるアティにそう問いかける。

 涙をいっぱい溜めた目で、私を見上げてくるアティ。笑いかけると、小さくコクリと頷いた。

「でも、ただ『変だ』『変じゃない』という事だけを相手に押し付けても、相手は納得できません。まずはそう思う『理由』を相手に伝えましょう?」

 私もツァニスと意見が合わない時はその理由を伝えるよ。まぁ、口汚く、だけど。それは二人っきりの時だから。人前でだと──慇懃無礼いんぎんぶれいな言い方にはなってるかなぁ。ははっ。……気を付けよう。


「ではまず、アティの理由を聞いてくださいませんか? エリック様」

 私はエリックの顔を見て真っすぐに問う。

 一瞬『なんで!?』という顔をしたエリックだったが、横に座るイリアスが『まずは聞こうよ』と声をかけた事で、納得してくれた。イリアスありがとう。

「アティ。ニコラがスカートを履いても変じゃないと思う理由をエリックに伝えてみてください」

 アティの手をポンポンと優しく叩く。促されたアティは、口をへの字にしながら困った顔をして、私の手をギュっと握り返してきた。

 なので

「大丈夫。少しずつでいいんだよ」

 彼女の顔を見ながら頷いてみせた。


「……にこら、かわいかったもん」

 シンとした部屋に、アティの小さな声がかすかに響く。

 そうだね。私の目から見ても、女の子の格好をしたニコラは可愛く見えていたよ。……まぁ、私の場合『子供』というだけでみんな可愛く見えてしまうんだけどね。

「なんで……かわいいのに、すかーとはいたらだめなの?」

 アティのそんな疑問に、大人たちが少しザワリとする。

 その疑問に答えたのはエリックだった。

「かわいくても、おとこだからだめなんだよ」

 エリックは、少し不貞腐れたかのように、口をとんがらせてブッスリとしていた。

 そんな彼の顔を真っすぐに見たアティは

「なんでおとこだと、すかーとはいたらだめなの?」

 そんな純粋な質問をなげかけた。すると、鼻の孔を広げてドヤ顔するエリック。

「すかーとはおんなのものだからっ!!」

 さっきのゼノの言葉をそのまま言うエリック。

 すると、アティは返す刀ですぐ切り返した。

「なんですかーとはおんなのものなの?」

 うっ、とうなるエリック。アティ、良い質問。

 私はわざとエリックからの返答を待った。

 困った顔で目を泳がせるエリック。助けの視線をイリアスに投げかけていたけど、イリアスはニッコリ笑っただけで何も言わなかった。言うワケなかろう。エリックが困った顔するの、イリアスは見るの好きなんだから。

 次に視線ですがったのはゼノに対してだった。

 視線を投げかけられ、ゼノがちょっと口を開こうとしたが──止まった。

 よく見ると、レアンドロス様がゼノの背中を触ってる。多分、獅子伯が止めたのだろう。

 ゼノも口を開かなかったので、エリックは物凄く焦った顔をする。


「……だって、そういうものだから……」

 エリックが、さっきまでの勢いはどこいったんだというぐらい小さな声で、そうポツリと呟いた。

 流石にそろそろ助け船を出さないと可哀そうかな。

「そうですね。今はそういうものですよね」

 私がそうサポートすると、エリックの顔が輝いた。分かりやすすぎるぞエリック。

「でも、じゃあ、なんでそういうものなのでしょうか?」

 重ねてそう問うと、エリックの勢いがみるみる間にしぼんでいった。イリアスじゃないけど、エリックの百面相、面白い。


 私はニッコリ笑って、エリックとアティに宿題を出す事にした。

「エリック様、アティ。物事について、『昔からそういうものだから』という事で考えるのを止めてしまうのは、とても勿体ない事だと私は思います。

 理由を知る事は、とても大事だと思いませんか?」

 そう二人に問いかけると、二人は不思議そうな顔をしながら私を見返してくる。

「アナタたち二人は今後、もしかしたらこの国で大切な物事を決める立場になるかもしれません。そんな時に『昔からこうだと決まっているから』で、考える事を止めてしまったら、国は緩やかにダメになっていってしまいます。

 物事は絶えず変化しているからです。

 昔決められた物事の理由を確認して、場合によっては時代に合わせて変えていく柔軟さが必要です」

 今の二人にはまだ少し難しいかもしれないけど、この言葉の意味が、いずれ分かる時が来ると信じて、私は真摯しんしにそう伝えた。

「丁度よい機会ですから、イリアスもゼノも、一緒に考えてみませんか?」

 そう重ねると、ゼノが『えっ!?』と驚く。しかしイリアスは、私に言われる前に既に考え始めていた。


「これは正解不正解を競うものではありません。自分なりの『こうじゃないか』という理由を考えるんです。考える事と、他の人の考えを聞く事が大切なのですから」

 私がそう締めて、すっかり冷めたお茶を一口飲んだ。あー。言いたい事を言った後のお茶はウマイ! 冷めてるけどウマイ!!

 私の出した宿題に、子供たちは困ったような顔をしている。子供だけじゃない。周りにいる大人たちも、それぞれが難しい顔をしていた。


「面白い」

 今までずっと黙っていたレアンドロス様が、そう一言呟いてニヤリと笑った。

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