第103話 泣いて過ごした。
ニコラがいなくなったその日の昼前頃。
アティが目に見えて意気消沈している事に胸が痛んだ。
ニコラが残したハンカチの刺繍をぎゅっと抱きしめて離さない。
恐らく、肌で感じ取ったんだろうな。
もう、ニコラには会えないって。
その姿を見るだけで、ヤバイ、もう、無理。泣けてきてしまい、居ても立っても居られなかった。
しかし、アティを慰める為に抱きしめようとしたら
「やだ」
と、拒否されてしまった。
ハートブレイク。心臓止まるかと思った。いや、止まった。ガッツリ数秒止まったよ、マジで。
一瞬にして頭から血の気が引いて、立ってられないかと思ったよ。ヨロめいて、隣に立ってたマギーに寄りかかろうとしたら避けられて壁に激突した。痛かった。
一瞬マジで気が遠くなった。見えたアレは、もしかして三途の川だったのかなぁ。綺麗な川だったなぁ……
ものすっごくショックだったし、ものすっごく心臓痛めたけれど。
私は、私を拒否したアティに、何も言わなかった。マギーも、ずっとアティを見ているだけだった。
これは、自我の確立の第一歩なんだよね。
悲しい。辛い。なんで? 寂しい。酷い。
そういった、怒りとか悲しみとか激しく渦巻く気持ちを、自分で消化する為に一人で頑張ってるんだよね。
自分にも私たちにもどうしようもない事だから、なんとか気持ちを自分でなんとかしようとしてるんだよね。
ハンカチを抱きしめて、窓の外をジッと見ながらもボロボロと涙をこぼすアティの背中を、私は同じ部屋の中の反対側に置かれた椅子の上で見ていた。
マギーもただひたすら編み物をしていた。彼女にしては珍しく、何度も網目を間違えて舌打ちしているのを見た。
ね?! 辛いよね! マギーも私も同じだけ辛いよね?! 撫でぐり回して慰めて、ベロベロに甘やかしたいよね!!
でも! アティがっ! 一人で! 我慢しようとしてんだもん!!!
私も耐えねばならん! これは私らにとっての試練でもある!!
私とマギーは、アティの自立の第一歩を、ずっとそばで見守り続けた。
どれぐらいアティは窓の外を見ていたんだろうか。
ゆるりとこちらを振り返った。
顔は真っ赤。涙と鼻水でグチャグチャになっている。
「おかっ……あさっ……」
アティはもう、泣くのを我慢しすぎて止まらないひゃっくりをしつつ、掠れた声で私を呼ぶ。
震える足でヨタヨタとこっちへと寄って来た。
しかし、泣いて前後不覚になってるのか、フラフラとして上手く歩けなくなっている。
「おかっ……あっ……さまっ……」
アティが私に向かって両腕を広げてきた。
「アティ!!」
私はすかさずその体を抱き上げて、ギュッと抱き締める。
すると、私の肩に顔を埋めたアティは、ふぇぇと小さな声を上げて泣き始めた。
「寂しいね。辛いね。悲しいね。よく頑張ったね。偉いよアティ」
アティの頭を優しく撫でながら、彼女の悲痛な思いを受け止める。
マギーも私の隣に立って、目を潤ませながらアティの背中を優しく撫でていた。
「にこらっ……もうっ……こないっ……のっ?」
アティが、私の肩に顔を埋めたままそう問いかけてくる。
私は思わずマギーの顔を見てしまった。
マギーは悲しそうな顔をして、小さく首を横に振る。
「分からないんだ。ゴメンねアティ」
上手くすれば、この別荘にいる間は通いででも、一緒に遊べるかと思ったけれど。
どうやら状況がそれを許さないみたい。
あの様子では、恐らくニコラはもうこの屋敷には来ないだろう。
いや、来ない、というより、来れない、だ。
でも、アティに会わさなければ良かったなんて思わないよ。誰かと仲良くなる事は悪い事じゃない。友達や大切な人たちとの出会って別れてを繰り返して、人は人の大切さを実感していくものだから。
本当に。どれだけ相手が自分にとって大切だったのかは、失ってからじゃないと分からない事が多々あるし。失ったり、失いかけないと分からないっていうのは……ホント、人間って変な生き物だよね。
私では教えられない事を沢山教えてくれたニコラには物凄く感謝している。できれば、もっと沢山の事を教えて欲しかったけれど……
「にこらにっ……あいっ……たいっ……」
そうさめざめと泣くアティの頭を優しく優しく撫でつつ
「そうだね。私もだよ」
そう、慰める事しかできなかった。
***
「なんでにこらは、おとこなのにすかーとはいてたんだ?」
おやつのスコーンを頬張りながら、エリックが無邪気な質問を投げかけてきた。
午後の休憩を兼ねたティータイムのその場には、世話役のイリアスは勿論、ゼノとアティの他、私とツァニス、レアンドロス様もいた。サミュエルとマギーは、部屋の片隅で他の使用人たちと一緒にティータイムの介助をしている。
アンドレウ公爵夫妻は、用があるという事で出かけてここにはいなかった。
また難しい問題をサラリと聞いてくんなぁエリック。
この世界での男女の服のアレコレは、現代日本の感覚も持っている私の目にはかなり
例えば、私は家の中では好きにさせてもらっているし、実家でも
『履かない』んじゃない。『履いてはダメ』という暗黙のルールがあるような感じなのだ。合理的な理由はないにも関わらず、だ。
そして、ヒールのある靴を強制される。
私は個人的にはヒールも好きだから構わないんだけど、強要されるモンじゃねぇよな、といつも思う。
逆も然り。男性がスカートを履く事は、民族衣装以外ではほぼほぼ見ない。
だから、文化という側面も強いけれど、そうではない裏側に潜む『言葉にしない妙な違和感』のようなものを、私は感じていた。
うーん。どう言おうかな。
チラリとツァニスとレアンドロス様の顔を見てみたが、ツァニスは眉根を寄せて『変な事聞いてくるな』という難しい顔、レアンドロス様は何故かニコニコとエリックを見ていた。
レアンドロス様は『純粋な質問をしてくるエリック可愛い』と言いたげな顔だなぁ。質問に答える気は無さそう。
うーん。どう伝えたもんか。
私は脳内をフル回転させて言葉を探した。
「そうですね……似合うから、じゃダメですか?」
そもそも、ニコラにスカートを履かせたのは我々だ。ニコラのもともとの服はチュニックとハーフパンツだし。
女の子だと思いこんでいた私を始め使用人たちやアンドレウ夫人が、スカートを用意したのだ。
ニコラはただ、拒否しなかっただけ。……喜んでいたようにも、見えたけど。
「でも! それってへんだ!!」
エリックが、首を横にブンブン振って私の言葉を否定した。
おうエリック。私に対してそんな強い言葉を使っちゃうか?
例え幼児にでも手加減しねぇぞ? 私はオトナゲナイからな!!
「エリック様は、どう変だと思われたのですか?」
私はカップをカチャリと置いて、ニコニコと彼に尋ねてみた。
問われて、エリックは口を大きく開けて──言葉が出なかった。ん? と首を傾げる。
「……なんか、へんだ」
そうだよねぇ。エリックはまだ、その『変だと思う理由』を意識してないよねぇ。
「では、少し考えてみましょうか。ニコラがスカートを履く事が、何故変に思うのか」
私は、エリックにそう催促してみた。
エリックは、スコーンをお皿の上に置いて、腕を組んで考え込む──ああ、腕、組めてない。それ、ただ腕をクロスしてるだけや。出来ないのにしたいお年頃かよ。可愛いなオイ。
でもいいよ。めっちゃ考えてるね! 脳みそフル回転してるのが見て分かるよ!
その間に、私はゼノの方へと振り返る。
「ゼノはどう思いますか?」
そう問いかけると、聞かれるとは思っていなかったであろうゼノがビクリと肩を震わせた。
「えっ……あの……その……」
ゼノは目を白黒させて困っている。アセアセとした表情で、一度レアンドロス様を見上げていた。こっちもこっちで可愛いな。こうしてると年相応の少年に見える。いつもは背伸びして頑張ってるんだねぇ。
「ゼノ。私は正解を求めてるのではないので、思った事を言っていいんですよ」
そう優しく続けると、ゼノはホッとしたような顔をした。
「スカートは、女の人が履くものだから……」
ティーカップを両手で包み込むようにして持つゼノが、そうポツリと呟いた。
その瞬間、鬼の首を取ったかのような顔をするエリック。
「そうだ! おんなのものだからへんだ!!」
強くよう言い切ったエリック。
オイコラ。それはゼノが言ったんであってエリックは乗っかっただけだからな。さも『自分が言いました』的な顔すんな。
……まぁ、そうだよね。そう思うよね。というか、文化として現時点ではそういうものだからね。
さて。ここからどう話そうか。
私がエリックが分かりそうな言葉を色々探していた時だった。
「へんじゃないもん!!」
強い言葉が、その場に響き渡った。
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