第101話 不安そうだった。

 ツァニスとサミュエルが変な事を言い出したから!!

 あれからレアンドロス様と顔を合わせるのが、なんだか気まずくなってしまったじゃないか全くもう!!!


 あのバトルから何でそんなもん感じ取ってんだよ!! どこがだよ?! なんで?!

 ……いや、確かに、楽しかったけれど……違うよ?! ただ戦ってただけだからなっ?! 色気など一ミクロンも含まれてねぇからな?!

 私もレアンドロス様も、ただ対戦のようなものが好きなだけだからな?!

 だよねっ?! もしかして私だけっ?!!

 いや! そんなワケねぇって!

 男だからそういう風に見えただけ?!

 ああもう! あの場にマギーがいたら聞けたのに!!


 なんだか妙に寝付けなくて、私は別荘のバルコニーでワインを片手に頭を冷やしていた。

 夜の、ひんやりとした湿度を含んだ風が気持ちいい。

 バルコニーに置かれたベンチの上で目を閉じていると、気持ちが少しずつ凪いでいく。

 自然と気持ちが落ち着いた。


 目を閉じて、サワサワと夜の風になびく木々のさざめきと、騒がしい虫の鳴き声に耳を傾ける。

 こうしていると、アンドレウ公爵家の別荘にいるのが──結婚からここまでの出来事が嘘みたいに感じる。まるで実家にいた時のよう。


 このまま、ここで眠りたい気分だな──


 そう思っていたら、後ろでカチャリと窓が開く音がした。

 誰だろうとゆっくり振り返ると、そこにはニコラが立っていた。

「あのっ……姿が見えたのでっ……」

 彼女はアセアセと言い訳をしようとするが、私は構わず彼女を手招きした。

 そして、ベンチを少し横にズレて隣を空ける。

「少し、お話ししましょうか」

 私がベンチをポンポンと叩くと、ニコラは左右を見回してどうしようかと逡巡しゅんじゅんしたのち、オズオズと私の隣へと座った。


 そういえば、私はニコラと二人きりで話した事がない事に気づく。

 この際だから、彼女に聞いてみたい事を聞いてみよっかなぁ。

 最初から、少し気になってた事があるし。

「無理矢理引き止めてしまってごめんなさいね」

 彼女の顔を見ながらそう謝ると、ニコラはブンブンと首を横に振った。

「そんなっ……」

 そう否定したが、そこから言葉が続くことはなかった。

 私は一つ小さく息をつく。

 少し聞きにくい事を彼女に問いかけるから、彼女を傷つけないかが、少し怖かった。

「……最初、貴女にお家の事を聞いた時に、言いたがらなかったでしょう? 家に──帰りたくないのかな、と思いまして」

 最初に感じた違和感。

 家の事を教えてもらった時の、あの、暗く何かを諦めたかのような表情。

 なんか、気になってたんだよね。

 家の事に触れないニコラは、控え目だけどとても明るくよく喋る子だったし。

 私は、彼女からの言葉を待ってみた。

 ニコラは、膝に置いた自分の指をジッと見ている。

 唇を噛んだり、何かを言いかけてやめたり。

 私は辛抱強く待つ。

 言いたくないのであれば、それでもいいけれど。

 私はまた、夜風に目を閉じて虫の音を聞いた。


「……本当の事を知ったら、セレーネ様やアティは、きっと私を嫌いになる……」

 ニコラが、そうポツリと呟いた。

 え? どういう事?

 小さな声だったから、聞き間違い部分があったかと思って、彼女の言葉を頭の中で反芻する。

 いや、確かにそう言ったよな。『本当の事を知ったら嫌いになる』って。

 え? 何で? 彼女を嫌いになる要素、今のところ皆無だけど? アティも崇拝者になってるし、私もニコラから学ぶ事も多いし。

 彼女が言う『本当の事』というのが何なのか分からないけれど、それがきっと『ニコラの家』と何らかの関係があるという事は感じた。


 私は現時点で思っている事を彼女に伝える事にした。目を開けて、真っ直ぐにニコラを見る。

「何か秘密を抱えているのですね。それは分かりました。誰にでも、秘密の一つや二つはあります」

 私にだってあるしねー。二つどころか三つや四つ……ええと、数えてないけど結構あると思うよ?

 彼女の少ない言葉から拾えた意味は

『彼女の抱えた秘密が、私たちの期待を裏切って失望させてしまう』って事だよね。

 うん。そうか。そう思うんだねー。そっかぁ。

「一つ、言わせてくださいね。貴女が抱えた秘密が何なのかは私には想像もつきません。

 なので、『秘密を知っても、絶対に貴女の事を嫌いになりませんよ』とは言えません」

 秘密が何なのか分からないしね。

「例えばニコラが『実は連続殺人鬼なんです』と言われたら、流石に怖いし離れるでしょうね」

 そう伝えると、ニコラは驚いた顔をした後、クスリと笑った。

「それはないよ」

 そうなん? なら良かった。

「貴女が人道的に外れた事をしていなければ……まぁ、多分、大丈夫なんじゃないでしょうか?」

 人を騙して陥れて蔑むのが好きで好きで仕方がないんです、とか言われたら、分からないけど、そうじゃなければ……まぁ、いけんじゃね?


 しかし、私の言葉に、ニコラが絶望の表情をした。

 え?! 何?! もしかして本当にシリアルキラーだったりすんの?!

「じゃあ……やっぱり無理だよ……嫌われる」

 ニコラは、泣きそうな顔をしつつも、どこか諦めたような顔で笑った。

 なんで、そんな、泣き笑いをすんの?!

 やめてよ! 私が子供のそういう顔に弱いって知っててやってんの?! サイコパスなの?!

 私は思わずニコラの肩を抱き寄せる。抱き寄せて気づいたけど、彼女は身体を震わせていた。恐怖からなのか。

 私は安心させたくて、そのサラサラな髪をたたえた頭を撫でた。

「ニコラは、人を傷つけるのが好きなのですか?」

「……いいえ」

「じゃあ、盗み癖が治らないとか?」

「違う……」

「嘘をついたり人を騙したりする事に快感を覚えるタイプなのです?」

「え……? そんな人がいるの?」

「人を殺した事があるとか?」

「ないよ」

「弱い者いじめが好き? 人を殴ると気持ちがいい? 他人を貶めると嬉しくて踊っちゃう?」

「何ソレそれ怖い」

 彼女の返事で安心した。

 私は彼女の肩を一度ポンポンと叩くと、そっと彼女から身体を離す。

「じゃあ、多分、大丈夫じゃないでしょうか? 多分ですけど。私が『非人道的だな』と思うのはそれぐらいですから。……もしかしたら、他にもあるかもしれませんけどね」

 彼女の顔を見て、ニッコリ笑ってみせた。

 唖然とした顔で、私を見返すニコラ。

 すると、彼女の顔がクシャリと歪んだ。

 その目から大粒の涙がボロボロと溢れてくる。


 あわわわ! 泣かせちゃった! どうしよう?!

 私ベンチから立ち上がり、彼女の前に回って膝をついて、その身体を前から抱きしめた。

 涙でグチャグチャになる彼女の顔を肩に埋めさせて、優しく撫でる。

 彼女が泣いている理由は分からなかった。

 まぁ間違いないのは、私の言葉が彼女を泣かせたって事だけ。


 私は、彼女が泣き止むまで、その背中と頭を、ゆっくりと撫で続けた。


 ***


 彼女の泣いた理由は、あの泣かした日からさほど経たずに判明した。

 彼女が泣いた理由が、現れたからだ。


 ある日の穏やかな日の昼前の事だった。

 アンドレウ公爵家別荘を訪れたのは、身なりの良い夫婦。

 それが、ニコラの両親だった。


 二人はその場に膝をついて頭を下げた。

 別荘の玄関には、家主のアンドレウ公爵の他、ニコラの事を気に入っていた夫人や我々カランリス夫婦とレアンドロス様、そして子供達と勢揃いしていた。

「この度は、ニコラオスがお世話になりました」

 ……ニコラオス?

 ニコラの事だよね? ニコラオス? それって──

は失礼をしませんでしたでしょうか?」

 ニコラオス──息子?! まさかっ?!

 私は、私の後ろに隠れるように身を縮めていたニコラを振り返る。

 私だけじゃない。アンドレウ公爵夫妻もツァニスも、傍に控えていたマギーもサミュエルも、みんなしてニコラを振り返った。


 ニコラは真っ青な顔をしていた。

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