第96話 少女が現れた。
ゆっくりと開いた扉の向こうから姿を表したのはサミュエルだった。
「少し、よろしいでしょうか?」
開け放たれた扉の所に立ったサミュエルは、肩越しにチラリと後ろを見る。
その視線に導かれてそちらを見ると、そこには女の子が一人立っていた。
栗色のサラサラストレートの髪に細い首。ほっぺたのソバカスはキュートで、はにかんだ微笑みを顔に浮かべてこちらを覗き見ていた。オーバーサイズのシャツとズボンを履いている。たぶん、赤い服は濡れたから服を貸してもらったんだね。
年の頃は……ゼノと同じぐらいかな。
「この子が、セレーネ様にお礼を言いたいというので連れて来ました。溺れていた子です」
サミュエルに促され、その子は私の前へと進み出てくる。そして、はにかんだ笑いを顔に浮かべて私にペコリと頭を下げた。
「助けてくれてありがとうございました」
身体全体で感謝の気持ちを体現するその態度に、思わずキュンとしてしまった。
「貴女が無事で本当に良かったです」
私は笑顔でそう返す。
ホントに。助かって良かった。私よりも元気そうに見えるし。命張った甲斐があったってモンだ。
「お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか? 私はセレーネと申します」
ベッドの上だったが、私は刺繍道具を横に置いて背筋を伸ばし、ゆっくりと頭を下げた。
すると、それを真似してアティもペコリと頭を下げる。
「あてぃです」
ああ最高! アティ! 言われなくてもご挨拶できるようになったのっ!? なんて
「私はアティ様の使用人、マギーと申します」
「アティ様の家庭教師をしているサミュエルです」
続いてマギーとサミュエルもフワリと少女に頭を下げた。
少女は、次々に頭を下げられてアワアワしていた。
顔を緊張で真っ赤にして視線を泳がせる。
なので
「貴女のお名前はなんていうのですか?」
私は穏やかに再度尋ねてみた。
すると、手をモジモジとさせた少女は、少しはにかみながらも口を開く。
「ニコラです」
……ニコラ? なんか、聞き覚えが……いや、よくある名前か。
自己紹介が終わったところで、私を
「……家の事を聞いたのですが、言いたがらないのです。まだどこの子供か分かっておりません」
あれま。そうなんだ。
なんでだろう? 家の人に川に落ちた事、告げ口されたら困るのかな?
……困るね。私の母だったら、川に落ちたとか聞いたら速攻で私を捕まえて二時間ぶっ通しで説教するね。分かるよ。
しかし、少女の家族が探しているかもしれないから、このままというワケにもいかないしねぇ。
「ニコラ。言いにくいかもしれないですが、貴女のお家の事を教えていただけますか?」
優しくそう尋ねてみるが、少女は手をモジモジとさせて私からサッと視線を外してしまう。なので
「貴女が川に落ちた事は貴女の家族には言いませんから。農場で私たちと出会って意気投合したので、貴女に無理を言って屋敷まで来ていただいた事にしましょう」
そう提案してみた。
すると、彼女の顔がパァッと輝いた。眩しっ!
サミュエルが小声で『いいのですか?』と尋ねて来る。私は小さく頷いた。
マギーはそしらぬ顔をしている。これについてはマギーからは何も言う事がないって事だな。ホント、マギーってアティの事以外どうでもいいんだな。いっそ清々しくて好き。
私は改めてニコラの顔を見てほほ笑む。
「家の
私が二人の顔を交互に見ながらそう尋ねると、二人はコックリと頷いた。何故かアティも一緒に頷いた。可愛い。よく分かってないクセに可愛い。
「だから、お家の事を教えていただけますか?」
私のこの頭で良ければ、なんぼでも下げたるわ。
そう思って少女にそう言ったら。
少女──ニコラは、信じられないモノを見たかのような顔をして、私をマジマジと見ていた。……え? 何? なんでそんな顔するの? 私の顔、ヤバイ? 私の笑顔、怖い?
その後、凄くホッとした顔をしたニコラだったが──それは一瞬の事で、すぐに暗い顔になってしまった。
なんで? どうしたの?? マジで何かあるの?
「ダメですか?」
私はそう言い募る。
すると少女は
「……わかりました」
何かを諦めたかのように呟く彼女の顔が、酷く痛々しかったのが気になった。
***
ニコラから家の事を聞いたサミュエルが、その家への連絡へと向かった。
しかし、彼に一つお願いをした。
『ニコラを、数日預からせてくれと伝えてくれ』と。
気になったんだよ。ニコラのあの表情が。
なんであんな暗い顔をしたのか。
もしかしたら、私の母より怖い両親なのかもしれない。いや、ウチの母も結構な人だけどね。
『また余計な事を』とマギーに突っ込まれたけど。
いや。でもね。
それ以上にさ。期待した事があったんだよ!
アティに! 友達が欲しいな、と思って!
いやさ、エリックやイリアス、ゼノがいるけれど。みんな男の子じゃん? ここで一人女の子の友達が欲しいなって、私は勝手にそう思ったワケですよ!
勿論、性格の合う合わないもある。だから、無理矢理友達になって欲しい、とかそんな事は思ってない。
でも、まだアティとニコラが合うかどうか分からないじゃん? あわよくば友達になればいいなぁーって。そんぐらい軽いノリでね! そう思ったんだよね!!
私では『友達』にはなれないじゃん?
いや、友達親子っていう言葉もあるけれど。それになるにはまだ早いじゃん? それって、アティの心が『一人の人間として確立した後』の話じゃん?
それまで友達がいないとかって、ちょっとそれはどうかな、と思ってさ!
だから! ニコラに、可能であればアティの友達になって欲しいなって!
さっそく。
今刺繍をしていたんだ、一緒にどうかと尋ねてみたら、ニコラはホンワリとした笑顔になった。
私が使っていた刺繍セットを手渡すと、目をまん丸にする。
「……寄ってる」
知ってる。言わないで。分かってるから。
「……それを続けてやらせるのは酷いですよ。ちゃんと新しいのお渡ししますから」
マギーが、心底嫌そうな顔をして、新しい刺繍セットを手早く準備してニコラに渡してくれた。
ニコラは、用意された椅子の上にちょこんと座ると、スイスイと刺繍をしていく。
……上手ッ! え!? マジ、
「上手ですね……刺繍、よくやるのですか?」
驚いてそう尋ねると、ニコラはフルフルと横に首を振った。
「よくはやりません。時々、ちょっとだけ」
ちょっとしかやらなくてその熟練の指
アティも、素早く模様になっていく布をガン見して、ふわぁぁと瞳から星を飛ばしていた。
「すごい」
感嘆の声を上げるアティ。うう……悔しい……
「本当に、お上手ですね」
流石のマギーも、ニコラの技を見て素直に彼女を褒めていた。
「どうやってるの……?」
まるで手品か魔法を見たかのような顔になるアティ。先ほどまで座っていたベッドからぴょいっと飛び降りると、キラキラした目でニコラの手元を食い入るように見つめた。
「どうって……フツウだよ?」
キョトンとした表情をするニコラ。いや、普通じゃねぇよ。ゼノぐらいの年齢で刺繍がそんだけ上手いって、メッチャ凄い事だってば。
私! 実家で! 散々やらされたけど! この程度だからなっ!!!
いつの間にか、アティはニコラの顔をウットリとした顔で見上げていた。
ニコラはそれに驚いてアティの顔を二度見する。わぁ、綺麗な二度見。
「まほうだねぇ……」
アティのそんな言葉に、ニコラは一度ビックリしたが、
「……母の立場、危うし」
「最初から大した立場じゃないですからご心配なく」
ポツリと呟いた言葉に、苛烈なマギーからのツッコミをいただいた。
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