第94話 水に誰か落ちた。
今いるメンバーの誰かが水に落ちたのかと思い、慌てて周りを見渡す。
子供達は──アティ、エリック、イリアス、ゼノ、全部いる。
護衛もいる。サミュエルもマギーもいる。
あれ、全員揃ってる。
じゃああの音は?
私は水音がした方──川上へと視線を向けた。
「あ……」
護衛の一人が川上の方を指差す。
川の奥、崖側近くの方を流れていく何かが見えた。
なんだろう、動物かな。
なんて呑気に思った瞬間、見えたのは赤い服と短い人間の手。
違う! 動物じゃない!
私は上着を脱ぎ捨てて川に走った。
「ダメですセレーネ様!!」
サミュエルが後ろで叫んでいたが無視。
分かってる! こういうのは助けに行った大人の方が危ないって!!
でも目の前で溺れてる子供がいるのに無視できるかボケ!!
川は思った通り途中から突然深くなっていた。なんとかギリギリまで歩いて行く。川の冷たさに、胸まで浸かった身体が
川の奥は見た目と違い流れが早い。流されないように踏ん張って、川上から流れてくる赤い服を目印に、腕を伸ばした。
なんとかその赤い服を掴み──
その重さに体が引っ張られて足が浮く。
しまった足が!
そう思った瞬間、体が流され川の中に頭が沈む。目の前が
でも、絶対手は離さねぇぞ!!
私は服を引っ張って自分の方へと寄せる。
やはり、その服の中には細い身体がおさまっていた。
まだ意識があるのか、引き寄せた私に必死にしがみついてくる。
私はなんとか一度水面に顔を出した。
早く流れる景色の中に、川べりを走る護衛達の姿が見える。
もう少し、浅い方に寄らないと!!
私はブーツを履いたままだった為、足が重くてうまく泳げなかった。
しかし逆にそれが幸いし、なんとか足を突っ張った瞬間、川の底に足が何度か引っかかる。思い切って一度深く沈み、川の浅い方へ向かって底を蹴る。
なんとか足をばたつかせてもがく。足がまた底についたので、根性入れて踏ん張ってみた。
顔だけが水面から出る。
私は抱え込んだ小さな身体を上へと持ち上げた。
「ゲホッ! げほっ……」
子供が咳き込む音が聞こえる。良かった、まだ生きてる。
「落ち着いて……っ、身体の力を抜いて! 力を抜けば身体が浮くからっ……」
皮下脂肪が多い子供の体は浮きやすい。服を着てると言っても、仰向けになって力を抜けば、顔ぐらいなら水面から出して浮く事が出来るはず。
しかし、子供とはいえ濡れた身体は持ち上げるには重く、水の中では思ったように踏ん張れない私は、再度川の中へと頭まで沈んだ。
川の冷たさが体力を急激に奪って行く。
かじかんだ筋肉に思ったように力が入らない。
なんとか再度川底を蹴って頭を水面に出すが、子供が私の頭に抱きついてきて前が見えない。
「おかあさま!」
ああ、アレはアティの悲鳴。
大丈夫! 私はこんぐらいじゃめげねぇ!!!
「暴れないで、大丈夫」
私はしがみつく子供に声かけした。
時間さえ稼げれば、護衛達が何か助ける算段を考えてくれる。
しかし子供はパニクっているのか、私の頭や肩を押しつけて上へと登ろうとしていた。
また私の体が水に沈む。冷たい水が口から喉に流れて、身体の中から冷えていく。
苦しい。水の冷たさに喉や胸が締まって上手く息が吸えない。
仕方がないっ……
私は自分の体の力を抜いた。
川の流れが私の体を押し流す。
暴れる子供の身体を強く抱え込まずに、ただ私から離れないように優しく抱く。
ブーツの重みで身体が縦になってくれるので、その動きに逆らわずにいると、自然と
素早く視線を周りに巡らせる。
川下の方、もう少し浅いところに倒木があった。
その先が川の中腹まで突き出している。
アレだ!!
「大丈夫、すぐに助ける」
そう子供に声をかける。聞こえているかどうかは分からないけれど。
私は慌てず、少しずつ少しずつ、身体が沈むタイミングに合わせて川の底を蹴って浅い方へと移動する。
水飛沫の間に、もうすぐ辿り着く倒木の所で腕を伸ばす護衛達の姿が見えた。
「だぁ!!!」
私は川底を渾身の力で蹴り、腕に抱いていた子供の身体を上へと放り投げた。
高くは上がらなかった。
でも──
「捕まえた!!」
護衛のそんな言葉が聞こえた。
良かった。子供は助かった。
最後の渾身の力を振り絞った私の身体が、川の流れに押し流される。
護衛の誰かが伸ばしてくれた手に捕まろうとしたけれど、ホント少しだけ触れただけで、掴めなかった。
「セレーネ様!」
今のは誰の声だろう。遠くて誰だか分からない。
クソっ……身体に力が入らない。
服の重さで身体が沈む。なんとか水面に顔を出して、掴まれる場所がないか探した。
浅瀬が遠い。崖側の、川に迫り出した木を掴んだ方が早いか。
浮き沈みを繰り返すタイミングで、なんとか腕を伸ばして、川面にせり出す木の枝に手を伸ばした。
掴めた!
と思った次の瞬間──
バキリと無情な音がする。
折れた枝が、私と一緒に水の中に沈んだ。
頭に浸食してくる絶望感。
身体から力がどんどん抜けていく。
段々と目の前が白み始めた。
いけない、これは、やばい。
低体おんと、けっ
「セレーネ!!」
みずにしずむまえに、
だれかの、
こえが
きこえたきがした
***
えーん、えーん、えーん……
子供が泣いてる。
誰だろう。アティかな。アティが泣いてる?
大丈夫だよアティ、私は心配ないよ。元気だから泣かないで。
元気だよね?
分からない。
手足の感覚がないんだ。力も入らないし。
……いや? あるぞ。手足はある。多分。なんか、重い物が上から乗ってて動かせないだけだ。
指先が動いた気がするし。
瞼が重い。でも、動かせる。大きく呼吸してみたら、胸が膨らんで肺に空気が満たされた。
ああ、生きてる。私、生きてる。
頭の前面が重いけれど、なんとか目をこじ開けてみた。
ボヤけた視界が次第にはっきりして行く。
木製の天井が見えた。
首を少し巡らせて、動かない両腕の方へと視線を落とした。
左右に二つの頭が見えた。金色の頭とプラチナブランドの頭。つむじも見える。
この可愛いつむじ、散々見て匂い嗅いだアレだ。
アティの頭だ。
じゃあこの金髪の頭は、さてはエリックだな?
「目覚めましたか」
コツコツというゆっくりとした足音ともに、にゅっとマギーが私の顔を上から覗き込んできた。
彼女の名前を呼ぼうとしたけど、声が出なかった。
変な掠れた音だけが喉から漏れる。
つか、今気づいたけど、めっちゃ胸が痛い。なんでや。
「間一髪助かりましたけれど。
貴女、アティ様を助けて死ぬなら分かりますが、見知らぬ子供を助けて死ぬとか馬鹿なんですか」
優しくない……言葉が優しくないよマギー。
でも、その言葉の裏には『生きてて良かった』という気持ちが透けて見えた。
ごめん、そう言おうとしたけど、やっぱり声が出なかった。
私は、視線だけで、二つの頭の方を示す。
すると、ハァと大きなため息をついたマギーが、少し困ったように眉尻を下げて笑った。
「アティ様とエリック様ですよ。冷えた貴女の体を温めるんだって、一緒に寝ると
ま、お昼寝と思えば構わないですからね」
確かに。グッスリ寝てるね。私が動いても二人とも微動だにしない。
体を起こそうとしたけど、二人とも私の脇を枕にしてるので動けなかった。そりゃ重いわ。
でも。嬉しい。心配してくれたんだ。
私は少し首を伸ばして二人の頭皮の匂いを嗅いだった。ああ……幸せ……
「もう少し寝てて下さい。低体温症だそうですよ。ツァニス様たちもまだ戻ってきておりませんし」
そう言って、マギーはコップに水を注いでベッドサイドに置いてくれた。
「私は、貴女が目覚めた事を他の人達に伝えに──」
マギーがそう言いかけた時、部屋のドアを壊さんばかりに開いた。
物凄いドタバタという音と共に駆け込んできたのは、アティの護衛の男の子だった。
「セレーネ様! 奥様!! ああ良かった!!!」
ベッド脇まで駆け込んできた彼は、そこで膝をつき、私の手(ONエリック)をそっと掴んだ。
彼の目元が擦ったように赤くなっている。
「助けられず申し訳ありませんでしたっ……」
彼はそうアワアワ言うと、ジンワリと目元を潤ませた。
ああ、そういえば。倒木のところで私に手を伸ばしてくれていたのは、彼だったな。
あれ? 彼が助けてくれたんじゃないのか。じゃあ誰が助けてくれたんだろう。
「気づいたのですね、良かった」
そんな言葉と共に、続いて部屋に入ってきたのはサミュエルだった。
助けてくれたのはサミュエル?
「いやはや。騒ぎがあると、必ずその中心にはセレーネ殿がいるな」
落ち着いた渋い声がする。
え。
まさか。
そんな。
そんなワケない。
ゆっくりと重い足音をたてながら部屋に入ってきたのは──褐色の髪がライオンの立髪のよう、翡翠の透き通った目に優しさを浮かべた
「二度も奇跡の生還を果たすとは。もはや不死身なのではないのか?」
獅子伯──レアンドロス様だった。
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