閑話
閑話 ある執事の手記
私はカラマンリス侯爵の仕事等のサポート、いわば秘書をさせていただいております。
ツァニス様は、基本どんな事にも文句を
侯爵としてはお若いですが、どんな事にも負けずに努力なさる素晴らしい方でございます。
そのツァニス様が、珍しく机に肘をつき頭を抱えて俯いていらっしゃる事がありました。
原因は考えるまでもなく、奥様の事ですね。
最近ツァニス様が悩まれるのは、殆どが奥様の事ですし。
正直、私はあの方が好きではありません。
使用人の中には彼女を気に入って持ち上げる人間もいますが、私個人としては、迷惑極まりない人物でツァニス様の邪魔ばかりなさる方なのでムカつ──いえ、少し、私とは合わなようです。
生意気? そんな、イチ使用人の私が侯爵夫人に対してそんな事を思うなんて。思うなんて事はありませんよ? 女性がしゃしゃり出てくるなんて事に、私は全然、思う事なんてございませんとも。
奥様がいらっしゃった当初は、ツァニス様の幼馴染で腹心であるサミュエルが
かなり敵対した態度を取っていた子守頭のマギーも、口調こそ厳しいものの態度は軟化させてしまったようですね。奥様がアティ様に変な事をしていないか一度尋ねてみたんですが、絶対零度の視線で
何か弱味──いえ、違いました、ええと、苦手なものがないかどうか、奥様の侍女であるクロエにそれとなく聞いてみたんですが。
「奥様は完璧ですので、そんなものはございません」
と、流されてしましました。完璧な女なんているわけな──ゴホン、失礼しました。
奥様に近すぎる人間に聞いたのが間違いかと思い、アティ様の護衛に遠回しに聞いてみたんですが、彼はダメですね。奥様の信奉者でした。
え? 彼がなんて言ったか? ……言いたくありません。信奉者の言葉なぞ。
本当にあの奥様は、伯爵家とはいえ田舎──北方の山岳地帯で他貴族との接触が少ない地方のご出身だからなのか。ツァニス様の苦労など微塵も知る事もなく、好き勝手やらかす方ですよ、本当に。参ります。どれだけこちらが苦労していると思っているんでしょうかね……
そもそも、今回のゴタゴタは奥様のせいなのですから。
ペルサキス元子爵様といえば。知る人ぞ知る中央の重鎮でございますよ。
現役の頃は子爵という肩書以上に、色々な事に精通し困った事があったらこの方を頼れば全て解決する、とまで言われた方なのに。
もともと、先代侯爵様は何故か元子爵様と少し距離を置いていらっしゃったので、今まであまりこれといった接点がありませんでしたが、今回彼が屋敷へいらっしゃった事はチャンスだった筈です。
それをみすみす、奥様は潰されてしまったんですよ。
たかが愛人一人を屋敷に入れる事ぐらい──ゲホン、ゴホッ、ウウン! 失礼しました。今のは言葉が少し、あの。ええと?
元子爵様の
むしろカラマンリス侯爵家によっては良かった事の筈なのですが。
それなのにあの女──ゲフン、ちょっと、今日は空気が乾燥しておりますね。
しかも、チャンスを潰されただけではなく、元子爵様を怒らせてしまったのです。
これには本当に参りました。
その影響で、カラマンリス領から色々と問題が起こったと連絡が入るようになったのですから。
奥様は政治を何も分かっていらしゃらない。
政治とは貴族男子の神聖なる
え? それは公私混同ではないか、と?
何をおっしゃっている事やら。それは公私混同ではありません。信頼とは、表面上の利害関係を超えたもので、政治は信頼の上に成り立っているものですから。
……それを公私混同と?
……何を言っているのか分かりかねますね。
しかし、それにも関わらず、ツァニス様は奥様を責める事なく。本当にお優しい方でございます。
私には、ただツァニス様を仕事上サポートする事しかできませんでした。口惜しいです。
……流れが、変わって来たのは、舞踏会の後でしょうか。
カラマンリス領から上がってくる問題が解決した、との連絡が色々入るようになりました。
きっと、ツァニス侯爵が私にも見えないところで色々ご尽力なさった事が報われたからでしょうね。本当にあの方は素晴らしい方でございます。
その後、今までのお仕事の停滞を取り戻すかのように、色々な場所に呼ばれる事が多くなりました。
ただ、面白くない──ウウン! 不思議なのは、奥様まで一緒に同行する事が増えた事でしょうか。奥様も是非ご一緒に、と言われる事が増えましたから。
何故でしょうかね……
ええ、私は舞踏会にはご同行しておりません。あれはどちらかというとカジュアルな集まりだったと聞いておりましたし。
あの奥様が同行なんぞして、他貴族に失礼な事をしでかしやしないかとヒヤヒヤしておりましたが……
意外なんですが。奥様は普段はあんなガサツ──少しおおらかな態度をお取りになるわりには、社交場では貴族子女然とした態度でいられるのですよね。所作も上品でいらっしゃる。
本当に、普段からああしていれば少しは可愛げが──いえ、なんでもありません。
女性は裏の顔を持つと聞きますからね。二重人格なのでしょうか。恐ろしい……
……。
え? いや。別に。何でもありません。
何でもありませんよ。別に何も考えておりません。
……。
……。
ある日、ツァニス様から不思議な事を尋ねられたのです。
『お前は恋をしたことがあるか?』
と。
そりゃ若い頃人並みに女性に恋慕した事もございますが、まぁそれは少年の頃特有の淡いものでございましたし、その方とはあまり接点がないまま次第に離れ、その後私は見合いで結婚しましたので。
そんな事を聞かれるとは思わなかったので、上手くお答えできませんでしたが。
え? ああ、ハイ。若い頃は、と答えました。
ツァニス様が? ええ、そう答えた後『今は? 妻に恋をしていないのか』と問われた為、それはないと答えました。
どこの世界に妻に恋する夫がいるのでしょうね! そんな男はいないでしょう! はははっ! ツァニス様は何を
ダメですよ。あの女──ゲフン、奥様はダメです。
奥様は恐らく……これは内密に、ですよ。他言無用です。
──奥様は、獅子伯と浮気なさっております。
手紙をやり取りなさっておりますし、あげく、獅子伯様よりプレゼントが届いた事があったのですよ。人妻に贈り物なぞ! なんて
……え、あ、ハイ。そうですね、ゼノ様宛でもありましたが。ゼノ様宛であればゼノ様宛とだけ書けばよろしいのに、奥様と連名になっておりましたしね!!
しかも! その後奥様が嬉しそうな顔をして小さな箱を大切に部屋に持って帰っていたのを見ましたからね! あれは絶対アクセサリーですよ!!
人妻にアクセサリーを贈るなんて! なんて非常識な!!
え? アクセサリーか確認したのか、と? いえ。そんな失礼な事はしません。
ええ、奥様は殆どアクセサリーをしませんね。イヤリングもネックレスもブレスレットも指輪も何もしませんね。普段からなさっておりませんが……そりゃ、浮気相手から贈られたものを堂々と身に着ける事なんてしませんでしょう!
しかし、ツァニス様もその事にお気づきなんですよ。獅子伯宛てに手紙をお送りしておりましたからね。恋の──違った、ツァニス様は恋しているワケではないから……まぁ、ただの
獅子伯からもすぐに返事が来たようです。
それを読んだツァニス様は、それはそれは難しい顔をなさっておりました。
宣戦布告でもなされたのでしょうか……おいたわしい。
……ツァニス様からも返事を再度お送りしていて、また返事が返ってきていたようですね。何か、定期的な文通みたいになっていらっしゃいますが……
まぁ、それは、ね。そういう事もあるでしょう。
なんとかしてあの女の尻尾をつかんでやろうと思っているのですが……ガードが、固いのですよね。奥様本人の、ではありません。侍女などの、です。
奥様宛に来た手紙をメイドがさっさと持って行ってしまうし、部屋をのぞくどころか、前の廊下を通る事も許されなくなってしまいましたしね。
あの女……侍女やメイドを抱き込んで……とんだ女狐──今のは聞かなかった事にしてください。
とにかく。
私はツァニス様が心穏やかになされる事だけを目的にしておりますから。
え? 直接奥様に聞かないのか、と?
……そんな怖い事、できるわけがないではないですか。
……ホントに、今の話は聞かなかった事にしておいてくださいませんか……?
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