第86話 初めて舞踏会に参加した。

 大広間を抜けた先、わきにある使用人たちが大勢待機している待機部屋の中へ、ピョッコリ顔を覗かせた。

 マギーと一緒に侵入したサミュエルが、ここに待機してるらしい。


「サミュエル」

 私は、その部屋の片隅で真剣な顔をしてうつむいていたサミュエルに声をかけた。気づいた彼がこちらを見てから──二度見した。何。何で二度見した? 何の二度見?


 驚いた顔をしたサミュエルが中から出てきて一言

「化け物」

 オイコラなんつった?

「と、失礼。言葉を間違えました」

 何とだよ。何て言葉と間違えれば『化け物』になるんだよオイ。

 コホンとワザとらしく咳払いしたサミュエルが、手をスッと出してきたので手を重ねた。

 そしてそのままエスコートされる。

 カラマンリス邸の執事長(しかも外行き)の格好をしたサミュエルは、まぁ、それなりに見えた。それなりだよそれなり。貫禄がまだまだだな。


 大広間へと近づくと人が増えてきたが、サラリとエスコートする態度があまりに自然だった為か、まわりの貴族が自然と避けて道をあけてくれる。

 私とサミュエルは、堂々と大広間の中へと戻った。


 中に入ると、一瞬ザワリと人々がさざめいた。

 アレかもな。私が着ている衣装が物珍しかったのかもしれない。

 私が今着ているのはイブニングドレスだ。他の貴婦人たちと同じ。

 しかし違うのは。

 コレがベッサリオン領の女性用民族衣装であるという事。真っ黒に染められたシルク地に、男性用と同じ幾何学模様で若草色の刺繍が入っている。イブニングドレスなので肩を露出したカタチだったが、傷があって肌をそのまま露出出来ない私の為に、首から肩、手首まで黒の総レース仕様だ。もンの凄い手間がかかったドレスだよ。

 傷を完全に隠していないのがまた素敵。私の誇りである傷が、うっすらとレースの向こうに見えるのだ。注文した通りに出来上がった。ベッサリオン領の仕立て屋は腕がピカイチだよ。


 サミュエルにエスコートされながら、先ほどと同じように割れていく人だかりの真ん中をゆっくりと歩いていく。

 そして、私は目的の人間の元へと辿り着いた。


 運良く丁度、あの老元子爵──ペルサキス元子爵と話している、ツァニスの元に。

 先に私に気がついたのは、ちょうどこちらを向いていたダニエラだった。

 表情を硬直させて、私とサミュエルを交互にガン見している。

 話が盛りがっているのか、ツァニスと老元子爵はこちらに気づかない。

 私はニコニコしながら話が終わるのを、少し離れた場所で待ち続けた。


 それをチャンスと思ったのか、ダニエラはツァニス侯爵の腕に絡み付いた。意に介さないツァニス。そのまま話を続けている。

 ダニエラは、その清楚な外見をフル活用して、無垢な笑顔で朗らかに、二人の話にウンウン頷いていた。見せつけてるつもりだろうな。

 しかし、サミュエルに目配せする事も忘れない。意味深な視線の意味はどうせ『これはお芝居なの』だろうな。

 サミュエルは先ほどから、執事然とした笑顔の型の鉄仮面を張り付けたままだし、私の気持ちも一ミリも動かねぇよ。残念だったな。


 そうこうしているウチに、大広間で新しい曲始まった。その曲に合わせて人がダンスフロアの方へと流れ始める。

 フワリと笑ったダニエラがクイクイとツァニスの裾を引っ張ってから、背伸びして耳元に囁いていた。

 なるほど。ダンスに誘ったのか。

 はははと豪快に笑う老元子爵。彼に促されて、ヤレヤレといった表情でダニエラをエスコートするツァニス。

 お? 踊るのか?


 私に視線を残しつつ、ダンスフロアの方へと歩いていくダニエラと、私に気づかないツァニス。


 ここで乙女ゲームなら、主人公は悲しげにその姿を見送るんだよな。しかし、ふと視線を動かした攻略対処が主人公に気が付いて、ライバルの手を離して主人公の元へと来る展開だよね? 見た見た。


 しかしな?

 私は乙女ゲームの主人公じゃねんだわ。

 乙女ゲームの主人公のライバルの継母──いわば、悪役ヒールの中の悪役ヒールだよ。


 私はサミュエルの手をサラリと離して前へと進み出る。

 そして、サッとツァニスとダニエラのあゆみを遮った。

 一瞬、進路妨害されて、何だこの女という顔をしたツァニスだったが、私の顔に視線を止めてギクリとした。

 やっと気づいたね。私がここにいる事に。


 私は笑顔だ。何も言わない。

 彼らより数歩ダンスフロアの方へと足を進めてから、スカートの裾を摘んでうやうやしく頭を下げた。

 そして顔を上げて、彼に──私の夫、ツァニスに手を差し伸べた。

「踊って頂けますか?」


 結婚式は簡素だった。なのでその後にパーティが開かれることもなく。

 つまり彼は私と、一度も踊った事がない。


 さあ、どうする?


 ツァニスの目が揺れていた。

 こんな場所だ。老元子爵もいる。本来の彼なら、他の貴族の目を気にして私をかわしただろう。

 仕方がない。彼には彼の立場がある。彼には重い責任が肩にのしかかっている。

 彼は逃げる事が許されない立場なのだ。そんな彼の事を、私では理解できない部分が沢山ある。


 でもさ。よく考えて欲しい。

 私は、ツァニスにおぶさりたいんじゃないんだよ。

 世間では許されない事だけどさ、横に並んで一緒に歩きたいんだ。

 一緒に重圧に耐える覚悟があるよ。伯爵家に生まれたんだから、少しは理解できる部分もあるし。

 妻としてそこらへんに飾っておくんじゃなくってさ。

『一緒に苦労してくれ』ぐらい、言って欲しいんだけどな。


 ツァニスが動いた。

 腕に絡みつくダニエラの手を引き剥がす。

 私の方へと歩み寄ってきたツァニスが、差し出していた私の手を取った。

「喜んで」

 彼は自然に私の腰を取り、ダンスフロアへとエスコートして行った。


 チラリと後ろを覗き見てみる。

 ダニエラが、周りの視線など一切気にせず憤怒の表情をしていた。


 ダンスフロアに辿り着いて、私とツァニスが向かい合う。

 こんな距離で見つめ合ったのって、いつぶりかな。

 いつもは、ツァニスの顎掴んでたり胸倉掴み上げたりしてたなぁ。それか、無理矢理顔寄せられたり。

 こんなにちゃんと普通に向かい合うのって、あれ? もしかして、初めて??

 ちなみに、結婚式も簡素版だったからか、神の前で誓いを立てて、サインして終わりだった。

 だから、本当に、ちゃんと向かい合ったのは初めてな気がする。


 初めて向かい合うのがダンスの時とか、出来過ぎかよ。

 まるで、普通の貴族の出会いみたいじゃないか。


 音楽に合わせてツァニスがリードする。

 私は彼に身体を委ねてそのまま自然にステップを踏んだ。

「セレーネ、すまない」

 彼が、私の体を引き寄せた時にそう耳元で囁いた。

 仕方ないよ。ツァニスにはツァニスの事情がある。

「私も。いつも苦労をかけてごめんなさい」

 私も、普段は言えない事を囁いた。

 彼に苦労をかける事は本意じゃないんだ。

 なんとか、上手く折り合いをつけられるのが一番いいんだけれど。

 何故か、みんな私の逆鱗をソフトタッチしてくんだよね。何? 流行ってんの? そういう系のピンポンダッシュ的なものが。


 ツァニスはそれ以降、何も言わなかった。

 しかし、彼の手から、伝わってくる。

 無理にリードするのではなく、私の身体の動きに合わせて自然な方向へと導いてくれる。

 私も密着した身体から感じ取れる。彼が次にどう動こうとしているのかを。

 しかし、誰ともぶつからない。

 ツァニスが私の後ろにいる人間に気づいて、さりげなく腰を誘導して人をかわす。

 私がツァニスの後ろにいる人に気づいて手に少し力を入れると、逆側へと動いて避けてくれる。


 なんか、感じた。

 これが本来の夫婦の形なんじゃないかって。

 ここにきてやっと、本当の夫婦の第一歩をツァニスと踏み出せた気がした。


 ***


 踊り終わって、ツァニスと私は向かい合ってお互いに挨拶をする。

 とっても楽しかった。ダンス、いいね。

 母に無理矢理習わされた時は、猛烈に嫌々だったけどさ。


 が。

 曲が終わって気がついた。

 女がさめざめと泣く声に。

 人前で堂々と泣ける神経の太さを持った女は、今のところ一人しか知らない。

 ダニエラだ。


 ツァニスと二人でそちらへと体を向けると、ダンスフロア外で泣き暮れるダニエラと、その横で憤怒の顔をした老元子爵が見えた。

 あー。ハイハイ。また泣きついたのね。文字通りにね。

 しかし、前と違う事が一つあった。

 老元子爵はダニエラに指一本触れていない。

 ダニエラも老元子爵から一定の距離を保ってる。

 ──ああ、隣に、老元子爵の奥様がいらっしゃるからだね。

 流石に、奥様の前でイチャイチャは出来ないもんね?

 サミュエルにも近寄らないね。使用人だからかな? 今から貴族の世界に入ろうとしているからね。使用人にも泣きつけないね。


 流石にツァニスにくっついたまま二人のそばに近寄ったら、無駄に火に油をそそぐよね。さっき、あの女からツァニスを直接奪って気が済んだ。

 そう思って私はツァニスから少し体を離そうとしたが、ツァニスは私の腰を離さなかった。マジか。


 そのままの状態で老元子爵とダニエラの前まで辿り着く。

 声の届く範囲まで私たちが来るまで待っていた老元子爵は、顔にはイラついた感情を見せたまま口を開いた。

「やはり躾が必要ですぞ、ツァニスくん。じゃじゃ馬は舞踏会のマナーも知らんようだ」

 ……このジジイ。

 前に私が『文句があるなら直接言え』つったのに。全然聞いてねぇのな。

 私が呆れつつも、文句を百倍返ししてやろうとした時だった。


 予想外の所から、先に声が飛んだ。

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