第85話 侯爵から逃げた。

「セルギオス……だろう……?」

 ツァニスが、驚愕の顔で私を食い入るように見つめている。


 ……。

 …………。

 アカーーーーーーン!!! 見つかったッ!!!


 私は脱兎のごとく逃げ出した。

「セルギオス!」

 後ろからツァニスの声が聞こえる。逃げなきゃ逃げなきゃ! 間近で見られたらさすがにバレる!!!


 人を縫って進むが、ぶつかったりして足止めを食らう。

 ダメだ、追いつかれる!

 私は急いで回りを見渡し、走れそうなルートを探した。

 背に腹は代えられぬ!! ここしかない!!!

 私は、貴族たちが手に手を取って踊るダンスフロアへと突っ込んで行った。


「セルギオス!」

 それでも追いかけてくるツァニス。

 ああしつこい! ストーカーファンは嫌われるぞっ!!

 なので、私はわざと踊る人間たちのそばをかすめるように逃げた。

 すると

「きゃあっ!」

 後ろで人にぶつかった音と女性の悲鳴が聞こえた。

 ツァニスがぶつかったな。計算通りっ!!

 後ろを振り返る時間はない。私はそのままダンスフロアを突っ切って、人込みに紛れ込む事に成功した。


 しかし、マギーとの待ち合わせの場所の方向からは離れてしまった。

 また悠長に人込みを縫って歩いたら掴まってしまいそうだしなぁ。

 私は大広間の全体を見まわした。

 大広間の周囲の壁には、大広間を上から見下ろせる形で、グルリと廊下があった。その廊下から、テラスやバルコニーに出る事も出来るようだ。

 私は部屋のサイドにある階段を登って廊下に出て、そこから大広間を見下ろす。

 ツァニスを撒けたかどうか確認する為に。


 ──と。

 他の人物たちの姿が目に入った。


 大広間一番目立つ上座中央のデカイ暖炉の前。

 右にエリック、左にゼノ、後ろにイリアスと、完全防備で固められたアティの姿が。

 エリックやり過ぎィ。確かに守れとは言ったけどさ。SPみたいになってんぞ。

 目立ってる目立ってる目立ってる!

 みんなにめっちゃにこやかに微笑まれてる!

 確かに超絶微笑ましい!!


 しかし。彼の行動が嬉しかった。アティの手をしっかり掴んで離さないようにしている。

 アティの方も、そんなエリックにしっかり寄り添っていた。


 ──もしかして、私の出番はもう本当にないのかもしれないな。


 あの子達が、あのまま成長してくれればいい。

 まぁ大人になれば関係性も変わるだろうけれど。お互いがお互いの違いを認識して、付かず離れず、でも時にそっと寄り添えるような、そんな関係になってくれればいいな。


 ゼノも、エリックの傍で正解だった。

 近くにエリックがいる為、変な下心を持った貴族たちが簡単に近寄れなくなってる。

『気安く近寄るんじゃねぇよ』という、アンドレウ家の執事や護衛の無言の圧力があるからね。


 私が思わず、その光景に微笑ましく見とれていると

「セルギオス!」

 名前を大声で呼ばれた。あ、ツァニスにもう見つかったァー。

 私は声のした方を見ずにサラリとバルコニーへと出る。

 そこでは先客のカップルたちが、バルコニーの手すりにもたれ掛かりながらイチャコラしていた。

 ごめんね、ちょっと邪魔するよ。


 私はそのバルコニーの手すりの上に立って、後ろを振り返った。

 念のため、口元を手で隠す。

「セルギオス!」

 そう私を呼びながら、バルコニーに出る為の窓のところで、息を切らせて立ち尽くすツァニス侯爵。

 私は手すりの上に立ちながらも、彼の言葉に返事しない。

 口元を隠していた手を下げて、少しだけ笑う。


 彼が近寄ろうとした瞬間、とんっ、と少し後ろにジャンプした。


「っ!!!」


 周りにいる人達が、みんな息を呑んだのが分かった。

 そりゃそうだ。私が飛んだ先には地面がない。

 一瞬の浮遊感。

「きゃあああ!」

 見ていた女性が悲鳴を上げた。

 しかし私は、自分の身体が落ち切る前に手を伸ばし、バルコニーの手すりをガッと掴んだ。そこで落下の衝撃を緩めつつ、身体が手すりにぶつからないように、手すり側面を蹴る。再度少し飛んで今度はバルコニーの床のフチを掴む。

 飛び降りられる高さになるまで壁の突起を掴んでスルスル降りて行った。

 無事、地面に着地。山育ちなめんな。


 バルコニーの手すりから身を乗り出して、私を見下ろしてくるツァニス侯爵。

 私は彼にバチコンと一つウィンクを投げて、その場を走って後にした。


 ***


 マギーとの待ち合わせ場所──大広間を抜けて裏から出た庭の部分で彼女を待つ。


 今日の日の為に、実は事前にアンドレウ邸に来ていた。

 表向きは『以前エリックに怪我をさせてしまったお詫び』だ。アンドレウ公爵とその妻に、本当に丁寧にお詫びをした。これは演技の必要はなかった。本当に申し訳ないと思っていたので。

 あの事件の後もエリックがカラマンリス邸に来ていたので許されてはいたけれど。

 私から改めてお詫びしたかった。


 そしてついでに、ついでにね。アンドレウ邸を案内してもらった。そこはエリックとイリアスにね。

 イリアスには、今回しでかす事を事前に伝えていた。エリックを制御してもらう為だ。それに、彼ほど味方にしてて心強い人間はいない。

 舞踏会が開かれる場所、人の出入りがありそうな場所、逆に人目につかない場所などを教えてもらい、イリアスと一緒にシミュレーションする事が出来た。

 いやほんと、イリアスは恐ろしいまでに頭がイイ。そして洞察力にも優れている。十一歳でコレだよ。人が持つ本当の『才能』って凄い。なのに、それを見抜けない人間の多い事。マジ勿体ないよね。


 その事前シミュレーションのお陰で、こうやって人目につかずマギーと待ち合わせできるのだ。

 エリック、そしてイリアスにマジ感謝。

 でも……遅いなぁ、来れないのかなぁ、大丈夫なのかなぁ。

 そんな不安を感じていた時だった。


「見てましてよ。何してるんですか」

 そんな辛辣しんらつな声が私に飛んだ。

 ああ、聞きたかったこの厳しい声っ!

「マギー!」

 私が喜びの顔でそちらを振り返ると、仏頂面したマギーが何故か建物側から出て来た姿が目に入った。

「遅いですよ」

 え、私が待たせたの?

「あんなに目立って。計画を失敗させたいんですか。私の努力を無駄にさせる気ですか。最低ですね」

 ああ、『久しぶり』とか何の挨拶もなしに罵倒されてる。相変わらずだ。でも、彼女の罵倒がこんなに嬉しい事はない!

「頭大丈夫ですか? 貴女これから何しようとしてるのか理解してます? 狂ってますよね。脳みそ交換してきたらどうですか?」

 ……やっぱりあんまり嬉しくない……


 私が近寄ると、ふいっと背を向けて建物の方へとサッサと歩き出すマギー。

「首尾はどうだった?」

 私がその背中にそう尋ねると

「誰に頼んだと思ってるんです?」

 そんな心強い言葉が返された。さすがマギー!

「着替える部屋も確保し、モノは準備出来ております。あとはタイミングを見計らうだけですが……」

 前を歩くマギーが、少し言い淀む。

「……サミュエルが来ています」

 えっ?! マジで?!

「勿論、貴女の正体は秘密にしていますが……どうしても自分の目でダニエラの事を確認したいそうです。邪魔ですね。勝手にやって欲しいところですが」

 同僚にも辛辣しんらつゥー。

「なので、大広間に入れるように、カラマンリスの執事長の格好をさせました。

 ──これで、利用しやすくなりましたよね?」

 マギーが、会心の笑みで私に振り返った。

 本当だよマギー。超絶ファインプレーじゃん。

「マギー素敵」

「知ってます」

 速攻で肯定された。うん。いい。その打てば響く鐘のような返事、好き。


 人目を忍んで空き部屋へと二人で忍び込む。

 そこには、マギーが準備してくれた荷物が置かれていた。

「さて」

 部屋の扉を閉めた彼女が、ゆらりを振り返って手首をほぐす。

「準備にとりかかりますか」

 彼女の目が、なんでか知らんけど嗜虐しぎゃく的に輝いた。

 え、なんで? なんでそんなにドSクサイ顔すんの?

「芋臭い田舎者を、極上の貴婦人にして差し上げますよ」

 うん。それは分かってる。

 でも、なんでそんな、ウサギをいたぶる時の狐みたいな顔してんの?

 なんか、怖いんだけど。

「さあ、のんびりしてないでサッサと脱いでください。剥きますよ」

「脱ぎます脱ぎます! ちょっと待って!」

「遅い」

「ああ、ちょっと待って! マジすか!? ちょっと……うわっ!!!」

うるさい。黙ってください」


 なんだかんだとやっているウチに、男装をむかれてコルセットで腰をギュウギュウに絞められ、服を着せられ化粧されて髪を整えられていく。

 最後に差し出された、妹達渾身のピンヒールを履いて、あっという間に準備完了。

 田舎貴族セルギオスから、カラマンリス侯爵夫人に様代わり。

 やっぱすげえわマギー。

 あっという間に、準備が整った。

 ホント、マギー有能すぎて逆に怖い。違う意味でもちょっと怖い。


「少し経ってから、私がコレを持って中に入りますから」

 マギーは、彼女の今回の依頼事の成果──少し大きな平べったい箱を脇にスタンバイする。

「了解」

「く・れ・ぐ・れ・も。無駄に。騒ぎを大きくしないように」

 ぶっといクギを脳天からぶっ刺された……

「そんな事言っちゃってさ」

 私は口を尖らせて反論する。

「ホントはマギーも、こんな茶番ぶっ壊れちまえとか、思ってるクセに」

 そうツッコミ入れたけれど。


 ニッコリとした微笑みを浮かべたマギーに、忍んでいた部屋を叩き出された。

 さっさと行けという事か。はーい……


 さて。

 お膳立てはされた。全て整っている。

 あとは……そのちゃぶ台を盛大にひっくり返すだけだ。


 派手にひっくり返してやんよ。

 楽しみだな。

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