第84話 老元子爵の元へと出向いた。

 マギーが来るまで時間を稼がなきゃ。

 それに。

 折角セルギオスの格好しているんだから、これを利用しない手はない。

 今はセレーネではないのだ。この姿だから出来る事がある。

 っていうか、その為にこの格好をしたようなもんだ。


 私は舞踏会の中へと戻り、目的の人物の姿を探す。

 みんなタキシードで似たり寄ったりの格好をしてるから、探すのに手間取ったけど。やっと見つけた。

 ペルサキス元子爵──私を侮辱した老元子爵を。

 近くを通った給仕係からシャンパングラスを二つ受け取る。

 そしてスルスルと彼の近くへと寄って行った。


 彼の周りには沢山の貴族たちが取り巻きを作っていた。あらゆる年齢の貴族たちが集まっている。年老いた貴族の男性から年若い者まで。息子を紹介している人間もいた。

 流石に絶対人数が少ない公爵・侯爵の人間はいなかったけれど、伯爵、子爵、男爵──よりどりみどりって感じだった。

 いわゆる登竜門ってやつか?

 アイツのお眼鏡に適わないと、出世できないってヤツだろう。

 爵位は子爵でも、ぶっといコネクションを持っていて口利きができる人間なんだな。

 こりゃ、ツァニスの苦労がしのばれる。

 今回の事で、彼に本当に迷惑をかけた。もう少し、正面からぶつかるのではなく、この老元子爵のように、裏から手を回す事を覚えないとね。

 そう、真綿で首を緩く次第にキツく締めていくかのように……うん。勉強になるな。


 人だかりの中にツァニスがいない事を確認する。見咎みとがめられたら面倒くさいからな。

 彼がいない事を確認した後、サラリサラリと人を避けて最前列へと進み出た。

 前の貴族との話が一段落した瞬間を狙って、私は老元子爵にシャンパングラスを差し出す。

 私はアイマスクの向うでも分かりやすいように笑顔を作った。

「これはこれは」

 老元子爵が、突然目の前に現れたタキシードではない男の姿を、足元から頭の先まで値踏みするかのように見た。

 そして、私の首元につけれらた伯爵家の勲章を見つけてニッコリとする。

 私からシャンパングラスを受け取って、満足げにニッカリと老元子爵は笑った。

「貴方はどちらの伯爵様でございますかな?」

 慇懃無礼な言い方。怖いものなしってか。

「しがない田舎貴族でございます」

 私はうやうやしく膝を折りつつも、そうやって名乗りをかわした。

 本来、彼の元に訪れるのは彼に恩を売ったり、名前を憶えてもらいたい貴族ばかりだ。

 なのに私は名乗らなかった。

 それにより彼の興味を引いたのだろう。老元子爵は鋭く目を輝かせた。


 ちなみに、この勲章は本物だよ。本来の持ち主は、私ではなく本当のセルギオスだけれども。これを下賜かしされた後、これをつけて表舞台に出る機会は、彼には結局一度も訪れなかった。

 実家に連絡して妹たちにコッソリ送ってくれるようにお願いしたのだ。勿論使い終わったら返すよ。大切なモノだからね。


 彼は名乗らなかった私をとがめもせず、嬉しそうにシャンパングラスを掲げ、私が持つグラスと合わせようとした。

 しかし、私はフイっとグラスを避ける。

 一瞬イラっとした顔をした老元子爵だったが

「こちらは私のではありません。奥様へお持ちしました」

 私がそう言うと、彼は一瞬目を見開いて驚いたが、物凄く嬉しそうに頬と口を歪ませた。

『気が利くな』そんな声が聞こえてきそうな顔だね。

 彼が視線で許可を出して来たので、老元子爵の斜め後ろに立ってただ黙ってニコニコしていた美魔女──元子爵夫人へとグラスを差し出した。

 美魔女は驚いて口元を扇子で隠す。しかし、目が笑ったのが分かった。


「良き日に」

 私はグラスを持っていないが、膝を折って頭を下げる。

 すると、彼と妻は満足そうにグラスを掲げた。

「ペルサキス子爵へご挨拶ができて光栄です。貴方の信望の厚さはかねがね聞き及んでおりました」

 彼が喜びそうな言葉を選んで彼を持ち上げる。

 彼はシャンパングラスを煽りながらご機嫌な表情だ。

「いやいや。私なんぞはもう一介の老人に過ぎないがね。周りからは是非に、まだ隠居には早いと言われてしまっていてな。実質引退できずにおりますわ」

 そう、はははっと豪快に笑った。

 引退する気なんぞ、カスほどもないくせによく言うわ。

 そうかそうか。コイツを担ぎ出すヤツも多いって事だな。このジジイの機嫌さえとっていれば、上手く事を運んでくれるっていう事だ。なるほど。

 ジジイが手を回す、言われた者は忖度そんたくして事を運ぶ、物事が上手くいく、だからまたジジイの元に話が回ってくる、と。

 好循環と呼ぶべきか、悪循環と呼ぶべきか。うん、最悪の好循環って感じ。


 金もあるのだろう。子爵とはいえ資産運用や他の商人たちと繋がる事で、ジャブジャブ稼ぐ貴族もいる。彼が物事を上手く運んでくれるなら、商人は喜んで金を積む。積まれた金を各方面にばら撒いて、事を動かす。なのでまた彼に金が集まる。

 うん、こっちも最悪の好循環。

 金を稼ぐ事は悪い事じゃない。金のない苦労は知ってる。

 だけど。

 ムカつくもんはムカつくんだよ。八つ当たりだと分かっていてもさ。

 その循環からはじき出されたから、ウチの伯爵家は貧乏なんだよ知ってるよ!!


 そして今回の事で、ツァニス侯爵に対して、この好循環の逆をやってやったな。

 カラマンリスの領地で何かしようとしている人間の動きを止める。彼や領地に金が回らないように仕向ける。

 ツァニスがなんとか物事を動かそうと色々な事をする。

 その動きを察知して、その動きの先にいる人物に働きかけて動きを止めさせる。

 段々、ツァニスが何とかする手段を失っていく。もうニッチもサッチもいかなくなった頃に、この老元子爵が助け舟を出す。

 ツァニスは、その手を掴まざるを得なくなる。

 賢いな。

 反吐が出る。

 普通、そういう事は敵国に対してやるんだよ。身内に対してやるんじゃない。そういった事が国力低下に繋がるんだよ。自分で自分の首を絞めてどうする。その頃には自分は生きてないから構わないってか。クソが。


 私は、心にもないあらゆる賛辞で彼を持ち上げた。

 言われ慣れてるだろうけれど、爵位が上の人間から言われる事はさほど多くないのか。彼の顔がだんだんと赤くなってシャンパンも進む。


 さぁて、そろそろ。気分を良くしてあげたところで──落として差し上げようかな。


「そういえば」

 私は、ワザと何かをふと思い出したかのような顔をする。

 老元子爵は、もっと賛辞が聞きたいのか「ん?」という前のめりな顔をした。

「噂を聞きましたが。ペルサキス子爵様は──ある女性にコケにされたとかなんとか」

 その言葉を口にした瞬間、老元子爵の顔が固まった。瞬間的に眉間に血管が浮く。

「コケになんぞされておりませんわ。生意気なだけのじゃじゃ馬田舎娘でしたよ」

 フンっと鼻を鳴らした。

 生意気なじゃじゃ馬田舎娘、ねぇ。

「じゃじゃ馬──と、いう事はもしや……」

 私がみなまで言わずとも、老元子爵はソイツだ、と吐き捨てた。

 そこで私は軽快に笑ってみせる。

「なるほどなるほど。それでカラマンリス侯爵様に嫌がらせをなさっているのですね! 納得です!」

 周りに聞こえるような声でそう笑うと、老元子爵の顔が違う意味でカッと赤くなった。怒った? ねぇ、怒った?

「そんな事はやっとらせん!!」

 そう私を怒鳴りつけるが

「そうですか? 聞いた話と違いますね。そうか、さすがに侯爵様相手には貴方の力は及ばないのですね」

 更に挑発しつつかわしてやった。勿論無駄に大声でな。

 彼が、憤怒の表情をする。

「私を誰だと思っている……」

 そう、小さな声で老元子爵は呟く。

「あんな小僧、私の手にかかればすぐに泣いて縋り付いてくるわ」

 誰にも聞かれないように、声のトーンを落としたつもりだろうけれどさ。

 その声、結構周りに聞こえてるよ?

 ほら、気づかない? まわりにいる貴族の顔が引きつってるよ。


 私は薄く引き伸ばしたかのような薄い笑みを顔に貼り付けて、彼から一歩引いた。

「それはどうでしょうかね?」

 挑戦的に、そう囁く。

「なんだと……?」

 老元子爵が、眉根を寄せていぶかしげな顔をしたので、彼に教えてあげる事にした。


「恐怖政治はやがてクーデターにより覆されるのが、歴史が物語っておりますよね。貴方の天下も、いつまで続く事やら。

 少なくとも──」

 一度言葉を切り、ニヤリを笑ってみせた。

「カラマンリス侯爵には、強い味方がついておりますよ」

 私という味方がな。

「足元すくわれぬよう、お気を付けくださいね」

 私はそう伝えて、スルリの人込みの中に紛れて彼の前から姿を消した。


 人だかりの向うから「なんだあの失礼な男は!」という怒鳴り声が聞こえている。


 あーあ。忠告してあげたのに。

 反省する気はなさそうだ。

 じゃあ仕方ないね。

 計画は予定通りに実行しよう。


 大広間の人込みを避けながら、私はマギーと待ち合わせ予定の場所まで行こうとした。

 その瞬間──


「セルギオス……?」

 名前を呼ばれて、思わず立ち止まる。反射的に振り返って、声の主の顔を見た。


 そこには、驚愕の表情を浮かべて立ちすくむ、ツァニス侯爵──私の夫がいた。

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