第87話 反撃が開始された。

「妻をそう呼ぶのはお控え頂けますか?」

 ツァニスが老元子爵に対して、そう毅然きぜんと反論した。


 その言葉に、私自身も驚いて一瞬言葉を失う。

 まさか、ツァニスがこの場で直接面と向かって言うとは思わなくて。夢にも思わなくて。

 せいぜい、私が指摘した通り笑って流すのではなく、当たり障りのない言葉でかわすぐらいだと思っていた。


 私は思わず、ポカンを口を開いて、横に立つ夫の顔を見上げた。

 それは、私だけじゃなかった。

 当の老元子爵もあぜんとした顔を彼に向け、ダニエラも泣くのを忘れて動きを止めていた。ホラ、みんなも驚いてる。


「そ……そうですな。失礼した」

 そう、なんとか謝罪にあんまなってない謝罪を口にする老元子爵。

 しかし面白くないのか、口には笑みを浮かべつつも眉間にシワを寄せて言葉を続ける。

「しかし、他人からダンスの相手を横取りするのはいかがなものなのでしょうな」

 オイコラ。こういう時だけ私のせいにすんのかい。選んだのはツァニスだろうが。

 私が顔に笑顔を貼り付けながらも、イラっとしたのを感じたのか、腰に回されたツァニスの手にグッと力が入ったのを感じる。

 我慢せえ、って事か。

「私が途中で思い直しただけです。とがめるなら私を。

 そもそも『横取り』にはなりませんよ。セレーネが私の妻なのですから。妻を優先させるのは当たり前ではないですか?」

 違った。自分が言い返すわって事だった。


 その瞬間、老元子爵の横で黙って立っていた美魔女──違った、彼の妻が扇子で口元を隠しつつも、フフッと笑った声が聞こえた。

 そうだよね、横に立つ貴女もそうして欲しいよね。

 妻をないがしろにするっていうのがそもそも分からない。釣った魚には餌をやらない、の典型だな。いや、政略結婚なら釣ってすらいないな。

 望んでもいないけど手に入れた錦鯉。他人に見せる為、自分の力を誇示する為に、自分の池で泳がせる錦鯉。

 池の魚は逃げようもないから、見た目さえ美しければ、餓死寸前でも病気でも構わないってか。


 ツァニスの思わぬ反撃に、老元子爵は黙ってしまった。

 この場に、舞踏会にはそぐわぬ険悪な空気が流れる。

 しかし、そんな空気に割って入ってきた人間がいた。

「父上」

 老元子爵をそう呼び、彼の横へとそっと並んだ男がいた。

 父上って呼んだって事は──これが息子のペルサキス子爵──ダニエラの不倫相手、そして、マギーの元夫か。

 物事の元凶。愛人作りまくる不貞男。

 しかし、この世界では愛人は公然。むしろステータスであるとほこる男もいるぐらいだ。それに、そういった事は夫婦の問題で、他人が口出しする事は野暮やぼってモン。どんなにゲス男でも、妻本人がそれでいいと言うならそれでいい。

 極力、関わりたくもないけどな。


 なんでこんな険悪な空気に入ってきたんかと思ったが。そうか。火消しか?

 場を収める為に口を挟んだな?

「申し訳ありません、カラマンリス侯爵。父は少しシャンパンを飲みすぎてしまったようで」

 ほほう? 酒のせいにするんか?

 よくいるよな。酒のせいにして、本人にとががない、みたいな言い方するやつ。

 酒飲んでても責任能力はなくなんねぇぞ?

 なくなるんなら麻薬のように法律で禁止されるわ。


 そう助け舟と一緒に、肩に手を置いた息子の手を、サッと払い除ける老元子爵。

「酔っ払い扱いするでない。私は素面シラフだ」

 あらあらまぁ。せっかくの息子の助け舟に乗らないのか。プライドが許さないのかな?

「ツァニスくん、こう言ってはなんだが。君の妻はこの場には相応しくないように思う。

 そもそも、この場に一人では入れない筈では? どうやって紛れ込んだのか……是非方法を知りたい所だ。言えるものであればな」

 そう不遜ふそんな態度で私をヤンワリ責め立てる老元子爵。

 お。やっぱりどうしても私を責めたいんか。そうかそうか。


 そう言われたツァニスは、少し困った顔で私を見下ろしてくる。

 なので私は、ニッコリと笑って、大広間上座──暖炉前でSPの如くアティに張り付く子供たちを指さした。

「ゼノ様の同伴です。ゼノ様は獅子伯の名代。後見人も必要な年齢ですから、私が僭越せんえつながら務めさせて頂きました。元、ではありますが、私も一時いちどきメルクーリの人間でしたので」

 離婚したけど、私の名前に一度『メルクーリ』がついたのも事実だ。ま、屁理屈だけどなー。それが難しそうだったから男装して入ってきたんです実は!! 言わんけど。

 私のその言葉に、その場の全員の視線が子供たちへと集まる。

 子供たちはこちらに気づいていないようで──床に座り込んで、どっから持ってきたのかカードゲームして遊んでた。

 アティ守るの、飽きたな、エリック。


「まぁ、夫の同伴ではないので、体裁は確かにあまりよろしくないですね。

 なのでゼノには護衛と来たと言うよう伝えていました。夫の立場が悪くならないように」

 そうだったのか、という顔をして私を見下ろすツァニス。

 同時に、面白くなさそうな顔。何。何が不満。私も連れてってくれと泣きすがって欲かった? それは無理なお願いだねぇ。

「勿論、それだけでは問題があるかと思い、夫の腹心ふくしんでもあるサミュエルにも同行していただきました。

 私では不躾ぶしつけになってしまう点もありますから」

 そう言って、ワキに控えていたサミュエルをサラリと紹介する。

 彼は無言で頭を下げた。

 ホントは別で来たけど、彼は『今初めて聞いたそんな話』なんて顔はせずに、完璧な執事の雰囲気を纏わせている。お? やるなサミュエル。

 ──ハラが決まったか?

 かたやダニエラは、不安げにこの動向を見守っている。

 老元子爵、ペルサキス子爵、ツァニス、サミュエル、順々にその顔色や態度を目だけで追い、この場で一番立場が強く都合が良さそうな男を探しているようだった。


「ちょうど、夫を見つけた時に音楽が始まったので、ダンスにお誘いしました。

 それが──問題ありましたか?」

 私の返答に、苦虫を噛み潰したかのような顔をする老元子爵。

 ごめんな、正面から堂々と入って来て。お前の思惑通りにいかなくて。

「いや、先にダニエラがエスコートされていただろう。それを横から──」

「夫の姿を見つけて嬉しくなってしまい……見えておりませんでした。申し訳ありません」

 そうサラリと謝ると、老元子爵は更に眉間に深い皺を刻みつけた。

 ああいえばこう言う。嬉しくないタイミングで謝られる。

 老元子爵の顔がだんだん赤くなって来ているのが、見ててマジで面白かった。


「さぁ、そろそろアティも眠くなってくる時間だ。帰ろうかセレーネ」

 私が言いたい事全部言って、老元子爵にザマァしたと思ったのだろう。

 ツァニスがそう締めて、私の腰を引こうとする。

 しかし私は腹筋背筋を総動員してそれを断固拒否。

 これで終わらせねぇよ?


「その前に。以前ペルサキス元子爵に失礼な事をしてしまったので、そのお詫びの品をお持ちしたんです」

 私はニッコリと老元子爵に笑いかける。

 その瞬間、彼の顔がパァッと輝いた。

 そんなに嬉しいか。

 そうかそうか。

 ツァニスの腕をゆるりと外して私は周りを見渡す。

 すると、いつの間にか周りにできていた人だかりの向こうから、スルリと女性が箱を持って現れた。マギーだ。


 マギーはゆっくりと私たちの方へと近づいてきて、そしてそのまま、箱をうやうやしく老元子爵へと差し出した。

 彼が、その箱を受け取ろうとした瞬間──動きが止まる。

「……?」

 マギーが箱から手を離さないのだ。

 老元子爵が、イラっとした顔をした瞬間

「私を覚えておいでで?」

 マギーがそう呟いた。

 彼女の顔は能面だ。何の感情も浮いていないように見える。

 しかし、それは彼女を知らない人間が見たら、だ。

 私は、彼女の背中から猛烈に発せられる殺気に足がすくんだ。逃げられるタイミングだったら思わず逃げてたね。


 老元子爵は疑問顔のまま。

 その隣にいる息子──ペルサキス子爵──マギーの元夫も疑問顔。

 オイコラ。元妻の顔も忘れたのかコイツら。マジでクズかよ。

 ハッとした顔をしたのは、老元子爵の横に立つその妻と、いつの間にかそばに来ていたペルサキス子爵の妻だとおぼしき女性だった。

 彼女たちは、マギーに気づいたようだな。

 顔が瞬間的に真っ青になったよ。


 その反応に呆れたのか、マギーが小さくフッと笑って箱から手を離す。

 そして、サミュエルのそばへと戻って行った。

 大丈夫だよマギー。

 マギーの無念も晴らしてやるからね。


 私は笑顔のまま、老元子爵が持つ箱を両手で指し示した。

「さぁ、どうぞお開けになって」

 私は極上の微笑みを称えたまま、そう老元子爵を急かす。

 彼も、気を良くしたのかニコニコしながら箱を開けた。


 中身が露わになった瞬間──

 老元子爵の顔が、面白いほど蒼白に変色した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る