第89話 トドメを刺した。

 私の言葉に、みんなが動きを止めた。


「な……んだって?」

 ずっと大人しく私の言葉を聞いていたツァニスが、信じられないといった声音でそう漏らした。

 ツァニスだけじゃない。サミュエルも、老元子爵も、その妻も、同じような顔をしていた。


「その方が辻褄つじつまが合うと思いませんか? 生まれることが許されなかった孫だから救った、というのもまぁ分からない話ではありませんが。

 何故生まれた事を秘密に──いえ、違いますね。逆です。秘密にしてまで何故生ませたのか、ですよ」

 ペルサキス子爵が子供が生まれた事を知らなかったのは、生まれる前に子供がダメになったと聞かされていたからだ。


 そう、生まれたから秘密にされたんじゃない。

 生ませたいから秘密にされたのだ。


 生まれてしまったら、生まれた事がバレたら、ペルサキス子爵夫人に何をされるか分からない。だから秘密にされた、そこまでなら分かる。

 しかし、認知しなければいいだけの話だ。生まれた子供は自分の子供ではないと主張すれば良い。そこまでしたら、夫人も引き下がるしかない。

 幸い、その言い分は通る。ペルサキス子爵が貴族で、ダニエラが大店おおだなの娘とはいえ平民だから。

 貴族の男と平民の女では、どちらの言い分が通るのかは歴然だ。


 でも

 子供が生まれた事すらも秘密にしたかった。

 秘密にしつつ、生きる場所も生活の面倒も全部見ていた。

 何年か後には子爵の娘として迎え入れる。

 そこまでする理由は?


 簡単だ。

 老元子爵が、ダニエラの娘──乙女ゲームの主人公の父親の可能性もあるからだ。

 自分の娘かもしれないなら、そりゃ何としても助けたくなるよね。


「貴方の娘、だからですよね?」

 私は笑顔でそう尋ねる。

「そんな事は……ない……」

 老元子爵が、なんとか言葉を絞り出した。

 まさか私がそこまで見抜いていたとは思ってなかっただろうから、意表は突かれただろう。

 しかしそこは百戦錬磨。まだ言い逃れる気だね?


 ならトドメを刺してあげるよ。


「なら、何故その孫に自分のことを『お父さま』と呼ばせようとしていたんですか?」

 私がズバッと指摘すると、老元子爵の顔がドス黒く変色する。うわ、ヤバい顔色。

「そんな事はしていない! 嘘も大概にしろ!!」

 彼はそう怒号と共に否定したが

「嘘ではありません。確認しておりますから」

 そう言い返したのは、マギーだった。

「誰がそんな事を言っていた!!」

「別荘に勤めているメイドですよ」

 老元子爵の怒鳴り声を、私と同じようにサラリと聞き流すマギー。

「なんでそんな事が聞ける!!」

懇意こんいにしていたからですよ」

 面白い押し問答。

 アイツ、自分が追い詰められてる事に気づかないのか?


懇意こんい?! メイド同士の繋がりとやらか?! 馬鹿らしい!!」

 そう老元子爵が吐き捨てた瞬間だった。

 マギーの額にビシリと青筋が走ったのを見逃さなかった。怖ァァァい!!

「まだ思い出さないのですか?」

 マギーが露骨に嫌な顔をしてそう吐き捨てた。

 その言葉に、老元子爵が爆発する。

「いちいちメイドの顔なんて覚えていない!!!」

 あ。それ、地雷。


 マギーはスウッと背筋を伸ばし、スカートの端を摘んで、うやうやしく頭を下げた。その所作は、使用人のものではない。ちゃんとした上層教育を受けた子女の所作そのものだった。

「お久しぶりです、義理父様おとうさま

 貴方の息子の、前の妻のマギーでございます」

 マギーのその挨拶に、老元子爵はビシリと凍った。

 驚愕の顔でマギーを見つめている。わ。ホントに気づかなかったんだ。

「結婚していた時に懇意こんいにしていたメイドが、今は別荘に勤めているのですよ。彼女に確認しました。また、写真を撮影する時にも、少女に直接確認しました。

『いつも来る男性は誰?』と。つたない言葉でしたが、『おとうさま』だと答えてくれました」

 言い訳のしようもない事実が、マギーの口から語られる。

 これはもう無理だろ。諦めろ。


 老元子爵の顔色は、もう、なんか、何というか。生きてる人間のソレではないぐらい変色していた。大丈夫かな? 生きてる?

 本来なら、こういう時などに横から耳打ちしたりして助け舟を出していたであろう元子爵夫人は、口を扇子で隠して眉間に深ァァァい皺を刻んだまま動かない。

 あ、いや、動いた。

「気分が優れないわ」

 その言葉に、近くにいた執事が慌てて床に落ちた箱を拾い上げて彼女のそばに寄る。

 しかし、彼女はまるで汚い物を見るかのような視線で、執事の持つ箱を見下げた。

「そんな物捨てて」

 そう吐き捨てられた為、執事はどうすればとアワアワする。

「捨てて」

 彼女のダメ押しに、執事は箱を床に置いた。

 そして、クルリと我々に背を向けて歩き出す元子爵夫人。

 その後を老元子爵が追おうとして

「顔も見たくないの。暫くにでも行っていて下さる?」

 バッサリとそう切り捨てられた。

 うわぁ……アレ嫌味やん。つまり『他の女の所にでも行け』と。強烈ゥー。


 人混みに紛れる妻に見捨てられた元子爵は、その場に呆然と立ち尽くす。

 そのうち人混みの中から現れた別の執事たちに連れられて、彼もその場から姿を消した。


 さて。

 最後の仕上げだね。

 私は床に打ち捨てられた、写真が入った箱を拾い上げ、先ほどから床に崩れ落ちてシクシク泣くダニエラに差し出した。

 それを叩き落とすダニエラ。

「なんて事してくれたのよ! これでもう私たちは生きていけないわ!!」

 憤怒の形相で泣きながら、彼女はそう悲鳴のような声を上げた。


 そんな彼女に私は

「そんな事ないでしょう」

 そう彼女の言葉を否定した。

「そうなのよ! アンタ最低! まだたった三歳の子供を露頭に迷わせるなんて!!」

 あ、そっち? 子供の事か。

 ああ、子供のことを持ち出して、私に罪悪感を植え付けようってか?

 残念だったな。

「露頭に迷うとしたら、そうしたのは私ではなく貴女ではないですか?」

 サラリと責任転嫁すんなよ。

 何もかもお前の行動が招いた結果だ。

 まぁ、確かに? これから起こったであろう乙女ゲームの主人公のシンデレラストーリーの開始フラグをへし折ってやったけどさ。

 その裏で不幸になる筈だったアティの破滅フラグを叩き折る為だ。致し方ない。

「これだから温室育ちの女は!! 未婚の子持ちの女なんて誰も見向きもしないわ!!」

 温室育ち? お前、ベッサリオン領の冬の厳しさを知らんのかい。領主も総出で狩りに出て、命懸けで冬の間の食料調達じゃ。

 私は狩りに参加したけど、他の女性たちも狩りの成果の加工で大忙しじゃ。

 時間との勝負だから、家人も少ないし貴族といえどやらざるを得ないんだぞ。

 それに。

「それは不倫の代償ではないですか?」

 私がそう言った瞬間、彼女はギッと睨み上げた。床に置いた箱を掴んで振り上げる。

 私が腕をかざして避けようとしたが──

「やめるんだダニエラ」

 彼女の手を掴んで止めさせたのは、サミュエルだった。


 彼女は手から箱を取り落として、サミュエルの胸に飛び込む。

 そしてまたシクシクと泣き始めた。

 サミュエルはそんな彼女の肩をそっと掴み──グイッと押し返す。

「いい加減にしろダニエラ。俺はもうお前を擁護出来ない」

 最後の頼みの綱にそう拒否され、彼女はその場に立ち尽くしてガタガタと震え出した。

「サミュエル……」

「何度も言っただろう。そんな事はやめろって。最悪の状況になったら取り返しがつかなくなるぞと。そうはならないと笑っていたのはお前じゃないか」

 うわ。今ソレ言う? トドメだよ本当に。

「それに、まだお前には帰る家があるだろうが。旦那様がお前の事を心配しているらしいぞ」

 旦那様──ああ、大店おおだなの主、ダニエラの父親か。

 まぁそうだな。自分の娘と孫娘でもあるし。養育する金も環境も提供出来る。

 貴族の落としだねかもしれない孫娘なら、利用しがいがありそうだから捨て置かないだろうしね。

 まぁ、妊娠したであろう時期に、何人の男たちと寝てたかは知らんけど。果たして本当に、貴族の落としだねなのかな?


 ダニエラが、無言でその場に崩れ落ちた。泣いてすらいない、茫然自失だ。


 そこへ、ダダダダッと走り寄って来る音が聞こえた。

 何、と思っていたら死角から膝カックンされた! 危うく倒れる所だった!!

 こんなんするヤツ一人しかいねぇ! エリックだろう!!

 そう思って足元に視線を落としたら、違った。アティだった。アティが私の足にしがみついていた。

 え、アティ? アティが私に膝カックンしたの? マジか。

「おかあさま……きれい……」

 アティが、私を見上げてキラッキラしている。こんな所で必殺・星飛ばし?! なんで?! 私を昇天させたいの?!

 私の目の前に仁王立ちしたエリックも、口をあんぐり開けて私を見上げていた。

「だんちょうきれいだぞ! あ! だんちょうってよんじゃいけないんだった!!」

 エリック……それ、意味ない……

「セレーネ、最高にお美しいです」

 そんなおべっかを使うのはイリアスだ。

 そんなの言っても何でないぞ?

「セレーネ様……お、おキレイです……」

 ゼノまで。顔真っ赤にしてモジモジしながらもそんな事を。

「みんなしてそんな事を……どうしたの突然」

 なんで私を持ち上げるの?

 何? なにかやらかした? とんでもなく高いモノ壊したか?

「セレーネ」

 私の横に立っていたツァニスが、改めてそう私の名前を呼んだ。

 なに。なんなのみんな。改まって変な顔をして。

「言うのが遅くなった」

 え。何。離婚すか? ここで離婚言い出しますか?


 そう思って身構えていたら。

 ツァニスがその場で片膝をつく。

 私の手を取り、そして、恭しく私の手の甲に唇を落とした。


今宵こよい其方そなたは美しい。この場の誰よりも。

 造形だけの話ではない。其方そなたの気高さ、聡明さ、どれをとっても素晴らしい。

 其方そなたが妻で、私は幸せだ。

 私と結婚してくれて、ありがとう」

 私を見上げながら、ツァニスがそうハッキリと告げた。


 一瞬、シンとなる舞踏会会場。

 しかし、どこからともなく拍手が巻き起こり、そのうち物凄い勢いとなってその場を包み込んだ。

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