第76話 物事が動き始めた。

 物事の風向きが変わって来た。

 悪い方向へ。


 いつもは屋敷で仕事しているツァニス侯爵が頻繁に外出するようになり、屋敷に居ても難しそうな顔をするばかりだった。

 それについて、執事長が婉曲えんきょく表現で私に当て擦りを言うようになった。

 当て擦り嫌い。通じれば相手にダメージを与え、通じなければ頭が悪いと嘲笑すんだろ?

 そういう事すると、いずれ本音が話せなくなって自分の首を絞めるぞ。やめとけ。

 と、執事長に直接言ったった。


 しかしまぁ……あの老元子爵の反撃が始まったな。

 汚ねぇ野郎だなぁ。

 政治に全く関係ない私への個人的鬱憤を、政治力で侯爵経由で間接的に晴らそうとするとか。

 そんな公私混同ジジイが未だ中央に力を持ってるとかって、この国ヤベェな。

 すぐにはダメにならないだろうが、緩やかに衰退していき、ある日突然隣国に乗っ取られて終わりや。


 にしても。

 ツァニス侯爵に迷惑をかけてしまった事自体には、正直罪悪感がない訳じゃない。

 あの場で反論すればこうなるだろう事は容易に想像できた。

 でも、そもそも。

 バカにされたから怒っただけなのに、それに対してこんな制裁してくるジジイが許されて、罵倒された方が我慢しなきゃいけないって、社会イビツ過ぎんだろ。

 弱者は弱者のままでいろってか。ふっざけんな。

 でも、ツァニス侯爵は私を責めなかった。


 うーん。カラマンリス邸がお取り潰しになったら、アティ連れて山にでもこもるか。熊、また狩れるように罠の腕磨いておかないとね。ツァニスも……本人が構わないなら、一緒に。


 そんな時だった。

 ウチに修行(?)しに来たエリックが、こんな事を漏らしたのは。

「だんちょうとあてぃは、ぱーてぃでるのか?!」

 私がワザと肩を突いて転ばせても、無意識に受け身が取りつつ、そのまま後転して起き上がれるようにまでなった短絡王子・エリックが、顔をワクワクさせながらそう言った。そんなに目を見開いたら、目、落とすぞ。

「パーティ?」

 当然のように何も知らない私と、横でストレッチしていたゼノが同時に首を捻る。不意打ち可愛い。

 一人で受け身の練習をしていた偏執少年・イリアスが、少し驚いた顔をした。

「舞踏会だよ。貴族間の夏至祭り。といっても、いつも夏至から随分遅れての開催で、夏至祭りにかこつけたくだらない大人の見栄張り場だけどね」

 イリアス……その歳で大人の事情理解してんの? 絶対弟よりこの子の方が宰相向きじゃん。じゃなきゃ国の損失だよ。

 しかし。いつも通りだけど、そういうの知らなかったなぁ、くっそう。

 私が恨めしく家庭教師サミュエルの方へと向き直ると、涼しい顔した彼がアティのストレッチを介助しながらコクリと頷いた。

「本来大人の社交場ですが、エリック様とアティ様の婚約もあったので、紹介という意味で二人は参加する事になっていますよ」

 うわ、出た。また『知らなかったのは私だけ』ってやつやん。

 待てよ。それってオカシイ。

 普通そういう場には妻同伴だ。

 何故私には伝えられてないんだ?


 ……なんか、あるな?

 そう気づいて、私は改めて家庭教師サミュエルを見る。

 あ! サッと視線を逸らされた!!

「サミュエル。ここで素直に全てを話すか、絞め技食いながら嫌々話すか、どちらがよろしいですか? 選ばせて差し上げますよ?」

 私が手首の関節をほぐしながらそう笑顔で尋ねると、サミュエルはフッと鼻で笑う。

 ああ、そんな事言いつつ、子供の前でそんな事しないだろうってか?

 甘いな。

「イリアス。貴方は将来恐らく背は高くなりますが、身体が弱い影響で、力は他の男性には敵わないでしょう。

 ゼノ、貴方は将来力も強く背も大きくなるでしょうが、それまで弱いままでいる必要はありません。

 有効なのは関節技、及び絞め技です。足や全身の筋肉を使えば私でも大の男を失神させられるぐらいは出来ますよ。手足が長ければ更に有利です。

 まずはデモンストレーションしてみせますね」

「ハイ。食い入るように見ます」

「はい」

「話しますよ!!」

 私とイリアスとゼノの連携プレーにより、アッサリ折れるサミュエル。

 イリアス。舌打ちしたの、聞こえたぞ。


 渋ーい顔をしたサミュエルが、重そうに口を開く。

「……旦那様には、ダニエラが同伴します」

 あー。キタ。なるほどね。そういう事か。

 あの老元子爵の差金だな。


 私に恥をかかせる絶好の方法だ。

 妻なのに社交界に同伴させないという事は、本人が何らかの理由で拒否した時以外は『お前は社交界に出せない人間だ』という意味だ。貴族の間で、私の立場を底辺まで落とす素敵な方法。私は夫に同伴を許されなかったヤバイ妻のレッテルが貼られる。

 しかも。侯爵一人で出るならまだしも、ダニエラが代わりに同伴させるという事は。

 妻は女としてもダメでした、という事を意味する事になる。

 妻がいるのに親戚でもない女性を伴うとは、つまりそういう事だ。


 老元子爵め。この為に奔走していたな。事前にジワジワ侯爵の仕事の邪魔をして、ツァニスがこの事に同意せざるを得ない状況に追い込んだな。

 やるな、あのジジイ。ムカつくほど鮮やかな手際だ。

 しかも。多分、それだけじゃない。

 ダニエラを貴族界デビューさせる気だ。しかも、ツァニスのパートナーとして。

 先に世間的にツァニスのパートナーになって、そのうち実際もそうなろうとしてんのかな。あの女もしたたかだ。


 ……あの二人の関係が気になるな。

 何故あの老元子爵はダニエラを可愛がる? デキてんのか? それもありそうだけど、それだけじゃなさそうな気がするな。

 まだ何かある。


 もう喋りましたから、みたいな顔をしていたサミュエルに笑顔を向けた。

「貴方も協力しましたよね? ダニエラの同伴に」

 そう突っ込むと、サミュエルはビクリと肩を震わせた。だろうな。だと思ったよ。

「という事は。貴方はまだ全てを喋っておりませんね?」

 ジリっと、彼に一歩近寄る。

 すると彼はそれに合わせて一歩下がった。しかし、その腰に後ろからガシッとイリアスが抱きついた。

「これぐらいの身長差がある時はどうしたらいいの? セレーネ」

 イリアスにそう問われたので、私は笑顔で応えた。

「まずは下半身を狙うのです。急所は勿論、膝、向こう脛、くるぶし、足の甲、皮下脂肪が薄いところを思いっきり蹴るのですよ。相手が痛みで屈んだらチャンスです。相手の顔の真ん中、鼻の下に人中じんちゅうという急所があります。思いっきり頭突きを叩き込みなさい」

「なるほど」

「何が知りたいんですかっ!!」

 イリアスと私の連携に、サミュエルはまたすぐに折れた。チョロすぎるだろうが。


「あの子爵とダニエラの関係はなんなのですか」

 私が改めて真剣にそう問うと、サミュエルは片手で顔の半分を覆って苦い顔をした。

「微妙な関係ですね…」

 なんだよ、微妙って。

「ダニエラが、私の前から姿を消した時──妊娠していずれ結婚すると言っていた相手が、あの子爵の息子だったんですよ」

 その言葉を聞いた瞬間、背中にビリリと電気のようなものが走った。


 待て、待て、待て、待て。

 その話の違う側面を聞いた気がする。

 いや、細かいところが違う。

 これは偶然の一致なのか?


「ダニエラは、結婚してないですよね?」

 あの話──マギーの話では、マギーが離婚した後愛人と再婚したと、そう言ってたよな?

 サミュエルはコクリと頷いた。

「ダニエラに聞きましたが、どうやら不倫だったらしくて……相手の奥方に猛烈な反対を食らったそうです。そうこうしているウチに子供がダメになって、結婚話が立ち消えた、という事みたいですよ」

 違う、やっぱりマギーの話と違う。

 どういう事だ? 子爵に複数の息子がいるって事か?

「サミュエルは、その子爵の奥様の事を知っていますか?」

 そう問いかけると、彼は首を横へ振った。

「個人的には存じ上げません。ダニエラの事があったので少し調べましたが……

 まぁ、猛反対した理由も笑える話です。

 子供ができた事が許せなかったらしいですが、自身が元愛人で、子供ができた事で元々の妻を追い落として自分が結婚したんですよ。

 因果は巡る、ですね」


 ──繋がった。繋がっちゃった。マギーの話と。

 どんだけ世間は狭いねん。


 子爵の息子と最初に結婚していたマギー。

 愛人に子供ができた事でマギーは離婚させられ、そして次の妻になったのが元愛人。

 そして次の愛人がダニエラ。

 しかし、ダニエラは子供の事があった為か、結婚できなかった。

 ふむ。取り敢えず子爵の息子、マギーの元夫がクソ野郎だという事は間違いないな。

 マギー、離婚できて正解だったよ。


 それにしても。やはりシックリこない。何故だろう?

 もしかして、老元子爵は個人的にダニエラを可愛いがっていて、結婚させられなかった事を悔いて彼女に良くしているのか?

 ──いや、何か、違和感がある。


 あのジジイが、血も繋がらない他人の女に、ただ可愛がっているというだけで、これほどの事をするとは思えない。

 しかも、息子の元愛人だ。何かある。何か──


 ダニエラ・サマセット。


 彼女の名前。

 きた。

 ピンときた。


 それに気づいた瞬間、私の脳内を様々な情報が駆け巡った。

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