第74話 子守頭の話を聞いた。

 なんだか物凄く身体がダルかった。

 しかし、まだマギーの話を聞いていない。

 私は少しフラつく身体に気合いを入れて、寝かしつけを行ってくれているであろう子守頭マギーの所におもむいた。


 アティの部屋の扉をそっとノックする。

 暫く待つと、扉が開いてマギーが顔を出した。

「アティは寝た?」

 小声でそう問いかけると、マギーは小さく頷く。

「変な時間に一度寝たので少し手間取りましたけどね」

 ああ、帰ってくる時に寝ちゃったからね。あれでリズム狂ったか。

「大丈夫そう?」

「ええ恐らく」

 そんな返事が返って来たので、私は意を決して口を──

「話すことは何もないですよ」

 開く前に断られた。早いよマギー。まだ言ってなーい。

 部屋から出て来たマギーは扉を閉めてさっさと行こうとしてしまう。慌ててその後ろをついて行った。

「待ってよ。まだ何も──」

「貴女の顔を見れば分かります」

 彼女は足を止めない。くっ……手強いな。

 でも私もシツコイぞ。

「少しだけ話させてよ」

「嫌です」

 にべもねぇ。

「でも──」

 なんとか追い縋ろうとしたら、マギーはピタリと立ち止まってクルリと振り返る。

 厳しい視線で私を見てた。

「私の人生に土足で踏み込もうとするのはやめていただけます?」

 そう返され、思わず言葉を詰まらせた。

「ツァニス様は夫なので口出しは問題ないでしょう。サミュエルも恐らく本人がなんだかんだで言いたかったのでしょうね。結局こじれたみたいですが。

 しかし私は違います。腹をさぐられるのは不愉快です。貴女はアティ様の事だけ考えてればいいんです」

 エグい程鋭利な言葉だった。

 確かに。私はあんまりデリカシーがなかったかも。人に踏み込まれる事を嫌がる人もいる。マギーはそうなんだろうな。


 しかし。私だって引けない。

 彼女は将来、アティを歪ませて悪役令嬢にしてしまう可能性があるのだ。

 その原因はマギー自身が歪んでしまった事に起因すると私は思ってる。

 アティの為にも、私はマギーの心に土足で踏み込むんでやるわ。

 嫌われても構わない。

「これはアティの為です。好奇心だけでマギーの人生に踏み込もうとしているワケじゃない」

 そう、ハッキリと告げた。ここで「貴女の為を思って」とか嘘や綺麗事を並べても意味がない。彼女にはそういう事は通じない。

「貴女が私の人生に踏み込む事が、何故アティ様の為になるのです」

 物凄い嫌そうな顔。彼女は私に対して、こういう時のマイナスの感情は隠さない。

 だから私も隠さない。

「マギーがアティの子守だから。貴女がアティに一番近い。私より近い。つまり、貴女の考えや行動が、アティに一番影響を与えるんだよ。

 マギーが歪めばアティも歪む。それを指くわえては見てられない」

 本音をぶつけると、彼女は視線を横へと外してフッと笑った。

「それも面白いですね」

 なんだって?

「私が歪めばアティ様も歪む、か……。つまりアティ様は私と一緒に堕ちてくれるっていう事ですよね?」

 彼女が──マギーが暗い微笑みを顔に浮かべる。

 その瞬間、私の背筋に悪寒が走った。


 がしっ


 反射的にマギーの両手を掴んだ。

「誰が堕ちさせるか。アティ諸共マギーも引き上げてやんよ」

 彼女の目をのぞき込んで、そうハッキリ言ってやった。

 驚いた顔のマギー。一瞬言葉を失いつつも

「告白ですか」

 なんて軽口を叩く。

 ちょっと考えてから、返事した。

「そう。告白。だから応えて」

 真剣に、彼女の瞳を再度見返した。

 私が「違うよ」と否定するとでも思っていたんだろう、彼女の頬がカッと赤くなった。

「なっ……何を……」

 マギーが珍しく言い淀んだ。いつもの冷めた目じゃなく、アワアワと焦っているのが丸分かり。

「何かあったんでしょう? 教えて。力になれる事があったら力になるから」

 最後のダメ押し。


 口をパクパクさせたマギーは、私の身体をドンと後ろに押し返し、手を振りほどいた。

 ダメだったか──

「……ここでは話せません。バルコニーに出ましょうか」

 そう言って、マギーはプイッと私に背中を向けた。

 I did itやったね

「あ、ワインでも持ってきてくださいね。素面シラフでは話せません」

「うん!」

 彼女の言葉にそう返事をしたけれど……いや、マギーザルじゃん。屋敷中のワイン空けても素面シラフでしょうよ。

 まぁいいや。

 私は速攻で自分の部屋へとワインを取りに走った。


 ***


「誰にも話した事はありませんが、私は貴女と同じく、離婚歴があるんです」


 そう、静かにマギーが語り始める。

 二人でバルコニーの手すりに寄り掛かりながら、ワインを飲み始めてからしばらく経ってからの事だった。


 彼女の言葉に、私は驚かなかった。

 マギーぐらいの年齢で育ちの良さを持ちつつ、子守として働いているという事は、何かしら事情があって結婚できなかったか、もしくは離婚したかのほぼ二択だからだ。

「私は──」

 少し、マギーが言い淀む。私は辛抱強く待った。

「──子供が産めない身体なんです」

 流石に息を飲んだ。

「結婚して二年経ってもダメでした。多分、何度か自然流産はあったかと思いますが……そのうち妊娠の気配すら無くなりました」

 マギーが淡々と話す言葉に、自分の体温が下がっていくのを感じた。

「で……でも、それってもしかしたら相手が原因かもしれないし……」

 妊娠は一人でするものではない。男女どちらかに原因がある、もしくは両方にあるかもしれない。原因は男女半々なのだ。

「それはありません」

 ズバッと彼女が言いきった。

「夫は、愛人に子供ができましたから」

 ──ああ……そうか。それはキッツイなぁ……

「愛人と言っても公然です。私に子供ができないので、夫以外の人間も黙認するどころか愛人の方を大切にしていましたね。

 その後私は離婚しました。愛人を嫁にする為に」

 そこで彼女は一度言葉を切り、グイっとワインを飲み干す。

 なので私は彼女のグラスにワインを注いだ。

「正直、ホッとしましたね。もう『子供を早く』『お前の努力が足りない』『なんとかしろ』『お前のせいだ』と責められる事もなくなったので」

 ああ、だろうね。

 私も元夫と離婚した時そうだった。これであの攻撃を受けなくて済むんだと思ったら、心底ホッとしたよ。分かる。超絶分かる。

 なんで人は、個人ではどうしようもない事を相手に押し付けるのかな。努力でなんとかなる事とならん事があるっちゅーのに。


「それで実家に戻ったのですが……」

 彼女が、少し言い淀んだ。

 グラスを持っていない方の手が、バルコニーの手すりを強く掴んでいる事に気が付いた。

「……実家には、もはや私の居場所はありませんでした」

 あくまで淡々と言っているかのような口調だけれど、マギーの喉が締まっているのを感じた。辛かったのか、悔しかったのか。

「実家では、役立たず、穀潰しとまで言われましたね。自分の娘によくそこまで言えたもんです」

 ヤバイ。私が泣きそう。なんでマギーがそんな目に遭わなきゃならんのだ。子供ができなかっただけじゃないか。それじゃあまるでマギーが、誰かの家に嫁いで子供を産む為だけに存在していたと言わんばかりじゃないか。

「貴女の家ではそうではなかったのでしょう? 貴女を見ていると分かります。幸せな環境で育ったんだって」

 悔しさを滲ませた声で、マギーは私のそうこぼした。

 言われて確かに。さすがにそこまでは言われなかったな。私は恵まれていた。

 大人しくしないからだとか、じゃじゃ馬だからだとかは散々言われたけれどね。

 それに、私には迎え入れてくれた妹たちもいたから。メルクーリ領に罠を仕掛けて元夫を狩ると躍起になる妹たちを抑えるのはマジで大変だった。だって本気だったんだもん。

 ま、だから私は救われたんだな。


「家を追い出されたので、なんとか働き口を探して色々な場所をメイドとして転々とし、そして最後にこのカラマンリス邸をご紹介いただいたのです。

 まぁ、雇ってもらえた一番の理由は『私が子供が産めないから』なんですが」

「え……? なんで……?」

 思わず疑問が口をついて出てしまった。

 すると、マギーは自嘲気味に笑う。

「大奥様の御意向ですよ。子守と旦那が浮気するのなんて日常茶飯事ではないですか。下手に使用人との間に子供ができたらそれこそ大変な事態です。

 それを嫌がった大奥様が、その可能性がない年老いた女か、子供を産めない女を子守として探していたんですよ。面接で面と向かって言われました」

 それを聞いて眩暈を覚えた。

 あの大奥様……マジで人格破綻者じゃねぇか……自分の息子も信じてなければ、使用人も扱い方が難しい道具としてしか見てないのかよ。

 出禁になって本当に良かった。


「だから私は、この身体を呪ってもいましたが、好きでもあるのです。この身体のおかげで、アティ様に出会えたのだから」

 遠くへと視線を投げながら、そう微かに笑うマギー。

 ダメだ。待って。泣いちゃう。涙が勝手に出てくる。アカンって。ここで泣いたらマギーになんて言われるか。


 あれ、でも待てよ? それって今更の事なんだよね?

 どうして今、彼女の様子がおかしくなった?

 キッカケがあるハズだ。

 キッカケ……え、まさか──

 私の顔で察したのか、マギーが私を見ながらゆっくりと頷いた。


「ええ。私の嫁ぎ先が、あの子爵の家だったんですよ。私の元夫は、あの子爵の息子です」


 そんな事ってある?

 あのダニエラとかいう、サミュエルとツァニス侯爵の幼馴染女が連れて来た男が、マギーの離婚した元夫の父親とか。

 世間が狭すぎる。


「だから、貴女にできる事はないんですよ。私が自分の気持ちを整理するしかないのです。残念でしたね」

 そうマギーが私を揶揄やゆしたが、表情は──眉尻を下げて笑っていた。

 確かに。私が力になる事なんてなさそうだ。

 でも、何か大変な事になりそうな予感が、私の背筋をゾワゾワさせた。

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