第73話 侯爵に説教し返した。

 ツァニスの書斎へと行く。

 部屋に入ると、憮然とした顔でソファで酒を飲むツァニスの姿が目に入った。

 イライラしてるわ。こりゃお説教するつもりだな。

 甘んじて受けよう。

 最初はな。


 部屋の扉を閉めると、ちょいちょいと手で近寄るようにいわれる。

 私は彼の向かいのソファに腰を下ろした。


「まぁ、なんで呼ばれたのかは分かっているな」

 ウィスキーのような酒の入ったグラスをユラユラ揺らしながら、ツァニスが私を見る。

「ええ。日中の事でしょう。

 せっかく逃げろと仰って下さったのに、乱入してしまい申し訳ありませんでした」

 深々と頭を下げた。

 そう言ってくれたツァニスの気持ちは嬉しかった。私も、何なければそのまま乱入せずに逃げてたよ。

 結局、聞き捨てならねぇ事があったから乱入しちゃったけどさ。


 ツァニスは、深ァい溜息を一つこぼす。

 呆れてものが言えない、そんな顔をしていた。

「あの後、子爵を宥めるのは大変だったんだぞ」

 額にかかる前髪をかきあげながら、少し私を責めるような声音こわねでほうボヤくツァニス。

「でしょうね。ああいう方は、女に反論された事ないでしょうからね」

 知っててやった。

「あの方はどういった方なのです? 今は引退している元子爵ですよね? しかし、貴方の態度を見ていると、爵位など無関係にあちらの方が偉そうでした」

「偉そう……」

 私の言葉に、ツァニスが少し笑った。

「そうだな。あの方は子爵だがコネクションが絶大でな。逆らうと方々にネゴを取り緩やかに相手を追い詰めるのだ。

 なかなか厄介な相手なんだ」

 なるほど。だからツァニスは丁寧に扱ってたんだな。

「それを知らずにお前ときたら……」

 ツァニスが片手で顔を覆う。

「少しは自重できないのか」

 あ、本音出た。

 ソレを言いたかったんでしょ?

 自重しろ、と。


 私は少し考えてから口を開く。

「そうですね。初めて出会った方に面と向かって怒りをぶつけた事は、あまり良くなかったかもしれませんね。申し訳ありません」

 大人げなかった。確かに大人げなかった。

 私の悪い癖だ。

「しかし──」

 私がそう続けると、ツァニス侯爵は嫌そーうな顔をした。

 反省してないな、そう言いたげな顔。

 なので、私はニッコリして彼の顔を見返した。

「私があの場で反論したのは、に幻滅したからですよ」

 そうぶつけてやった。

 驚いた顔をするツァニス。

「私に……?」

 そんなバカな、そう言いたげな顔だね。


 私は笑顔を消し、立ち上がって彼を見下ろした。

「私がはずかめられているのに、貴方は一緒になって笑いましたよね? 聞こえていましたよ」

 何がムカついたって、それが一番ムカついたんだよ。

「しかしそれは……」

「それは、何です?」

 言い淀むツァニスに、続けるようにうながす。

 彼は渋い顔をして言いにくそうにしながらもなんとか口を開いた。

「否定したら角が立つだろう。流しておけばいいのだ」


 ……へぇ。

「ツァニス様による、私への教育が必要だと、貴方は流す事によって肯定なされた」

「いやだから──」

「じゃじゃ馬慣らしに精進するんですって?」

「それは──」

「貴方は私をビシッと教育してくださるのですか?」

「うっ……」

「私のケツに赤いリボンでも結ぶか?」

「……」

「お前、妻が侮辱されててよく平気だったな? お前にとって私はそんなモンだったのか? それとも、自分もそう思ってたんだよってか? 『愛してる』が聞いて呆れるわ」

 そう、吐き捨ててやった。


 彼は眉間に皺を寄せて渋い顔をしている。

 前までは、私に言われるがままだったツァニスも、少し変わったのだろう。

 キッと視線を厳しくして立ち上がり、逆に私を見下ろして来た。

「違う。あの場では子爵の機嫌を取る為に、ああ言っておいた方が無難だっただけだ。

 本当にそう思っていない事は、お前も分かっているだろう」

 ツァニスがそう反論する。

 私は鼻で笑い飛ばした。

「大切にしていると知っているなら、表で他人に罵倒されるのも甘んじて受けろ、と? 信じていた夫も一緒になって笑ってても、裏では愛されているんだから耐えろと?」

「そうだ」

 言い切ったな、ツァニス。

 本当に──幻滅したよ。


「家庭内では大切にしてやってるんだから、社会的には踏み潰される事に耐えろ、と。

 貴方はそう言うのですか。

 自分一人が大切にしてやってるのだから、他の男たちから踏み付けにされてグチャグチャにされても構わないだろう、と」

 私がそう吐露すると、ツァニス侯爵はハッとした顔をした。

 お前がした事は、つまりそういう事なんだよ。

「そんなの愛情でもなんでもねぇわ。自分の大切にしてる女が他人から蹂躙されてるのが平気なんだからな」

「違う!」

 彼がそう慌てて否定してきた。

「ただの謙遜だ! 平気なワケがないだろう!」

「はぁ?! 謙遜?!」

 彼の言い訳に速攻噛み付く。

「謙遜とは自分を下げる事だ! 他人を下げる事じゃない!」

「お前は他人ではないだろう!」

「他人だよ! お前とは違う個体だ!

 勘違いすんな! 私は肩書きが妻なだけだ! 一人の人間だって、何度言ったら分かるんだよ!! お前の付属品や、お前の一部じゃないッ!!!」

「ッ……!」

「自分を下げる事は謙遜だ! なのに何故私まで一緒に下げた! 自分の一部だと思ってたから一緒に下げるべきだとでも思ったんだろう?! バカにすんな!」

 そう怒鳴りつけると、彼は歯をギリリと噛み締めて苦い顔をする。

「しかしあの場では……」

「『そんな事はない。私には勿体ないほどの女性です』とでも言っときゃ良かったんだよ! それで終わらせることが本来の『流す』だろうが! 一緒になって笑う事は流すとは言わない!」

 私が言わんとしている事に、やっと気づいたのか、ツァニス侯爵は愕然とした。


 怒鳴って少し落ち着いたのか、私は逆になんだか悲しくなって来た。

「なんで他の男に妻について口出しされる事を許した。なんで知りもしない男に私をけなす事を許した。

 お前にとって『妻』とは他人との話題のオモチャなワケ? それとも、私とお前の関係を、他人の言う通りにしたいの? 他人に手綱を握らせたいの?」


 最近、やっとちゃんと私を一人の人間として見てくれていると感じて来たのに。

 何故、これが他人と相対あいたいする時になると、途端にバグってまた私を付属品扱いするのか。


 何も言わなくなったツァニス。言うべき言葉が見つからないのか。それとも図星だから言い訳出来ないのか。

 私は酷い倦怠感を感じつつ、彼にあの時のことを説明する。

「私があの場でしゃしゃり出て怒ったのは、本来怒ったり否定する筈の貴方まで一緒になって笑ったからです。

 貴方が否定しないのであれば、自分で否定するしかないでしょう。

 そうでなければ、それが社会的に事実になってしまう」

 そして、あの老元子爵は、私を底辺に置いたまま更にバカにし続けただろう。今後何処で出会ったとしても、彼は今後ずっと私を踏み付け続ける。

 何せ、


「それに──」

 私は最後の懸念を口にする。

「他の家から迎え入れた妻を自分の一部として扱うということは、貴方はきっと娘のアティも同じように自分の一部として扱うでしょう。自分の娘です。更に抵抗感は薄いでしょうね。

 そしていずれ、と称して彼女を貶める。今日貴方がしたのと同じように。

 彼女がソレを聞いた時、どう思うでしょうかね?」

 その言葉を聞いた瞬間、ツァニス侯爵が息を飲んだのを感じた。


 世の中には、そういう父が多い。

 それを一番実感しているのは私だ。

 何せ私の父が、『北方の暴れ馬』と最初に私を呼んだのだから。

 それが、会話していた貴族から他の貴族へ、伝え聞いた使用人から領民へ。

 悪名は笑い話のネタとして、方々へと広がって行った。

 私自身を知らない人間でも、『北方の暴れ馬』と言われたら、どこぞのじゃじゃ馬伯爵令嬢の事だと分かる。貴族のゴシップは恰好のネタだから。

 そして、嘲笑する。私を知りもしないのに。


 父が、私を、社会的におとしめたのだ。


 アティにはそんな事させない。

 私のような思いを、アティには絶対にさせない。


 私は、ただ呆然と立ち尽くす侯爵を置き去りにして、部屋を出て行った。

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