第72話 遠乗りに行った。

 アティとゼノを連れて遠乗りに出た。

 私の馬にアティを乗せて軽快に走らせる。

 ちょっとモヤモヤしていたのでかなり速度を出したけれど、腕の中にいるアティはいつもより早い速度にキャッキャと喜んでいた。


 後ろを走るのは、ゼノと、マギーを乗せたアティの護衛。

 何度か振り返って確認したけれど、その必要がないぐらい、二人は馬術が上手かった。

 ゼノは少し小さい馬に乗り、かなり必死で頑張ってる様子だったけど、アティの護衛は余裕そのもの。アティの護衛はかなり馬術が上手い。私よりも上手いね。

 ゼノも年齢の割には上手いと思う。少なくとも、同じ年だった頃の私より俄然がぜん上手い。将来有望だなぁ。


 今日はピクニックしたのとは逆、街の方へと来た。しかし街の方向からは少し外れて、街を眼下に望める小高い丘の上で止まる。

 馬を降りてアティを下ろしてあげると、アティが顔を輝かせて街を見下ろしていた。

「うわー」

 語彙が少ないけれど、アティが感動している事は顔で分かる。

 目から星が飛んでるし。キラキラ飛んでるし。アティの必殺・星飛ばし。私命名。この必殺技には、見た大人を腰砕けにする効果がある! 効果はバツグンだァ!!


 ゼノも、目をひん剥いて眼下の街を物珍しそうに見ていた。

「大きな街……」

 あ、そっちか。メルクーリ領は辺境地帯だからね。一つ一つの街や村はこんなに大きくないのか。

 でも確かに。世間は広いよね。自分が知らない、見たこともないものがこうして沢山あるんだもんね。

 ゼノにこの景色が見せられて、良かったなぁ。


「どうかな、アティ。どう感じる?」

 私は膝を折ってアティに目線を合わせて、そう問いかけてみた。

「えっとね……」

 アティは頬っぺたを上気じょうきさせて、パクパクと口を動かす。感情が爆発しているのかなかなか言葉が出ないみたい。辛抱強く待つ。

「すわーってかんじ」

「そっか! すわーって感じかぁ」

 可愛い。その表現可愛い。すわーって。すわーって。何かよく分からないけど、なんとなく伝わったよ! ゼノは首傾げてるけどね!

「おうまさんがね、びゅーんってなったから、すわーってなったし、ここもね、すわーってなってるの」

 アティはあまり喋る事をしてこなかったから、語彙力が少し足りないように感じる。

 妹たちのマシンガントークが比較対象だから、まぁ、ね、あんまり、参考にはならないかもしんないけど。

 まぁ語彙力があんまりなくても構わない。ちゃんと、感じていてくれるのなら。

「でね、そしたらね、ここがね、ぎゅーってなったの」

 興奮しながら、アティは自分の胸とお腹を触る。ああ、分かる分かる。感動したりすると、そこらへんがぎゅーってなるよね。

「気持ちよかった?」

「はい!」

 あ、返事は『はい』なんだ。予想外にキュンとしたぞ。

「私もね、アティと馬と一緒に走れてすっごく楽しかった。ここがぎゅーってなったよ。この景色もね、遠くまで見通せてすわーって感じがするよ」

 私がそう笑うと、アティも一緒になってにかーっと笑った。もう可愛い。限界可愛い。天元突破可愛い。


「ゼノはどう? どう感じた?」

 次に彼に問いかけてみる。ゼノは視線を泳がせた。自分の脳内を弄るかのように目をキョロキョロと動かす。

「なんでもいいよ。擬音でもいいし」

 そうアドバイスして、私は彼から言葉が出るのを待った。

 手を擦り合わせてアレコレ考え込むゼノ。可愛いなその動きも。そんなに擦ったら火が起こせるね。

「ええと……」

 彼は、少しほっぺたを赤くして口を開く。

「すわーって、感じです」

 恥ずかしそうにそう答えると、アティが『だよね!』という顔をした。

 もうなんなのこの二人! 可愛すぎる! セットで可愛い過ぎる!! 可愛さの二乗で桁外れだよ!!!


 そうキュンキュンしていたら、アティがポツリとこぼす。

「でも、おしりいたい」

 あ、だよね。まだ痛いか。

 乗馬を教え始めてから、アティの尻の皮が剥けた。

 シャワーの時に発覚し、本人も痛かったのだろう。唇をグッと噛み締め涙を溜めながら痛さに耐えていたと言われたごめんなさい……胸が潰れそう。

 マギーにメッチャ嫌味言われた。心ボッキボキにされるほど詰められたごめんなさい……

 これはまだ上手く馬のリズムに乗れないのでお尻が鞍に当たって擦れてしまう為だ。

 私も小さい頃、まだ乗馬を始めた頃は剥けた。痛かった。だからその痛さが分かる。

 その後、私は尻の皮が剥けなくなった代わりに、内腿が擦り切れた。これもまた痛かった……乗馬が下手だったなぁ、あの頃は。

「そっかぁ。痛いか。辛いね。帰りもあるけど、頑張れる?」

 そう尋ねてみると、また「ハイ!」と元気よく返事した。最高に可愛い。


 そういえば、アティが乗馬好きになったのは私だけのせいじゃない。

 アティの護衛の子が、簡易的なあぶみを手作りしてくれたのだ。すごい才能。既存の鞍につけられて、足の置き場にする程度のものだったけれど。

 それを見た時のアティといえば……踊ってた。踊ってたよ……その場でくるくる回って踊ってたよ。なにソレ尊いっ……天使のダンス? 私を天国に連れてってくれるの? 大丈夫! ここが既に天国だから!!


 それ以来、アティは率先して馬に乗りたがった。尻の皮が剥けても乗りたがった。

 まだまだ小さいので勿論一人では乗せられないけれど、そのうち一人で乗れるようになるね。将来が楽しみだ!!


「あのね、お尻が痛くなるのは──」

 お? ゼノがレクチャーしてくれてる!

 アティが分かりそうな言葉を選びながら、丁寧にアティに乗り方を教えるゼノ。

 アティはフンフンと頷きながら、彼の話に聞き入っていた。

 ……尊いっ!!


 そんな二人の可愛い様子を、マギーも喜んで見ているか──と、思ったら。

 彼女は遠くの景色をジッと見ているだけだった。

 アティとゼノをアティの護衛に任せ、私は彼女のそばにそっと寄る。

「どうしたの?」

 聞いてみたが、彼女はこちらを見なかった。

 彼女からの返答を待つ。

 すると、ふと視線を落としたマギーは

「なんでもありません」

 そう小さく返事した。

 嘘つけ。

 今の顔は何かあった顔だ。鉄面皮の彼女が態度に出すなんてよっぽどの事じゃん。

 彼女から言い出さないかと待ってみたけれど、そんな私に気づいたマギーは、フィっと顔を背けてアティの方へと行ってしまった。


 これな何かある。

 私のアンテナが何かを受信してる。

 でも、下手に探りでも入れたら百倍返しされる。

 どうしたもんか。

 夜にワインでも飲ませて口を割らせようか。いや、彼女はザルだ。私が先に潰れるわ。

 しかも。言いたくないのなら聞くべきではないのだろうし。

 でも、彼女はどうでもいい事はズバズバ毒を吐いてくる割に、感情とか不満を腹に溜め込むタイプなんだよなぁ。

 無理矢理にでも言わせないと、心が歪むまで言わないんだよね。


 帰宅後は侯爵を詰めるつもりだし、すぐにはマギーの話聞けないかも。

 いやでも……知らずに取り返しのつかないレベルまで歪まれたら困るしなぁ。

 ……ワインで釣ろう。確か、クロエが私の部屋の小さいワイン棚に良いワインを入れてくれてた筈。

 ダメならダメでいいや。まずはやってみないとな。

 私は決意して、改めてマギーに視線を向けた。


 ***


 屋敷に戻ってきた。

 アティは疲れて眠ってしまったので、アティの体を片手で支えながらゆっくりと馬を進めた。屋敷に着いた頃には、辺りは薄暗くなってきていた。


 これだけ時間かけりゃあ、あの老元子爵もダニエラも帰っただろう。

 眠ったアティを子守頭マギーに任せ、馬を厩舎へと戻す。

 待って下さっていた厩務員さんがよっこらしょと腰を上げようとしたので、私はそれを制して自分で世話をする事にした。

 いつもそうしてる。

 ただ、今回はゼノとアティの護衛も一緒だったけど。

 馬具を外してブラッシング。

 私はこの瞬間が好き。今日はあまり汚れても汗もかいていなかったからブラッシングだけだけれど、水をかけると喜ぶ子もいた。

 水に濡れて艶やかに光る馬の身体は、本当に神々しいなと思うよ。

 今度暑い日にやってあげたいな。


 さて、次はひづめの手入れだ、そう思った時だった。

「セレーネ様」

 背後から呼ばれたので振り返る。

 そこには、ツァニスの執事の一人が立っていた。

 ああ、そうだったそうだった。

「ツァニス様が呼んでいらっしゃる?」

 言われる前に先にそう問うと、執事は恭しく頭を下げた。

 まだ馬の世話終わってないのになぁ。

 私が名残惜しそうに馬を見ていた事に気づいたのだろう。

「あとはやっておきますので。奥様はお戻りください」

 アティの護衛の子がそう言い、ゼノと厩務員さんが後ろでウンウン頷いていた。

「でも──」

「大丈夫ですって。本来なら私の仕事ですからね。このも奥様の事がそりゃあ大好きですから。また明日来てやってくだせえ」

 言い募ろうとしたけれど、厩務員さんにそう言われたら引き下がるしかない。

 私が渋々馬から離れると、彼女が私の袖を噛んで引っ張った。

 やめてよもう! 後ろ髪引かれるゥー!

 私は馬の頭をそっと撫で

「また明日ね」

 そう別れを告げて、厩舎を後にした。

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