第69話 家庭教師をボコボコにした。

 何度サミュエルを投げ飛ばしたか。

 殴る蹴るは流石に怪我をしそうだったのでやらなかった。


 しかし、腰がコルセットで固められている為か、前傾姿勢や反るという動きがしづらい。

 打撃を使わず掴まれないようにするのは難しく、スカートの裾捌きも相まっていつもより距離を取らざるを得なくて、かなり体力を使った。

 これは良い訓練だ。やって良かった。

 ちなみに、スカートは掴まれたまま無理矢理サミュエルを投げ飛ばしてたりしたので、縫い目で破れてボロボロです。

 世話役クロエの般若の顔が浮かぶわ……


 身体中が泥だらけになりつつ、サミュエルが立ち上がる。

 かなり疲れているのだろう。肩で息をして腕が下がってる。

 しかし、そのせいかりきみも取れて余計な動きが減っていた。


 サミュエルが大きく一歩踏み出してくる。

 殴りかからんばかりの勢いで手を突き出してきた。

 私は後ろに大きく下がる。

 しかし、何かを踏んづけてズルリと足を滑らせた。踏んだ感覚だと木の枝か、最初にサミュエルが投げたペンか。

 後頭部を打たないように慌てて受け身。

 地面に仰向けで倒れ込むが、勢いに乗じてサミュエルにそのまま馬乗りになられてしまった。


「やっと……勝った……」

 サミュエルが、ゼィゼィと肩で息をしつつ、私の腰に座って笑って見下ろしてきた。


 甘いわボケ。

 私は膝を立てて踏ん張り腰を跳ね上がる。

 予想していなかったのか、サミュエルはつんのめって私の頭上に両手をついた。

 その隙を逃さず、浮いた彼の腰の下に膝を滑り込ませて彼の体を押し上げる。そして彼の片足に自分の足を絡ませて、彼の下から脱出させた上半身で足首を取り身体を捻った。

「いたたたたたたたた!!!」

 脚の靭帯をキメてやった。


「そこまで!」

 そんな厳しい声が、離れたところから飛んだ。

 声の方向へと、サミュエルの足を抱えたまま見上げると、そこにはツァニス侯爵が腕を組んで仁王立ちしていた。

 騒がしかったからか、裏庭に出てきたのか。

「離してやれセレーネ」

 そう言われて、渋々とサミュエルの足を手放す私。立ち上がって服の泥をハタいた。うん。落ちない。こんなんじゃ。


「大丈夫かサミュエル」

 え、心配するの、そっち?

 まぁ、ボッコボコにしたのは事実だからなぁ。

 ツァニス侯爵に差し伸べられた手を取って、サミュエルが立ち上がった。

 身体中の汚れを私と同じようにハタいていた。うん。落ちてない。

「今日の二人はおかしいぞ。どうしたんだ」

 ツァニス侯爵が、私とサミュエルを交互に見て呆れた声を出す。

「訓練していただけですよ?」

「そうです。今日は実践形式で」

 言い訳は阿吽の呼吸だった私とサミュエル。

 そんなやり取りに、ツァニス侯爵は渋い顔をした。

「昨日、帰ってきてから様子がおかしかったな」

 腕を組んで、私とサミュエルを交互に見やる。


 私はチラリとサミュエルを見た。

 一瞬視線が合ったが、フイっと晒された。何だこの野郎。

 そっちが何も言う気はなくても、私は言うからな。

「昨日、街へ行ったら夏至祭りが行われていたんですが、そこで──」

「セレーネ様!」

 サミュエルが抗議の声を上げるが、私は黙らない。

「ダニエラ、という方とお会いしたのです。それから、サミュエルの様子がおかしくなったので、夜に事情を聞いたんですが……」

 面倒くさいから全部素直に言っちゃおう。私には隠す事など何もない。

「その時、サミュエルの触れられたくない図星を思いっきり突いてしまって、怒らせてしまったのです」

「怒ったワケではありませんよ!!」

 慌てて私の言葉を否定するサミュエル。ホントかよ。無言でその場を去るって激怒した時とかじゃね?

「じゃあ今日のアレは何だったのですか? ああ、とか、へえ、とか、あれは怒って私を無視したのではないですか?!」

「違います! 前日あのような態度を取ってしまったので、顔を合わせにくかっただけです!」

「謝る隙すら与えなかったではないですか!」

「貴女が謝る必要はないからですよ!」

「じゃあ──」

「やめろ二人とも。夫を差し置いて痴話喧嘩をするんじゃない」

「「違いますけれども?!」」

 最後、ツァニス侯爵への言葉へのツッコミは、ハモってしまった。


 くっ……痴話喧嘩とか言われた。しかも夫に。

 痴話喧嘩ならもっとキュンキュンキラキラした状況だい! こんなんを痴話喧嘩とか言われたかない! しかも夫に! しかも夫に!!


「それはそうと、先程、ダニエラとか言ったな」

 ツァニス侯爵が、先程の私の言葉の中から、あの女の名前を拾い上げる。

「ダニエラとは──」

「ええ、あの、ダニエラです」

 彼の問いに、サミュエルが頷いた。

 すると、ツァニス侯爵は眉間に深ーい皺を刻み、大きな溜息を一つついた。

 そして

「なるほど……」

 そう、何かを納得したようだった。

 え、何? 何に合点がてんがいったの? 何がなるほどなの?!


 しばしの沈黙。

 腕組みして考え込んでいたツァニス侯爵は、何かに思い至ったようで、重くではあったが口を開いた。

「ダニエラの事はサミュエル、お前に任せる」

 ナニソレ?! どう言う事?! ちょっと待ってよソレで大丈夫なワケ?!

「出来るな?」

「ハイ」

 嘘つけ! 既にあの女に振り回されてるように見えますけれど?!


 ……まぁ、いいか。

 アティに影響が出なければ。

 ツァニス侯爵が再婚してると知ったなら、下手な手は出してこないだろう。……来ないよね?

 でも、この件には私は無関係だ。主にサミュエルと、そしてちょっと侯爵が関係しているぐらい。

 私は静観するしかない。


「訓練はそれぐらいにしておけ。そろそろアティが起きる時間だろう」

 話はこれまで。喧嘩もこれまで。そう、ツァニス侯爵が言ったような気がした。

 確かに。遺恨を残しても、ね。

 私も思いっきりサミュエルをブン投げたし。しかも何度も。気は済んだ。


 私は二人に丁寧に頭を下げて、退出の挨拶をする。そこで、ワンピースがヤバいほどビリッビリになっている事に改めて気がついた。スカートだけじゃなく、袖も破けてる。

 ……クロエに……世話役のクロエにコッテリ怒られる……

 私はその事について若干憂鬱ゆううつになりながら、屋敷の中へと戻って行った。


 ***


 サミュエルに任せるって、ツァニス侯爵が言って、サミュエルも頷いてたのにッ……!


 私は、ダニエラと対峙していた。


 なんで? どうしてこうなった?


 そもそも。

 今日は休日だけど侯爵にお客が来るという事で、その応対をするだけのはずだった。

 侯爵の客なので、私とアティは最初に顔出しするだけで、あとは引っ込んでも良かった筈なのに。


 だから今日は、遊びも兼ねてアティに乗馬を教えようと思ってたのにィ!

 雲があって日差しも強くなく、風もちょうど良くてすっごく過ごしやすい、折角せっかくの乗馬日和にィィ!!


 侯爵のお客はとある老子爵だった。いや、現役を退いてると言っていたから、元・子爵だけど。

 しかし、応対した時のツァニスの反応で、この人は爵位が下でも暗黙的立ち位置は高い人なのだと感じた。


 まぁ、その人はいい。ツァニスが応対してるし。ツァニスの客だから。

 でも──


 その老元子爵が、なぜか知らないけれどあの女──ダニエラを伴って来たのだ。

 なんでだよ?!

 どういう繋がり?! なんでお前がここにいんねん!!


 と、玄関先で出迎えた私は、顔面には侯爵夫人として笑顔型の鉄仮面を貼り付けながら、心の中でそう叫んだ。


 今日は休みだ。サミュエルはいない。

 てっきり、街で再会して二人でキャッキャウフフあーだこーだ勝手にしてると思ってたのに。

 何故来たし。

 知らずにサミュエルに会いに来たのかとも思ったけれど──


「私、久し振りにバラ園を拝見させていただきたいですわ。奥様にご案内いただけますか?」

 そう言って、私に案内させるように仕向けて来たのだ。

 これは、私に何か言いたい事があるんだな。


 ははは。受けて立とう──

 と、いつもなら言うトコだけど。

 今回はマジ勘弁して欲しかった。

 知ってた? 私にも苦手な事ってあるんだよ?


 バラ園は、今が最盛期だ。

 薔薇の濃密な香りが充満しているものの、涼風が良い感じに散らしてくれていた。

 白、赤、ピンク、紫、大小様々な花弁がそこここで広げられている。

 ホント、綺麗だった。

 ……この女と一緒じゃなければなぁ……。

 これがアティならなあ……そしたらここはパラダイスになった筈なのに。

 地獄かよ。


 色々と紹介しようとしたのに、解説するたびに「見れば分かるわ」「知ってるわ」「馬鹿になさらないで」「貴女よりかは詳しいかと」「懐かしいと感じるのは、私だけでしょうね」やら、なんのかんのと解説を拒否された。

 オイ、お前が案内しろっつったんだよ。聞け。


 なんか口を開くのも面倒になってきたので、私はズカズカとバラ園を歩く彼女の後ろを、ただついて回った。


 すると、奥まった場所でクルリと振り返った彼女が、私を足元から頭の先まで舐めるようにジックリ値踏みし、一言。


「女を捨ててる女って、みじめですね」

 そう、吐き捨てられた。

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