第68話 家庭教師と険悪になった。

 思わず漏れた言葉に、サミュエルが目を剥いた。

 まさか、面と向かって『バカなの』と言われるとは思ってなかったんだろう。


 うん、私も言う気なかった。

 でもうっかりもれちゃった。

 だって、呆れちゃって……

 まぁ、言っちまったもんはしょうがねぇ。出てしまった言葉はもう飲み込めない。

 私はゴホンと咳払いして、驚き顔の彼の顔を改めて見た。


「貴方は、彼女の何なのです?」


 改めてそう問うと、サミュエルがウッと言葉を詰まらせた。

「魂の双子? 運命の伴侶? 永遠を誓い合った仲なのですか?」

 私のその言葉に、彼はフルフルと首を横に振った。

「しかし、俺は彼女を妹のように思っていて──」

「彼女は、天涯孤独の身なのですか?」

「……いや……」

 だろうね。大店おおだなの娘なんでしょ? そしたら侯爵家に負けない世話役がついてた筈だしさ。親も現役だろうよ。兄弟もいるんじゃね? ぶっちゃけ取り巻きだらけだと思うよ?

「彼女が他の男の子供を妊娠して貴方の前から姿を消したのは、彼女の意思ですよね?

 そんな彼女の何の責任を、貴方は取るつもりですか?」

 言い募ると、サミュエルは完全に口を閉ざしてしまった。


 そこでふと。

 逆に気づいた事を確認してみる。

「ひょっとして──」

 多分そうだ。

「天涯孤独なのは、貴方の方ではないですか?」

 サミュエルの身体が、ビクリと一度大きく反応するが、構わず私は言葉を続けた。

「責任を取るという形で、貴方自身が、何かに縛られたいんじゃないですか?」


 その言葉を発した瞬間、サミュエルがガタリと立ち上がった。

 苛烈な視線で私を射抜く。

 しまった。地雷だったか。


 彼は、そのまま何も言わずにバルコニーを出て行ってしまった。

 去って行く彼を見送り、その姿が見えなくなってから、私は前に向き直る。

 髪をかきあげ

「やっちまったァー」

 私は、自分の迂闊うかつさを反省した。

 誰にだって突かれたくない図星がある。

 お互いの立場がどうであれ、そこは慎重になるべきだった。

 ただでさえ、今はサミュエルの話を聞くタイミングだったのに。しくじった。


 ただ、これでハッキリした。

 サミュエルは天涯孤独。

 恐らく、この屋敷に勤めていたという母はもういないのだろう。父も兄弟も親戚もいないとみた。

 そのせいか、彼はアイデンティティが希薄なんだな。

『自分は何なのか』『生きる目的は』『自分の存在価値とは』が見えてない。もしくは、見失ってしまったか。

 自分が所属する場所や、そもそものルーツが不明で不安定だから、侯爵の役に立つ事に価値を見出し、頼られると運命を感じる。

『ここに居ていいのだ』『自分はこの為に存在してるんだ』という安心感が欲しいタイプなんだな。

 例え、それが自分を理不尽に雁字搦がんじがらめにしてしまう事でも。

 自由には、代償として常に不安が伴うからなぁ。不自由が安心をもたらす事もある。


 んー……こりゃ難しい。

 サミュエルがソレでイイなら、好きにしたらイイと思う。

 でも、あの反応は──

 本人、その事に気づいてて見ないフリしてたな? そして、そんな自分がマズいのではないかとも薄々感じている。

 でも解決策が見つからないからどうしようもなくて、自分でもその事に触れられずにいたんだ。

 だから、図星突かれて怒ったんだ。

 でも、本人がソレと向き合いたくないなら、それはそれで彼の人生だ。私が口出しするこっちゃない。

 縛られている事が悪だとも思わないしね。

 一概に善悪で語れる事じゃない。


 でもこのままだと──

 彼がどこかで間違えて、またアティを傀儡にしようと思ってしまうかもしれない。

 彼を利用しようと近づいてきた人間にいいように使われてしまう可能性もある。


 ──私が、彼に過去『アティに家督を継げるようにさせてみては』と吹き込んだように。


 自分もやらかしてる事なのに、他人にはさせたくないとか、とんだ都合のいい人間だな、私は。


 でも。

 別に私は聖人君子じゃない。

 必要があれば、嘘もつくし他人も利用する。

 世の中、綺麗事だけ吐いてて幸せになれるなら苦労はしない。

 私とアティの為であれば、なんだって利用してやるわ。利己的万歳。滅私奉公クソくらえ。


「さて。どうしたもんか」

 私は、彼が飲み残したワイングラスを手に取って、その残りを煽って考えた。


 ***


 翌日。

 いつも通りの日。

 別段変わった事はなかった。


 家庭教師のサミュエルがガン無視してくる事以外は。


 勿論、子供っぽく分かりやすく無視してくるワケじゃない。

 あくまで自然と、私をかわすのだ。話しかけても『ああ』とか『はい』とそっけなくだが返事をする。しかし、いつものツッコミはない。張り合いがないなぁ。

 ま、仕方ないんだけどさ。


 うーん。敵認定されたかなぁ。

 まぁ、元々完全なる味方、というワケでもないし。暫く利害が一致してただけだしねー。

 彼が私を敵認定する事は全然気にしない。

 問題は、アティの敵になる事だ。

 そうなったら、私は徹底的にボッコボコにしてやるわ。

 彼が責任とやらを取って、あのダニエラという女とあーだこーだ面倒くさい事になるのは別に。サミュエルの好きにしたらいい。


 ダニエラという女が、アティの邪魔をしないかどうかだけが心配だな。

 サミュエルとくっついてキャッキャウフフ存分にしてくれて構わない。

 ただし。

 この屋敷にまで現れて、またアティのトラウマを掘り起こしてみろ。

 街の向こうまで投げ飛ばしてやるわ。


 そうこうしているうちに、アティのお昼寝の時間になった。

 普段、この時間はサミュエルを鍛える時間だったんだけど──


「よろしくお願いします」

 憮然としたサミュエルが、動きやすい服装に着替えて、私の前に立ち塞がった。

 やるんかい。コレは欠かさないんかい。


 まさかやるとは思ってなったので、私は着替えていなかった。

「その格好で教えてくださるのですか? そうですか」

 うわ。嫌な言い方。

 ムカついたので

「ええ、今日はこの格好で」

 そう返してやった。

 私は屋敷での普段着だ。ワンピースにコルセットを合わせている。靴も妹たち渾身のピンヒール。

「……やる気、無さそうですが」

 サミュエルが目の端をピクリと動かしてそう侮蔑する。

 ははっ。舐められたモンだ。

「貴方には、これで充分です」

 そう挑発し返す。


 私たちの間にブリザード級の冷たく荒々しい空気が吹き荒れた。


「貴方達の間で何があったか知りませんが、やるなら外でやって下さいね」

 その横を、アティの着替えを持った子守頭マギーがそっけなくそう言いながら通り過ぎた。


「ええ。靴だけ履き替えて参りますので、サミュエルは先に中庭へどうぞ」

 そう言って、サミュエルに背を向けた。

 その背中に、

「チッ」

 舌打ちが聞こえたが、無視した。


 ***


 中庭で、サミュエルと対峙した。


 さて。

 あんな感じ悪く無視してたクセに、訓練はやろう、なんて言い出すのは。

 真摯に強くなりたいと思っているのか。

 それとも、訓練に乗じて私を力で捩じ伏せて、憂さ晴らしをしたいだけか。

 どっちかな。


 サミュエルは普段丸腰である事が多い。その為、武器などを使った戦い方ではなく、肉弾戦想定の事を教えていた。

 と、いっても。まだ体捌きを教えている最中だが。


「今日は何を?」

 軽く体をストレッチしながら、彼は私を値踏みするように足元からめ上げる。

 私も軽く体を動かしつつ、その視線を軽く受け止めた。

「そうですね。ある程度体の動かし方を教えたかと思います。今日は一度、実戦想定でやってみましょうか?」

 私が肩関節をほぐしながらそう伝えると、サミュエルがフッと鼻で笑った。

『その格好で? 舐められたモンだ』

 そう言いたいのが丸分かりじゃ。

 確かに舐めてる。彼にはまだ基礎中の基礎しか教えてないから。

 でも油断はしない。

 私は今格闘するような格好をしていない。しかも、相手は男だ。掴まれたら力でじ伏せられて終わる。

 油断できるほど、私も彼より圧倒的に強いとは思ってない。

 むしろ、これは自分への訓練だと思っている。いつどこでどんな格好をしていようと、戦えるようにしておかないといけない。

 例え、スカートとコルセットをつけてても。


「分かりました」

 サミュエルはそう頷いて構えを取る。

 受けた、という事は、やっぱり憂さ晴らしか。

 丁度いい。

 私も、昼間のサミュエルのあの態度にムカついてたんだよね。仕方ないとは分かってても、ムカつくもんはムカつく。


「それでは、どうぞ」

 そう返事して私も構える。彼から距離をとった。


 さて。どう出るかな。

 彼はジリジリと近寄ってくる。自分の間合いに持ち込む為だな。でも、私はそれに合わせて横へとズレていく。そんな簡単に掴まれてたまるか。


 彼が、スッと腰の後ろに手を回す。

 何を──

 そう考える前に、何かを投げてきたのが見えた。

 私は体を横に傾けてそれを避ける。

 小さい物だった。恐らくペン。しかしそれを目で追ったりはしない。

 私が避けた隙に、彼はグッと一歩を踏み出した。

 私が教えた通り、馬鹿正直に正面から殴りかかるのではなく、低くダッシュしてタックルを仕掛けてくる。

 私は素早く横にステップを踏んだ。

 しかし、彼も勿論それを読んでいたんだろう。足を踏ん張って進行方向を変える。


 私を捕まえようとする、サミュエルの手が間近に迫ってきた。

 私はその腕を脇に抱え込む。片手で彼の奥襟を掴んで払い腰を放った。

 勿論、ナンチャッテ払い腰だ。柔道を習った事はない。これは実家の護衛に護身術として教えてもらったのだ。

 サミュエルは地面に転がされて少しうめく。受け身は教えていたけれど、やはりまだ咄嗟には出来ないね。私も無意識にできるようになるまで、何度も地面に這いつくばったわ。

 地面に手をついて立ち上がる彼を、私は距離をとって見下ろす。


「続けます?」

 そう問いかけると

「当たり前だ!」

 彼がそう吠えてまた挑みかかってきた。

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