第66話 家庭教師と話をした。

 なんだか濃い一日だった……


 ダニエラとかいう女から取り返したアティを落ち着かせるのはまた大変だった。

 奪い返した直後、アティは私が抱いているのだと気づくまで大暴れした。

 頭突きとか蹴りとか食らいながらも、落ち着いてゆっくり声をかけ続けたら私だと気づいてくれて、ぎゅうっと首に抱き着いてきて──そこからずっと抱っこだった。

 流石に四歳を抱っこし続け……辛かった。途中、サミュエルと交代しながらじゃなかったら、腕もげてたよ。鍛えよう。

 どうせ大きくなったら抱っこなんてさせて貰えなくなるんだしね。今のうちだけなんだと思ったら全然平気だった。腕の筋肉以外は。


 屋敷に帰って来たアティとゼノは、夕食を食べつつ既にうつらうつら始めてしまい、食事を早々に終わらせて寝かせてあげた。

 色々あったからね。疲れたんだね。

 寝しなに覗いたゼノの部屋には、買ってあげた馬の人形が、出窓のところに外に向けて置いてあった。景色見せてんのかい。やる事可愛いなオイ。気に入ってくれたようで本当に良かった。

 アティも買ってあげたナイフを抱いて寝ようとしていた。

 マギーが危ないからと取り上げようとしたが、アティが必死に拒否したものだから、結局そのまま寝させてあげた。寝付いた時にそっと彼女の手から取り上げて、ベッドサイドのテーブルへと置いた。

 ホントに、二人ともこんなに喜んでくれるとは思わなった。こっちも嬉しくなるよ。


 さて。

 問題は──


「セレーネ様、申し訳ありませんでした……」

 物凄く申し訳なさそうな顔をしたサミュエルが、アティの部屋から出てきた私に頭を下げた。

「いや、別に私は……謝るなら明日、改めてアティに」

 私は首を横に振りつつも、ちょっとゲンナリしてそう言った。

 街から戻ってきてからというもの、コイツずっとこの調子だ。正直なんかちょっとウザい。

 これなら、いつもみたいに嫌味ったらしくツッコミ入れてくれた方が数段マシだなぁ。


 本当なら、祭を堪能した後はサミュエルはそのまま家に帰宅して、私たちだけが屋敷に帰ってくる筈だった。

 しかし、サミュエルは何故か一緒に屋敷に戻ってきた。今日は侯爵に許可を貰って泊まるそうだ。

 街から帰ろうとなった時、ダニエラとかいうあの女が何故かその場に一緒に居て、なんかソワソワワクワクしてたから、てっきり二人で街に残るのだと思ったら。

『私は今日は屋敷に泊まる事になってますから』と、サミュエルはダニエラにそう告げて一緒に帰ってきたのだ。

 何でだろう?

 まるで逃げてきたみたいだ。

 友人じゃなかったんかい。


 私は彼を無視して自分の部屋へと戻ろうとする。

 最近、この屋敷の女主人として認められてきたのか、女性の家人たちの雇用に関わらせて貰えるようになった。

 まだ知らない人の方が多いから、女性の家人たちの全ての情報をまず把握する必要がある。本当はYES/NOを言う事だけが求められているんだろうけど、何か理不尽が発生したら嫌なので情報は把握しておきたい。

 最近定期的に、夜はその資料を見るようにしていたから、今日もそうしようと思ってたんだけど……

 サミュエルが、肩を落とした様子でアティの部屋の扉をガン見してるもんだから。

 ……ああ、もう。仕方ないなぁ。

 こんな景気悪い顔を、清々しい朝を迎えたアティに見せたくない。


「少し、お話をしましょうか」

 私はサミュエルを誘った。

「……すみません」

 彼がまた謝ったが、私はまた首を横に振る。

「まぁ、時には大人同士の話もいいでしょう。この季節は夜風が気持ちいいですから、バルコニーででも。ワインでも持ってきますよ。先に場所を準備して貰えますか?」

 そう言うと、サミュエルがコクンと頷いたので、私は自分の部屋へワインを取りに戻った。


 全然関係ないけどさ。

 ワイン。コッソリ隠し持ってるつもりだったけど、コッテリ世話役のクロエにはバレてた。

 ある日気づいたら、小さなワイン棚とワインラックが用意されてたよ。さすが侯爵家の家人。

 まぁ、『コッソリ変な事すんな』という釘差しでもあると思うんだけどね。


 部屋からワインとグラス、コルク抜きを持ってきてバルコニーへと向かう。

 少し開いた窓の向こうには、ガーデンテーブルと椅子、そしてランタンに火を灯しているサミュエルがいた。

 バルコニーへと出ると、気づいたサミュエルが椅子を引いてくれた。

 ワインとグラスをテーブルの上に置いて、促されるまま椅子へと座る。

 私がワインのコルクを抜こうとすると、自然な動きで私の手からワインボトルとコルク抜きを抜き取り、手早くワインを開けてグラスへと注いだ。

 動きはスマートだなぁ。

 そういえば、彼は家庭教師なのに時々執事や使用人のような動きをする。

 どうしてだろう。

 注がれたワイングラスを持つが、乾杯という雰囲気ではなかったので、軽くグラスを持ち上げて傾ける。

 彼も同じようにした。


 ワインを一口。その瞬間、涼やかな夜風がサラリと吹き抜けた。

 いい夜だな。

 日中の祭の喧騒の余韻が、逆に夜の静けさを際立たせてる。不思議な気分だった。


 彼は口を開かない。

 言いにくいんかなぁ。

 こっちから口火を切るしかないか。遠回しに全然関係ない話題から──と、思ったけど、彼にそんな気を使う必要あったっけな、と思い直す。

 単刀直入に聞く事にした。

「今日はどうしてこちらへ戻ってきたのですか?」

 問うと、彼はグラスの中で揺れるワインを見つめながら、一つ溜息をつく。

「少し、頭を整理したくて」

 こちらを見ずに、サミュエルはそうポツリとこぼしたが……また口を閉ざしてしまった。

 もーう。ここまで喋る機会を作ってるのに。

 まぁ言いにくいのかもしれないし、まだ頭の中の整理も終わってないのかもしんない。

 しかし、誘って同意したって事は、言いたいって気持ちもあるんだろうし。

 どっちなんだい?! 言いたいの?! 言いたくないの?! それともただそばに居て欲しいだけ!? 分からん!

 なんでこんな煮え切らない態度のサミュエルを私がケアしてんだよ。もう。

 でも、アティの為だ。頑張れ私。


「丁度良い機会なので、貴方の事を、少し聞いてもいいですか?」

 私は少し話の方向性を変える。

 話しやすそうな事からいってみっか。

 サミュエルはチラリと私を一瞥して、小さく頷いた。

 なので、私は普段から少し疑問に思っていた事を尋ねてみる事にした。

「貴方はアティの家庭教師ですが、他の家庭教師とは少し違う気がします」

 家庭教師という立場なのに、サミュエルの行動はその範疇を超えている気がした。

 アティの婚約の場にも同行したし、旅行にもついて行く。ウチの実家に来ていた家庭教師は、必要な事を教えるだけでずっと張り付くワケじゃなかったし。

 まるで、なかなか動けないツァニス侯爵の代わりに、サミュエルが父親がやってるようにも見えるよ。

「雇用も、執事長管轄ではなく、直接ツァニス様に雇われていますよね? どうしてですか?」

 大概の場合、雇用に関わる部分は、全て執事長やメイド頭の管轄だ。屋敷の主はそこら辺の細かいことまでは口出ししない。

 つまり、ここの家人たちはカラマンリス邸に雇われているのであって、侯爵自身や私が雇っているというものではない。

 屋敷の主人が変わっても、家人たちはそのまま居残りとなる。ツァニス侯爵が家督を継いでも、家人が変わらなかったように。

 しかし、メイド頭に聞いた話によると、サミュエルはツァニス侯爵が直接雇っているという立場だそうだ。

 それって、とても特殊だと感じた。


「そうですね……」

 ワインを一口飲み、彼はグラスをテーブルに置く。片眼鏡モノクルも外してポケットに入れると、一度両手で髪を後ろへと撫でつけた。

「私は元々、ここの使用人でした。母親が住み込みで働いていたので、私もこの屋敷で育ったのです。

 ツァニス様と年が近く、昔はよく一緒に遊びました。

 その縁で、私はアティ様の家庭教師として改めて雇われる事になったのです」

 へー。あ、そうなんだ。もしかして、兄弟みたいに育ったのかな? だとしたら今の雇用も頷ける。それに、侯爵とサミュエルの距離、サミュエルとアティの距離が近いのも納得。

 肉親に感覚が近いんだなぁ。

 あれ? でも、だとしたらなんで今は通いなんだ?

 質問をしようとした時、先んじてサミュエルが口を開いた。

「私は、良くしてくださった前の旦那様や、ツァニス様に恩を返したく、一度外に出ました。私は貴族ではありません。その視点で様々な事を学び、ツァニス様のお役に立ちたかったのです。

 また、その外の視線を失わない為にも、通いを続けさせてもらっています」

 ……意外と真摯な理由だった。


 あ。それで今気づいた。

 彼が、乙女ゲームで悪役になったキッカケ。

 もしかして彼は、権力掌握を自分の為ではなく、侯爵の為にやろうとしたんじゃ? 少なくとも最初は。で、そのうち坂道を転がり落ちるようにヤバイヤツになってっただけで。


 子守頭のマギーもそうだ。口は悪くて辛辣で毒吐きだけど、彼女自身は悪い人ではないと感じてる。口は悪いけど。口は悪いけれどもね。

 二人とも、歪んだ侯爵家の中で様々な思惑に翻弄された結果、乙女ゲームの中で悪役になったんじゃないかな。

 だって、アティ自身がその典型だったから。


「ダニエラは──」

 サミュエルがポツリとその名前をこぼす。

 お? やっと本題か?

「彼女は、この屋敷にたびたび訪れる商家の娘でした。頻繁に訪れる為、私やツァニス様と友人となり、幼い頃は仲良く遊んだりしておりました」

 ──ああ、なるほど。

 ダニエラという女性が、ツァニス侯爵を呼び捨てにしたり再婚に驚いていたのはそれが理由か。

 一人の女と二人の男。


 ……やっばい。やっぱりコレ面倒くさい話なんじゃねぇの?

 私はなんとか嫌な予感を払拭しようと、ワインをゴクリと飲み下した。

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