第59話 明らかに変化があった。

 大奥様は、カラマンリス邸出禁になった。

 今後は、侯爵や私の許しなくこの屋敷を訪問する事も許されないし、勝手にアティや私に連絡を取る事も禁じられた。

 また、カラマンリスの名を使って勝手に何かをする事も禁じられた。バレ次第制裁措置を取るのでそのつもりで、とお達しされた時の大奥様の顔は忘れられない。

 つまり、実質『何もするな。息だけしてろ』という事だ!

 ざまぁみろ!!


 ちなみに、勝手に来たら撃退してOKとのお達しももらった。

 いいよ、大奥様、勝手に来てくださっても。

 腕によりをかけて遠慮なくブチのめして差し上げますから。勿論、物理的な意味で。ふふふ。


 当の主犯であるハジダキス伯爵への追及はこれからだ。領地縮小か没収か。そっちにはあまり興味がなかったので深く聞かなかった。


 大奥様が連れて来た子爵令嬢は親元に突き返された。侯爵に抗議の連絡があったらしいが、自分の直接の了承なく勝手に娘を送りつけて来た事にツッコミを入れたら引き下がったらしい。弱っ。


 ああ、そうそう。侯爵に子爵令嬢が家に逗留していた事を突っ込んで聞いてみた。

 言うのを嫌そ〜な顔をしていたけれど、侯爵は話してくれた。

 我々が旅行へ行ってすぐ、大奥様が子爵令嬢を連れてやってきたらしい。

 私と離婚してこの子と結婚しなさい、と。

 侯爵は勿論断った。そんなにすぐさま出来る事じゃないしね。

 しかし、大奥様はその子を連れたまま勝手に逗留を開始。そしたら、その子爵令嬢が体当たり作戦を実施し始めてきたんだって。


 夜這いには来るし、屋敷にいる間は何処にでもついてくるし、そばにいる間はベタベタべたべた触ってくるし、常に見つめて来て褒めちぎって愛を語るし、本当にウザくて嫌だったらしい。しかし、大奥様が連れて来た手前無碍むげには出来ず、ほとほと困り果てていたそうな。

 部屋に鍵をかけて寝たのは久々だと愚痴っていた。

 ごめん、申し訳ないけど笑えた。


 しかも。

「お前が、私が人前でお前に触るのを嫌がる気持ちが、少し分かった」

 とゲンナリしていた。

 そうかそうか、それは良かった! それは思わぬ収穫だったよ! よくやった子爵令嬢!


 それと、意地悪だと分かっていても聞いてみた。

 気持ちが揺らぐ事はなかったのか? と。


 侯爵はブッスリとした不機嫌な顔をしたけれど。

「揺らいだ」

 と、正直に語ってくれた。それでも私の事を考えて我慢してくれたのは本当に嬉しかった。

 私以外の他の女に手を出さなくて良かったという意味ではない。妻がいるのにチャンスがあったからと手を出す、なんて馬鹿な事をしなくて良かった、という意味だ。人としてな。

 この国は一夫一婦制だ。法律では一人としか結婚できない。愛人は公然の秘密として扱われているけれど、それはあくまで大目にみられているだけで、日陰ものには変わりない。愛人の権利も保障されてはいないしね。少なくとも、法律は許していない。

 例外的に認められるのは生まれてきた子供だけだが、それも認知されなければその立場は弱い。

 そんな建前上の一夫一婦制だけれども、それを守ってくれたのは嬉しかった。

 まぁ、じゃなきゃ何の為の一夫一婦制だよ思うけれど、その当たり前が出来ない人間の方が多いから、公然の愛人なんてものがあるのだ。


 質問したからか、侯爵が不機嫌そうな顔のまま、私へと不満を漏らす。

「お前が触れさせてくれないから」

 うん、まぁ、そうだよね。夫婦だけどお預け状態に感じるよね。それは分かるよ。

「それはご理解下さい。妻になったといえど、私は侯爵の性処理人形ではありませんからね。私がしたいと、そう思えるようにさせて下さい」

 侯爵には常に生理的嫌悪感を抱いているわけじゃない。この間のように、私からキスしたくなる事もある。

「雰囲気という事か?」

 侯爵が腕を組んで、至極真面目な顔して質問してくる。

 いや、そうじゃねぇよ。

「女にも自主的な性欲はありますよ? でも、誰でも構わないという訳ではありません。雰囲気が良ければその気になるとか、そんな幻想を抱いているなら、そんな汚物はすぐさま焼却処分して下さい」

 そうズバッと言い捨てると、侯爵はガックリ肩を落とした。

「女にはリスクがついて回ります。男性には性病のリスクしかありませんが、女性には性病以外にも妊娠流産出産のリスクが発生します。妊娠したら長期間行動が制限されますしその間体調も悪くなる上、無事に産んで暫く経つまで死ぬリスクが延々ついてまわります。こちらの死亡率の方が性病のソレよりも俄然高い。

 気分で流されるとか、雰囲気がとか、そういう次元の話ではないのです」

 私は、自分の指を見ながらそう伝えた。

 この世界での妊娠出産による女性の死亡率は俄然高いままだ。

 私の母方の叔母の一人が妊娠中に亡くなっているし、レアンドロス様の奥様も出産で亡くなった。

 前世の日本も、世界的に見て死亡率かなり低くなったけれど、それでも命懸けなのは変わりない。定期検診をして、必要に応じて入院し、医者付き添いで何かあった時は手術できるような万全な体制をとったから死亡率が下がってるだけで『安全な妊娠出産』などは存在しない。

 前世の友人が、妊娠高血圧症候群で死んだ事を、前世の記憶が曖昧な今でも明確に覚えている。

 そこに繋がるのだ。気軽に、なんて思えるものではない。


 レヴァンと結婚していた時は『万が一の時の事を含めて義務なんだ』と思っていた。

 そんな事はないのにね。

 死まで他人に左右されてたまるか。


「私がそのリスクを許容できるようにならなければ無理です。

 つまり、あなたの子供を産む為に死んでもいいと思えないと無理という事です。

 侯爵は私に、その覚悟を背負わせる事は出来ますか?」


 真剣に、問い返してみた。

 侯爵は驚いた顔をして私の事を見返していた。

『そこまで深く考えてなかった』

 という顔だ。まぁそうだろう。男性の身体では理解できない感覚の筈。妊娠出産で男性が死ぬ事は100%ないからな。

 女性でもそこまで思ってる人間は正直少ないだろう。でも私はそう思うのだ。他の女性の事は知らん。


 彼は、そこから眉間に深い皺を刻み考え込む。そして、おもむろに口を開いた。

「善処する」


 その前向きな返答で、今は充分だった。


 ***


 家庭教師・サミュエルから呼び出された時は、正直意外だった。向こうから私に言いたい事があるなんて珍しいし。

 いや、私が何かやらかした時のツッコミは、彼は欠かさないけどね。

 今回それとは、明らかに雰囲気が違った。


「俺に戦闘技術を教えて欲しい」

 彼は痛々しい顔でそう言った。

 湿布は取れたが、顔には賊に蹴られた痣がクッキリ残っていた。

 正直、私はビックリした。

 彼は乙女ゲームでもそうだったが、自分から体を張って何かをするタイプではなかった。裏から色々企んで人を動か事が多かったように思う。

 そんな彼が、戦闘技術を、なんて。誰が予想した? せんて。誰も出来んて。

 私が驚いて言葉を失っていると

「せめて、アティ様を庇える程の技量が欲しい」

 そう、言葉を重ねて来た。

 ああ、なるほど。今回の事件で、賊に手も足も出なかった事が悔しかったのね。

 ──それだけ、アティの事を心配したし、大切に思ってるんだ。

 それは嬉しい。少しまた見直した。


 しかし……私で、いいのか? この屋敷には、アティの護衛の他にも、ある程度人間が何人かいる。

 むしろ、女の私に、よりにもよって戦闘技術を教えて欲しいなんて。彼のプライドに関わるのではなかろうか。


 ──いいのだろう。

 彼は、自分のプライドと天秤をかけて、私に教えを乞う事を選んだのだ。

 ここで無碍にしてしまっては、彼の決断に水を差す。彼の決意を尊重したい。

「……私のは荒削りでスパルタですよ? ついてこられますか?」


 わたしが挑戦的にそうYESと返事すると、サミュエルはちょっと視線を横にそらせる。

「……お手柔らかに、願う」

 そう、ボソリと呟いた。

 早速後悔した顔をしたな! 見過ごさなかったぞ!

 引き受けたからには、サミュエルを立派な護衛に育て上げる! 手加減はしない!!

 何故なら! これもアティの為だからっ!!


「本当はお前の兄──セルギオスに教えてもらいたいが、それは無理だろう?」

 不満のような声を漏らすサミュエル。

 私はその言葉に眉根を寄せた。

 ああ確かに、彼の中では私よりもセルギオスが強いと思ってるんだろうな。両方私やがな。

「そうですね。彼は一箇所にとどまっていませんから」

 私は頷く。

 すると、彼はふと真剣な顔をした。

「獅子伯が、アティ様を救出した時に『協力者のお陰で』という言い方をしていた。これは、自分達以外にアティ様を助けに行った人間がいたという事だよな?

 それってつまり──」

 彼はみなまでは言わなかった。

 しかし、言いたい事は分かる。『セルギオスが助けてくれたんだろ』と。

 私は否定も肯定もしなかった。

「まずは、私を超えて下さい。そうでなければ、彼は相手してくれないでしょう」

 そう、伝えた。


「セレーネ様を超えるのか……道のりは遠そうだ」

 サミュエルは、ガックリと肩を落としながら、それでも少し嬉しそうに、はにかんだ微笑みをこぼした。

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