第55話 初めて本心を晒した。

『勿体ない』


 何度、私はこの言葉を吐かれただろうか。

 もう数えきれない程言われてきた。


 レアンドロス様のその言葉に、反射的に反応してしまった。

 頭に血が上る。

「どういう意味ですか?」

 思わず、そう問い詰めてしまった。


 私の変貌ぶりに気づいた獅子伯は、あわあわと手を振って

「違う、そういう意味じゃない」

 と否定した。

 じゃあ、どういう意味やねん。


「『男ならよかったのに』という意味ではない。

 セレーネ殿程の能力を持った人間を軍に登用できないのが勿体ないと言いたかったんだ」

 獅子伯は、そのデッカイガタイとは裏腹に、肩をガックリと落として言葉を続けた。

「確かに、腕力や体力では男の方が優れている。これは生物学的な差であって埋めようがない。しかし、軍のような組織には『適材適所』が必要なんだ。

 全ての人間が猪突猛進型ではすぐに全滅してしまう」

 彼は頭が痛そうに額に手を当ててボヤき始めた。

「軍は戦う人間だけで構成されているワケじゃない。剣や銃を持った人間以外にも、斥候せっこう、罠師、攪乱かくらん班、医療班、補給班、情報伝達部隊、砲撃隊、色々な人間が必要だ。

 また、森林戦に山、海、市街戦など、戦う場所によって必要となる能力が変わる。

 セレーネ殿は、まさに森で力を発揮するタイプだな。入って貰えるのならすぐに森林専門部隊に任命したいぐらいだ」

 彼のボヤキの中に、私を褒める言葉が入っていた事に驚いた。

 この人、私の話を聞きながらそんな事を思ってたんだ。

「その各個人の適材適所な能力は、実際のところ体力・腕力より性質や性格が大きく左右する。だから、本来そこには男女は関係がないと俺は思っているんだよ。

 実際に、戦い方によっては男を圧倒できる女性がいる事を、俺は知っているからな」

 そう言って、私にははっと笑いかけるレアンドロス様。

「実際、見事だったよ。剣とナイフしか持たない人間が、地の利を生かして銃を持った七人を全て一人で制圧してしまうんだから。しかも、制圧する事を優先させるべく、殺す手間を惜しんで一撃で相手を戦闘不能にしていった。鮮やかな手際だ」

 褒められてる?

 なんか、めっちゃ褒められている?

「一度、国に進言してみたんだが議論の余地なく却下されたよ。『喜んで死にに行く女がどこにいる』ってな。それを言ったら男だって喜んで死にに行くやつぁいないのに」

 そう言いつつ、彼は自分の額をスリスリと撫でていた。

 いつもの威圧感マシマシの雰囲気はなく、そこには色々な事に疲れた男性が一人、ただボヤいているだけだった。


 この方は、沢山の出来事、様々な出来事を見てきたのだろう。面倒くさい政治の話から、実戦の血生臭い事まで。

 辺境伯の目的はただ一つ。国防の最前線に立ち、敵からの侵略の一番最初の壁となって、出来るだけ犠牲を最小限に抑えつつ国を守る事。

 その為には、目が曇っていてはダメなんだ。大局を見て、長期的目線で見て、時には感情を抑えて物事にあたったりもするだろう。


 ──この人は、信用できる。


「私がセルギオスとして動くのは、戦いたいからだけではありません」

 彼には、真意を伝えても問題ないのではなかろうか?

 私が真剣な眼差しでそう告げると、今まで見せていた疲れなどすぐに消し、同じく真剣にこちらを見返してきてくれた。

「女では、社会的地位が低すぎて身動きが取れないのです。

 言葉は軽んじられ、信じてもらえず、どんなことでも必ずあなどられます。襲われる事も少なくありません」

 私が外出する時にセルギオスの姿を好んでするのは、それが主な理由だ。

「貴族ですら、女には参政権がありません。家督を継ぐ権利もありません。仕事も物凄く限られているし稼げないので、家長の所有物としてしか生きられない。

 ただ道を一人で歩いていただけでかどわかされる。例え暴行されても、女の方が自己防衛がなってないと責められ、殺されない限り犯人は野放しです。

 何を言っても、軽く扱われてしまうのです。

 私は、そんな世の中をアティに生きさせたくはない」

 そこまで言うと、レアンドロス様が目を見開いた。

「まさか、世の中を変えようと言うのか」

 信じられないモノを見たかのような顔。

 私は思わず笑う。

「まさか。一朝一夕で変わるなんて思ってませんよ。ただ──」

 私はスッと目を細めて、レアンドロス様を視線で射抜く。

「種は撒けると思っています。

 私が咲かせなくても、賛同してくれた人達が水をあげ続ければ、やがて芽吹く」

 ニヤリと笑うと、レアンドロス様は左頬の傷を撫でながら考え込む。

 私は更に畳み掛けた。

「アティの為だけではないのです。私の為でもあり、そして、セルギオスの為でもある」

 ここで私がセルギオスの名前を出すと、彼は小首を傾げた。

「どういう事だ?」

 彼は私を催促する。

「私の兄──亡くなったセルギオスは、生きている間、病気の身体をおして、嫡男としての重圧に必死に耐えていた。政治を学び、勉学に励み、社交会に顔を出し、剣の稽古をして、馬に乗る練習をした。

 セルギオスに嫡男としての責務がなければ、もっとのびのびと身体を大切にしつつ、彼が活躍できる場で、もしかしたら──今でも生きていられたかもしれない。

 私が家督を継げていれば、セルギオスが死なずに済んだかもしれない」

 彼に、『事態改善の為の種を植え付けよう』と話していたはずなのに、ポロリと、涙が溢れた。

 それでもなんとか言葉を続ける。

「このいびつな世の中は、健康で強い男の為にしか機能していない。

 だから男ではない私たちは、男には唯一できない『男の為に子供を産む』事しか求められない。

 男も強さが求められ、必要以上の責務に必死に耐えざるを得ない。

 男だとか女だとか、健康だからとか不健康だからとか、そんな事が生き方の選択を奪う世の中なんて間違ってる。

 人には向き不向きがある。ならばそれに合わせて柔軟に対応出来る何かが必要です。

 私は、誰しもが生きやすい世の中にしたい」


 ──あの日、セルギオスが夢見た世の中に。


「そんな大それた事を、貴女は一人でやろうとしているのか」

 レアンドロス様が、驚愕の顔で私を見ていた。

「今のは理想論ですよ。ちょっと大風呂敷を広げすぎましたね。

 今は兎に角、アティの生きる道が狭められる事をなんとかしようと足掻いているだけです。それしか今は出来ません」

 私は焦って取り敢えずその場を誤魔化す。

 しまった! ちょっと熱く語りすぎてしまった。こんな話、出来る人が殆ど居なかったから、つい……。


 でも、思ったとおり。

 レアンドロス様はちゃんと話を聞いてくれた。笑いもせず、流さず、ちゃんと聞いてくれた。

 それが何より嬉しかった。

 しかし。

 なんでさっきから涙が止まんないんだ?!

 別に悲しい訳でもないのに!

 私は必死に涙を拭う。


 そんな私の肩に、レアンドロス様がポンと手を置いた。そして軽く、涙を拭かれた。袖で。行動がワイルドぉ。

「セレーネ殿の意見に、全て賛同というワケではないが──」

 彼は、言葉を選びつつ口を開く。

「人には向き不向きがあって、それに合わせた道が選べるようになるといいというのは同意だ。女性が家督を、というのもセレーネ殿を見ていると頷ける。

 ……いや、本当に勿体ない」

 また言った。

 本当にそう思ってるんだな。

「レアンドロス様は物事の大局を見ておられるので、話が早くて助かります」

 さっき、軍に女性を、と進言したと言ってたしね。

「俺では力になれる事は少ないだろうが、サポートはさせて貰おう」

 そう言って、レアンドロス様は人懐っこい笑顔を向けてきた。


「レアンドロス様にご協力いただけるなんて、こんな心強い事はありません!」

 私は嬉しくなって、とびっきりの笑顔を彼に向けた。


「しかし。忘れてもらっては困る。

 セレーネ殿。貴女は私の言いつけにそむいたのだ。それなりの罰は受けてもらうからな」

 しまった。忘れてた。

 私の肩を掴んだ手に、力がこもったのに気づいた。

「出来る限り協力はする。しかし、こちらにも都合はある。勝手に動かれては台無しになる事もあり得る。こちらからお願いした事は、必ず守ってくれ」

 彼のお叱りの言葉に、私は恐縮する。

 肩をすぼめて小さくなり

「分かりました」

 そう頷くしか出来なかった。

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