第50話 助けに行こうとして止められた。

 冷静になれたのは、レアンドロス様が身体を張って私を止めてくれたからだった。


 知らせを聞いた私は、すぐにレヴァンに飛び掛かって、その腰に吊るされていた剣を鞘ごと奪った。腰の後ろに隠していたナイフでベルトを切って。

 そしてそのまま、後で散歩させようと手綱だけつけていた馬に飛び乗った。

 厩舎を馬で飛び出して、アティたちが釣りに出かけた方へと走らせる。


 そこへ、レアンドロス様が割って入った。

 私はすぐさま方向を変えて彼を避けようとする。

 しかし、そうやってスピードを緩めた瞬間、横からタックルされて馬の上から落とされた。


 それでも諦められなくて走り出そうとした瞬間、地面に引きずり倒され、両腕を地面に縫い付けられて馬乗りされた。

 レアンドロス様が、私を押さえつけながら真剣な眼差しで睨みつけてくる。

「落ち着けセレーネ! お前が行ってもどうにもならない!」

「そんなのは行かなければ分からない!!」

 私は、彼の腕から脱出しようともがく。

 しかし、熊のようにデカい彼はビクともしなかった。

「ヤツらが何処にいるかも知らないだろう?!」

「釣りの場所は知ってる! その道中で手掛かりを探す!!」

「お前一人では無理だ!!」

「でもアティが──」

「お前にまで何かあったらどうするんだ!!

 折角助かった命を無駄にする気かッ?!」

 彼のその言葉を聞いて、息が止まった。


 ああ、そうか。

 彼は、私の事も心配してくれているのか。


 その瞬間、感情が昂り過ぎたのか、泣きたくもないのに涙が溢れてきた。

「アティに何かあったら、私は生きていきたくない……」

 私を、本当の意味で目覚めさせてくれたのは、あの子だから。

 それに、もうこれ以上、何もせず愛してる人間を失くすのは嫌だ。

「分かってる。だから我々が助けに行く」

 私が抵抗するのをやめたからか、レアンドロス様は私の腕の拘束を解き、やさしく頭を撫でた。


 彼は私の上から退き、そのまま手を取って立たせてくれる。

 ただし、剣は取り上げられた。

「セレーネ殿は屋敷で待っていなさい」

 そう、そっと突き放す。

「でも──」

「お前に何かあったら、俺はカラマンリス侯爵に顔向け出来ない。

 勿論、アティ嬢も。だから必ず助け出す」

 レアンドロス様は、屋敷の家人を呼びつけて装備を持ってこさせる。

 そしてそれを素早く身につけて、同じく用意された馬にヒラリと飛び乗った。


 他の護衛たちを引き連れて、馬を駆け出させようとした瞬間、彼がこちらをチラリと見て笑った。

「『北方の暴れ馬』は健在だったな。俺じゃなければ止められなかっただろう」

 そうウィンクを一つ飛ばして、湖の方へと走り去って行った。


 ***


 メルクーリ邸の家人に連れられて、私はトボトボと屋敷へと引き返してきた。

 レアンドロス様にああ言われたのでは、私が行く訳にはいかない。

 アティが無事でも、私に何かあったら責任は全て彼に掛かってしまう。

 危険の芽は、出来るだけ減らした方がいい。

 それは分かってる。


 屋敷に入ると、家人達がバタバタと走り回っていた。沢山の人間が出入りする、居間の方へと顔を覗かせてみた。


 するとそこには、シュンと小さくなったゼノと、窓の外を見ているイリアス、そして、ソファに座って足をブラブラさせているエリックがいた。

「みんな、無事ですか?」

 私は部屋に小走りで入り三人のそばへと寄った。

 私の存在に気づいたエリックが、バッと私の顔を見上げる。

 その顔には、大きく当て布がされていた。

「怪我したんですかエリック様!」

 私はすぐさま彼の前に膝をつき、その痛々しい顔をそっと撫でる。

 身体をビクリと震わせるエリック。

 しまった。傷があるなら触ったら痛いよね。

 私は代わりに、彼の肩と頭をそっと撫でた。


「だんちょう……」

 エリックが、蚊の鳴くような声でポツリと呼ぶ。

 すぐに視線を下へと戻し、ずっとプラプラさせている足を見つめていた。

「おれ、あてぃ、まもれなかった……」

 本当に本当に小さな声。そんな声とともに、彼のパッチリとしていた目からボロボロと涙が溢れてきた。

「だんちょうに、あてぃをまもるんだっていわれてたのに……おれ、まもれ……なかった……」

 彼の声が嗚咽おえつに消される。最後は、頑張って絞り出したかのようだった。

「いいんですよ、エリック様。貴方は頑張りました。物凄く、頑張りました」

 私は、エリックの身体をギュウっと抱きしめる。

 それでも、エリックは私の腕の中で小さく縮こまっているだけだった。

「かみついたけど……だめだった……いたかったから……はなしちゃった……」

 小さな小さなエリックの声。怖かったんだ。でも頑張ったんだ。私が、彼に『アティを守れ』って言ったから。

 姿が見えるようだ。たぶん、アティを捕まえた腕に嚙みついたんだろう。

 だから殴られたんだ。

 彼は、自分の最大の力で、アティを守ろうとしたんだ。してくれたんだ。

「…… ごめんなさい……」

 そんな彼の声に、私は更に彼の身体を強く抱きしめた。頭を撫でて、背中をゆっくり優しくさする。

「よくやりました、エリック様。貴方はちゃんと、自分ができる事をしたんです。貴方は偉い。誰に何を言われようと、私はエリック様を誇りに思います。立派でしたよ、エリック様」

 私は、本心からそう思う。

 今まで我慢していたんだろう。エリックは、小さくふえぇと泣き始めた。

 私は、彼が落ち着いて泣き止むまで、ずっとその身体を抱きしめて背中をさすった。


「セレーネ様……」

 後ろから、申し訳なさそうな声が聞こえた。エリックから手を離し、ゆっくり立ち上がって振り返ると、顔に擦り傷や痣を作り体中が泥に汚れた家庭教師サミュエルが立っていた。

「申し訳ありませんでした」

 彼が、深々と頭を下げる。下げたまま、頭を上げなかった。

「仕方がなかったんです。貴方は護衛ではありませんし、丸腰だった筈。よく頑張ってくれました」

 彼の服の汚れ方を見れば分かる。馬から引きずり落され、顔を蹴られたな。

 顔を蹴られたのは、彼が顔を上げて何かを掴もうとしていたからだ。

 たぶん、攫われようとしていたアティだ。

「皆さん、大丈夫です。レアンドロス様がアティ救出に向かってくれました。

 彼は獅子伯。必ずアティを無事に助け出してくれます」

 私は、確信を以てそうみんなに伝えた。


 そして、ゆっくりと部屋を出ていく。


 レアンドロス様。

 申し訳ないですが、私は、大人しくできるような出来た人間ではありません。

 ここで神に祈る事しか出来ないとしたら、万が一の時、私は神を呪う人間になる。

 存在すら怪しい神を呪って人生をくすぶらせて生き残るのであれば、私はそんな人生はクソくらえ、です。

 助けられなかった時に、貴方を恨む事もしたくない。


 だから。

 私は私の最善を尽くす。

 その為に、私は今生きているのですから。


 ──と。

 そんな綺麗ごともちょっと思うんだけどね。

 ただ、ムカついた。ハラワタが煮えくり返ってる。

 少し冷静になった分、刹那的ではない怒りで頭が沸騰しそうだよ。

 マジで許さない。

 アティをさらい、エリックを殴り、サミュエルを蹴り飛ばした人間がいる。

 そいつらを、私がのうのうとのさばらせて平気だとでも??

 そんなワケはない。


 捕まえてボッコボコにして木に吊るして、お願いですから殺してくださいと泣いて懇願させて、野生動物に生きたまま食われるか、私が少しずつ切り刻んでいった方がいいのかを選ばせてやるわ。

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