第49話 元夫がせまってきた。
「気安く触んじゃねぇよ!」
私は首を一度前に傾けると、思いっきり後ろへと振り抜いた。
ゴッ!
くぐもったそんな音とともに、私の後頭部にも衝撃が走った。
しかし、そのおかげでレヴァンの手が緩む。
その隙に彼の拘束から抜け出して距離を取った。
離れたついでに、そこに立てかけてあったモップを掴んで彼に向って構える。
「何するんだ石頭っ……」
自分の顔を両手で抑えて痛がるレヴァン。その指の間から血が滴ってきた。鼻血出したね。
「何するんだはこっちのセリフだ。何度言ったら分かるんだ。お前とは離婚した。もうお前の妻じゃないんだよ。いつまでも所有者気取ってんじゃねぇ」
そう言いつつ、私の手は震えている。自分でも分かってる! これは恐怖じゃない! 嫌悪感なんだよ!! ああ気持ち悪い!!
彼は取り出した
その顔は、本当に意外そうな顔をしていた。
なんでだっ!?
「でも、離婚前、お前は俺にすがりついて──」
「話を聞いてくれなかったからだよ! 恋とか愛とかそんな次元じゃねぇ! お前の親からの圧力を、お前が受け止めろって文句言いたかったんだよ!」
「カラマンリス侯爵と子作りしないのは、まだ俺に未練があるからだと──」
「はぁ!? なんだソレ!? 誰から聞いた!?」
反射的にそう叫んだが、すぐに気づいた。
そんな事言う人間は一人しかいない!
「カラマンリス夫人が……」
だよね!
それに。
なんで他人から吹き込まれた『私の気持ち』の方を信じて、当の本人である私が言ってる事を誰も信じないんだ!
侯爵もそうだった、コイツもそうだ。
なんで、他人が言う『私の気持ち』の方を信じる!? その方が自分にとって都合がいいからか!? なんだソレ! マジムカつく!!
嫌よ嫌よもなんとやらか?! ふざけんな! 嫌よ嫌よはマジで嫌、だコンチキショウ!!
「……でも、お前は離婚するんだろう?」
私が怒りに震えていると、レヴァンが鼻血が止まった事を確認しつつ、そう呟いた。
一瞬、言葉に詰まる。
離婚を考えていたのは事実だから。
でも、それは侯爵以外には言っていない。結婚した当初は、すぐ離縁されるだろうとは
「それも大奥様からか……?」
私が恐る恐る確認すると、レヴァンはコクンと頷いた。
私は大奥様には離婚の『り』の字も伝えていない。言う筈がない。あの人が小躍りして喜ぶようなそんな事。
でも、何故あの人はそんな事言えるんだ? 侯爵を引きずって書類に拇印を押させる事なんて出来ないだろうし……指でも切り取るのか? そんなワケはないよな。
侯爵に心変わりさせる気なのか。
でも、どうやって?
──まさか。
「お前、今回のこの事で、大奥様と何か
私はモップをクルリと回して
一瞬身を引くレヴァン。
彼は、私が剣の心得がある事を知っている。
「……」
彼は答えない。
「じゃあお前一人を、今回の無礼な行為を企てた犯人として、レアンドロス様に報告する。あと。ついでにもう少しお前を痛めつける。離婚してなお、私の尊厳を踏みにじったんだ。骨の一本ぐらいは覚悟しろ。それで今回は勘弁してやる」
「今頃はどっかの子爵令嬢がカラマンリス侯爵の元を訪れている!!」
速攻でゲロったレヴァン。
どっかの子爵令嬢が? 侯爵の元に?
「どういう事?」
私がモップの
「お前の代わりに、侯爵に躾けの行き届いた女性をあてがうそうだ。彼はその女性に鞍替えするから、セレーネは離婚されるって」
「でも、そんな簡単に鞍替えなんて出来る筈が──」
まさか。
「……既成事実、作らせる気だな」
私はそう思い至って、背筋が再度ゾッとした。
躾の行き届いた女性──つまり、大奥様が言う事を聞かせられる従順な女に、侯爵に体当たりさせる気だ。夜這いでもかけさせて。
据え膳食わぬはなんとやらとか、こっちの世界でも存在している言葉だ。
それを狙う気か!?
私は息を抜いて、モップをおろして壁に立てかけなおした。
「ま、そん時はそん時だな」
「は!?」
私の言葉にレヴァンの方が驚愕の声をあげた。
「お前はそれでも構わないのか?! 旦那が他の女抱いちゃうかもれないんだぞ!?」
「それが何か?」
「お前! 自分の旦那が浮気しようとしてるってなっても、なんでそんなに冷静なんだよ!? お前オカシイんじゃないのか!?」
私がおかしい? 失礼な。おかしくないよ。ちょっとしか。
「あのさ。前も気になってたから逆に聞くけど。なんで結婚しただけで『妻から愛される』って思えんの? バカなの?」
私は、常々疑問に思っていた事をレヴァンにぶつける。
「政略結婚なんだって。政治なの。家同士の駆け引きなの。貴族の結婚は。そこに個人の感情は挟まらないの。分かる? そりゃ、ずっと一緒にいる間に愛情は芽生える場合もあるだろうけどさ。それは時間をかけてお互いにちゃんと絆を結んだ場合でしょう? ただ『結婚した』だけで『愛情が芽生える』ワケじゃないよな? 違う?」
そんな、環境条件により自動的にスイッチON! になるワケなかろう。
普通に考えたら当たり前な事なのに、結婚となった途端バグるのは何故なんだ??
「私が侯爵に今現在執着しているかっていったら、正直NOだね。まだ執着をみせられる程彼の事を知らないし、好きでもない。
その状態で彼が別の女にうつつを抜かしても、別に。ただ、彼を更に見損なうだけ」
そして、その邪魔をしないようにサッサと離婚だな。
向うが手放すんだ。私がしがみつく理由にはならない。その価値もない。
「私は侯爵家に未練があるのは、ただそこにアティがいるから──」
そこまで自分で言って、瞬間、嫌な予感が背中を走り抜けた。
侯爵が心変わりする事自体は別に全然気にしない。ちょっと見直したところだったけど、まだマイナスがゼロになったぐらい。それがマイナスに戻るだけだ。
しかし。
そう、私が今侯爵家に残っているのは、アティがいるから。
大奥様は「離婚する」とレヴァン断言したんだろう。
なぜそんな確信を持って言える?
私が、アティを大切にしているのは、あの女もその場で見た筈だ。
もしかして──
私は気づいた嫌な予感を確認したくて、レヴァンに飛び掛かって胸倉をつかみ上げた。
「お前! 今日の釣り! これはお前が仕掛けた事だろう!?」
私とアティを引き離す為に!
「今日何か起こす気じゃないだろうなっ!?」
ヤツの胸倉を前後に揺さぶると、彼は顔面が蒼白になった。
「いや、俺は……ただ、お前と娘を引き離せって言われただけだから……」
やっぱり!
って事は!?
「言え! アティに何する気だ!!」
私は彼に足払いをかけて転ばせる。そしてそのまま馬乗りになって胸倉を絞り上げた。
「し……知らないよ! 俺はただ引き離せって言われたからその通りにしただけで!!」
「知らないワケないだろ!? お前んトコの領地で事件起こされるかもしれないんだぞ!? 誰の責任になると思ってる!!」
「!?」
そこまで言って、初めてレヴァンは事の重大さに気づいたようだ。
顔を更に真っ白にしてガタガタ震えはじめた。
ホントバカだなこの男! これで騎士やってるとかって! この国の騎士は大丈夫なのか!?
「レヴァン様!!」
その瞬間、厩舎に人が転がり込んできた。
レヴァンの上からどいて、ヤツの腕を掴んで立たせる。彼はさも何もなかったというテイを繕って、身体をパタパタと
「どうした」
一瞬ビックリしていたが、走り込んできた人物は改めて口を開く。
「ゼノ様方が賊に襲われたそうです! ゼノ様方は無事に帰宅しましたがッ……」
彼のその言葉に、私の全身の血が逆流したのを感じた。
やめて。
その次の言葉は言わないで。
どうか、違っていて。
「アティ様が連れ去られました!」
頭が、真っ白になって、思考が完全に停止した。
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