第48話 子供たちが釣りに行った。

「妻は妊娠中も調子が悪かったようだ。国境付近に駐屯している時、常に手紙で報告を貰っていたが、俺は深刻に考えてなくてな。

 その時は、隣国との関係が微妙になりかけていた時期でもあったし、正直『それどころじゃない』と思っていた。

 出産の時に死んだと聞いたのは、妻が死んでから少し経ってからの事だった」

 レアンドロス伯爵はそこまで語ると、一息ついてワインをあおった。

 私は、言葉が出なかった。


「それまでは、自分は国を守っているのだという自負があった。

 しかしどうだ。

 俺は、命懸けで俺の子供を産もうとしていた妻を、放っておいたんだ。一番大切にすべき人間を粗末にした。

 もう俺には、妻を迎える資格はないんだよ」

 周りはゼノの養子話題で祝賀ムードだ。

 しかし、レアンドロス伯爵の口から語られた言葉は、その場に似合わず酷く重いモノだった。


「だから俺はレヴァンに、怪我をしたセレーネ殿に都度会いに行けと言ったんだが……失ってからでは遅いと思って。

 しかし、アイツには伝わらなかったな。俺の力不足だった。

 セレーネ殿が生き残れたのは奇跡だ。

 なのに、アイツは別れを選んだ。

 本当に、申し訳ない事をした」

 そう言って、彼は再度私に向かってゆっくりと頭を下げた。

 そうか。だからレアンドロス様は私の見舞いに何度か来てくれたのか。

 気を遣ってくれていたんだな。


 今更知った、彼の優しさがみる。


 お願いだ。

 私の心臓、イチイチ反応しないでくれ。

 もう、終わった事なんだよ。


「レアンドロス様のせいではありません。

 それに、貴方に何度も足をお運び頂いたお陰で、私は元気になれたんですよ。

 その節は、本当にお世話になりました」

 レアンドロス様が見舞いに来てくれた事で励まされたのは本当だ。

 レヴァンが来ないから、余計にその優しさが嬉しかった。

「今は再婚して、あんな可愛い娘まで出来ました。私が産んだワケではありませんけれどね。

 何がどう転ぶかなんて、誰にも分かりません。離婚しなければ、私はあの子の母になれませんでした。

 今はある意味、レヴァンに感謝もしてますよ」

 離婚してくれてありがとうレヴァン!

 お陰で天使・アティの母になれたよ!

 お前に感謝してるのはそれだけだがなっ!!


 私の言葉を聞いて、レアンドロス様はエリックとアティが消えて行った方向を見つめた。眩しそうに目を細めて

「セレーネ殿は、あの子を愛しているんだな」

 そう呟いた。

「そうですね。世界で一番愛しています。

 ……あ、同率一位で妹たちと弟も」

 私も、彼と同じ方向を見てそう言った。

 誰が一番とかは選べないけれど、確かに私はアティを愛してる。

 多分、もう彼女の魅力にメロメロなのだ。魔性の幼女だな、アティは。

「幸せそうで、本当に良かった」

 彼は、少しだけ不思議な表情で私を一瞥いちべつして、ワインをグイッとあおった。


 ***


 結婚後初めて、驚く程穏やかな時間を過ごしていた。


 獅子伯の計らいで、私は毎日馬の世話をさせて貰った。

 朝早く起きるのは最初はちょっと辛かったけど、すぐに慣れた。

 馬たちの世話は楽しい。

 一言で馬と言っても、勿論人間と同じで個性がある。癖も違うし体質も違う。気性の荒い子もいれば、繊細ですぐお腹を壊す子もいる。私の世話をすんなり受け入れてくれた人懐っこい子もいれば、私が触るのを嫌がる気位の高い子もいる。

 一頭一頭の事を把握しながら、その子に合わせた世話をアレコレ考えるのは、本当にやり甲斐があった。

 うーん。離婚した後、厩務員とか調教師で雇ってくんないかなぁ。

 私、誠心誠意バリバリ働くぜ??


 また、アティやエリック、イリアス達に新しい事を教えるもの楽しかった。

 ここでしか咲かない花や草、馬の事も教えたし、剣の事や猟銃の事も教えた。

 この地方特有の雲の形から地理による風向きまで、本当に色々沢山伝える事が出来た。

 勿論、全ての事を理解できたとは思わない。私の知識が浅い部分もあったし。

 でも『世界にはまだまだ知らない事が沢山あるんだ』という事を伝えられただけでも充分かな。興味さえ持てれば、自分で調べて知識を深めていく事が出来るしね。


 ゼノも、アティたちに混ざって行動していた。

 アティやエリックよりは年上な事もあり、イリアスと一緒に二人の面倒を率先して見てくれた。

 弟がいるからかもしれない。小さい子の扱いは慣れているよう。

 でも、それはエリックに対してのみのようだ。

 アティに対しては、おっかなびっくりどうたらいいんだろうかと、若干手探りで接していた。


 うーん。

 逆ハーレム状態。よきかなよきかな。

 だってアティ可愛いもん。そりゃ誰だってメロメロになるもん。私も逆ハー構成員の一人だもん。


 しかし──

 この穏やかな時間が怖い。

 元夫レヴァンが私を招いた理由があるハズだから。

 いや、もしかして自意識過剰だったのかな?

 ここに滞在するようになってから、特に向こうから変な接触はしてこなかった。

 それとも、獅子伯がいらっしゃるから、下手に動けないだけなのか。

 まぁ、何もないに越したことはないから、私も変に勘繰らずに普通に過ごすようにした。


 ***


「いってきます!!」

「いってきます」

 エリックとアティが、それぞれの護衛の馬に乗って、私に向かってブンブンと手を振った。

 同じように護衛たちの馬に乗ったイリアスやゼノも、照れながら手を振っている。


 今日は湖まで釣りに行くそうだ。

 私は心の中でアティと離れる寂しい気持ちに蓋をして、アティに手を振り返す。

 あ、あかん。笑顔が崩れそう。私も行きたーい。アティと離れたくなーい。でも……ぐう。


「すこし、せれーねからはなれないと、いけないんだ!」

 エリックからそんな言葉を放たれたのは昨日の夕飯の時だった。

 え? どういう事だ? と思ってたら

「せれーねも! こばなれしないといけないんだ!」

 続いて投げられた言葉が私の頭をブン殴る。

 その衝撃にクラクラした。


 話を聞いてみると、どうやらここの駐在の誰かにそう言われたらしい。

 いつまでも母親にしがみついてるのは男じゃない。母親の方も、子離れする必要があるんだ、と。


 ぐぅ……誰だ、そんな事をエリックに吹き込んだのはっ!

 確かに一理ある。

 男か女かなどは関係なく、親がいつまでも子供のそばにいるわけにはいかない。

 子供の自立心を養う為にも、ある程度離れる必要がある。

 あるけど、さぁ……あるんだけど……おおおお……心理的葛藤がすげぇ。

 これは私にとっての試練でもあるのか。

 手元から飛び立とうとしている子供達の足を引っ張るのは良くない。良くない! 良くなァい!!

 だから、頑張れ自分。負けるな自分。これも、エリックやアティが自立した大人になる為の一歩なんだ。耐えろ自分!


 薄紫の木が満開になるまでは、まだ少し時間がある。それは一緒に見に行く予定だし、それ以外は我慢だ。


 同じ理由で、子守頭マギーとエリックの子守も留守番することになった。

 その代わり、家庭教師たちは同行することになっている。

 私は陰で家庭教師サミュエルをとっ捕まえてその手を握り、「くれぐれもよろしく」と念押ししておいた。『手が砕ける』とサミュエルは弱音を吐いていたけど、なんとか了承してくれた。


 馬で駆けて行くみんなを、もの凄ーく寂しい気持ちを抱えながら、私はその姿が見えなくなるまで見送った。


 みんなが出掛けている間、私は厩舎で馬の世話に集中する事にした。

 何もしてないと、アティを心配して頭が変になる。

 私の成長でもある。なるべく別の事で頭を一杯にしてアティの事は考えないようにした。


「相変わらず、馬が好きなんだな」

 馬にブラッシングしていると、後ろからそう声をかけられた。

 この気取った喋り方は──レヴァンだ。

 私はゆるく振り返り彼の姿を確認して、すぐに馬の方へと向き直る。

「ええ。馬は素直ですから」

 彼を無視してブラッシングを続けた。

 邪魔だなー。マジコイツ邪魔だなー。何しに来たんだよ。釣りに行けよ。主催者やろがい。

「お前自身は素直じゃないのにな」

 その言葉は、すぐ後ろから囁かれた。

 ゾッという悪寒が背筋に走った直後、ブラシを持った手首をつかまれ、後ろから腰を引き寄せられた。

「やっと二人きりになれたんだから、素直になればいいのに」

 私の背中に身体を密着させ、耳元でそう囁きかけるレヴァン。

 気持ち悪くて身体を離そうとしたが、彼の腕が私の身体をガッチリ捕まえて動けない。


「ああでも、身体は覚えているんじゃないか? 俺の事を」

 彼の吐息が耳にかかる。

 物凄い嫌悪感で頭がグラグラした。しかし、私の力では身体の大きなレヴァンには対抗できない。

 そのうち、彼の手がそっと私の胸へと伸びてきた。

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