第45話 旅立った。

 侯爵が私の部屋に辿り着く前に、なんとか戻らなくちゃ!!


 私の部屋は二階だ。雨樋や窓の縁に手足をかけてなんとかよじ登る。

 まだ部屋の中に入る前──

 コンコン

 ドアのノック音がした!!

 アカーーーン!!!

「セレーネ、具合はどうだ?」

 窓の向こうから、侯爵のそんなくぐもった声が聞こえる。

 ヤバイ! 早く部屋に入らなきゃ!!

 しかし、焦れば焦るほど手が滑る!

「セレーネ? 大丈夫か?」

 大丈夫だから入ってこないで!!

 と、言いたいけど、今言ったら声が外から聞こえるのがバレてまう!

 私は何とか自室の窓にしがみつけた。

 慌てて中に入ったが──いかーん!! 着替える時間なーい!! 男装したままじゃ! どうしよう?!

「セレーネ、入るぞ」

 侯爵のそんな声とともに、扉の鍵がガチャガチャされる音がする。

 間に合えクッソ!!


 ギィ

 そんなきしんだ音を立てて、ドアが開く。

 侯爵が入ってきたコツコツという足音が聞こえた。

「セレーネ、大丈夫か」

 ベッドの上に掛け布団を深く被った私のそばまで来て、侯爵はゆっくりと私の額に触った。

 間に合った! 間に合ったよ!! 息はゼーゼーいってるけどな!

 私は、そこで初めて目覚めた風を装い、なんとか息を整えつつ目を開けて侯爵の顔を見上げた。

 セーフ!!!

 首より上の変装は解いた。布団の中の服は男装のままだけどネ☆

「セレーネ、酷く汗をかいているじゃないか」

 侯爵が、しっとり濡れた私の額をさすり、汗で張り付いた前髪をかき分けた。

 ええ、メッチャ急いで帰ってきたからね! 汗だく☆

「少し、熱っぽかったようです」

 私は渾身の演技『辛くてダルい』を披露する。

「息も荒いな」

 そう言い、私のベッドのかたわらに膝をつく侯爵。

 ええ、めっちゃ焦って壁登ってきたからね! まだゼーゼーいってる☆

「少し辛いですが、寝ていればすぐに良くなります」

 私はそう、力なく笑った。

 すると、侯爵は体を折り曲げて、そっと私の額に口付ける。

「無理はするな」

 そう、心配そうに呟いて。


 ……わ。愛情、感じた。

 本当に心配してくれてるんだ。

 なんか、勝手に屋敷を抜け出して病気だと嘘ついた事に、罪悪感を感じる。

「ごめんなさい」

 思わず、そんな言葉が漏れた。

「謝る必要はない。元気になってくれ」

 そう、フワリと柔らかく笑うと、侯爵はゆっくりと部屋を出て行った。


 ***


 ちょっと、侯爵を見直した。


 でも、ほだされちゃアカンぞ自分。

 これは、ヤンキーが子猫を愛でてる姿を見て見直すのと同じ現象だ。

 最初の印象が悪かったから、ちょっとの事で物凄い良い印象を受けてしまっているだけだ。

 気をつけろ自分、気をつけろ。


 でも……侯爵の態度を見て、サミュエルと話しをしてみて。

 色々思った事がある。

 セルギオスが情報源だと、嘘をつかない方がよかったかなぁ。

 素直に「情報源は明かせないんだけど」というテイで話せば、サミュエルに会いに行く必要もなかったし、侯爵に心配かけることもなかった。


 ……ついつい、セルギオスの姿だと楽ができるから好んでしていたけど、それはある意味、私の中の『逃げ』だったのかもしれない。

 でもなぁ。

 息が詰まるのも事実なんだよなぁ。

 好き勝手やってる部分も勿論あるけど、そう出来ない部分が沢山あるからなぁ。

 結婚がこのまま続いて、アティがそれなりの年齢になった時、アティの社交界デビューなども控えているし、私自身も他の貴族の奥様方と色々コネクションを広げる必要もある。嫌だけど。

 そうなると……いや、やっぱ息詰まる。息詰まって頭オカシクなるかも。

 やっぱ『ストレス発散の手段』は残しておきたいなぁ。


 ヨシ! 必要以上はしないように心がけよう! そうしよう!

 どうせ、今後男装するタイミングも減るだろうしね!

 今度行くメルクーリ伯爵のトコでも、そんな事態にはならないだろうし。


 そう自分の中で結論がついた頃、メルクーリ伯領へとおもくく時期になった。


 今回のこの旅行に、大奥様が一枚噛んでるのは絶対間違いないと勘が叫んでいたけれど、その理由までは分からなかった。

 侯爵や家人たちにそれとなーく聞いてみたが、みんな『大奥様のやる事は分かりません』と首を横に振るだけだったし。

 怖いなぁ。


 旅行へ行く当日。

 いつもだとアティと私が玄関で侯爵を見送るところが、今回は逆。

 玄関で侯爵が見送りに来てくれた。

 見送りに来てくれるとは思っていなかったので、ちょっとまた見直してしまった。

 彼の中で、また何か変わってくれたのかな? だといいのだけれど。


「気を付けるんだぞ」

 玄関に立つ侯爵は、準備万端で扉の前に立つ私とアティに、あまり表情を変えずそう告げた。

 相変わらず言葉は少ないけれど、きっと本当に案じているのだろうと、今回は素直にそう思えた。

「いってきます、おとうさま」

 アティはニコニコしながら、侯爵にブンブンと手を振っていた。

 旅行が本当に楽しみだったようだ。

 普段は家から殆ど出る事はないし、ましてや外泊などはほとんどしたことがないからね。新しく冒険に出るような気分なのかな!? 分かるよ! 私もそうだったし!! 沢山冒険しようね!

 私も、侯爵に一度頭を深く下げた。

「いってきます。ツァニス様」

 そう挨拶し、背中を向けようとして、ふと思い立つ。再度侯爵の顔を見返して

「あなたには出来ると、信じています」

 そう、伝えた。


 私の言葉に、アティは首を横にかしげる。

 他の家人たちも、私の言葉の意味をはかりかねて、いぶかし気な顔をしていた。


 大奥様に立ち向かえるよ。彼女が何をしてこようと、もう侯爵の方が強いのだから。


 みなまで言わず、ただし一応気持ちは込めた。

 当初、眉をひそめて疑問顔だった侯爵も、何かに思い至ったのか

「分かっている」

 そう、返事を返してくれた。


 ***


 車で駅まで移動し、そこからメルクーリ伯領までは列車での移動だった。


 エリックたちとは駅で落ち合う。

 エリックもまた、新たなる冒険に目をキラッキラと輝かせていた。


 エリックの方は母親は来なかったようだ。

 まぁ、田舎に行きたがらない貴族夫人もいるからね。特に、メルクーリ伯領は北西辺境だ。何もないと言われたら確かに何もない。

 私にとっては、険しく切り立つ山々と広大な草原、美しく輝く湖、深い森林などの慣れ親しんだ地方だけどさ。


 鉄道を見たエリックとアティは、目をこれ以上開けませんて程見開いて、驚いていた。

 そうか、鉄道を見たのは初めてなのか。

 煙をモクモクと吐く機関車本体を見て、カッコイイー!! と叫んでいた。主にエリックが。イリアスは興味がないのか、そんなエリックの後ろでただニコニコしてただけだった。

 確かに、無骨で巨大な鉄の塊。カッコイイと言われたらカッコイイ。足回りとかも凄いよね。

 コレはどうなってるんだアレは何だと、エリックとアティがサミュエルを質問攻めにしていた。


 列車に乗り込み特別寝台の窓から、高速で移り変わって行く景色に、改めてエリックとアティは目をキラッキラさせていた。

 二人にとっては良い経験だな。

 そのうち、ウチの領地の方にも招きたいなぁ。


 丸一日かがりで、メルクーリ伯領の鉄道駅まで到着する。

 そこから今回逗留することになる別荘までは馬車だ。

 どうでもいいけどケツと腰がそろそろ限界。痛いねん。長いねん。まあ遠いから仕方ないんだけどさぁ。


 エリックとイリアスとアティは、それはもうずっと大はしゃぎだった。

 移動中はアティやエリックが飽きないようにと、ナイフの使い方を変わらず教えた。絵本も持ってきたし、手遊びも教えた。カードゲームしたら、イリアスが持ち前の賢さで一人勝ち。コイツマジ侮れない……

 まぁ、それでも飽きて列車の中ではエリックが走り回って護衛を右往左往させてたけどね。馬車の中じゃそうは行かない。


 なので護衛の許可を取って、時々単騎に乗ってエリックを前に座らせた。

 そろそろ乗馬の訓練を始めていたのだろう。ある程度サマにはなっていた。

 しかし、自分の思うように手綱を引こうとするので制する。手綱は言葉が通じない馬とのコミュニケーションの道具であり、こちらの意思を馬に伝えるものだ。相手を縛って言う事を聞かせる物ではないと伝えた。

 よく理解してなかったみたいだけど、それはおいおい分かるだろう。

 ちなみに、私には出来ないけれど、妹の中にはくらも手綱も付けずに裸馬に乗れる子もいた。馬と一体になるとはまさにあの事だな。

 エリックにあのレベルは……まぁ、無理かな。普通に乗れるようになってくれればいいや。


 そうこうしているうちに、メルクーリ伯の別荘に着いた。

 広大な敷地では、柵の中で馬が放し飼いされている。

 ああ、この雰囲気、懐かしい!


 質素だがしっかりとした作りの屋敷の前で、ズラリと並んだメルクーリ伯家人たちに出迎えられた。

 その中には、ひときわ背が高くガッチリとしていて、一人だけ遠近法をガン無視した男性が悠然と立っていた。

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