第46話 獅子伯にお会いした。

「ようこそ、アンドレウ公爵御子息、テオドラキス侯爵御子息、カラマンリス侯爵夫人、カラマンリス侯爵御息女」


 周りの人より頭ひとつ飛び抜けた大男が、恭しく頭を下げた。

 それに応じて、私達も深々と挨拶をする。


 頭を上げた彼は、少し人懐っこい豪快な笑顔で私達を出迎えてくれた。

 日に透かすと炎のように燃える褐色の髪を荒く後ろに流し、瞳は翡翠のように透き通ってる。顔には大小の傷があり、如何にも『歴戦の戦士』といった風情だ。

 最初遠目には、あのアホ元夫レヴァンかと思ったけど違った。それよりも年上だ。しかし、父親にしては若いし、なんか見覚えがある。

「初めまして、エリック様、イリアス様、アティ様」

 彼は、その巨体を折り曲げて膝をつき、改めて子供たちの顔を順々に見ていった。

 そして

「お久しぶりです、セレーネ殿」

 そう、懐かしそうな顔をして私を見上げた。


 ──あ! 思い出した! この人は!!

「レアンドロス様、お久しぶりです」

 私は、かろうじてなんとか思い出せたその名前を口にする。

 彼は、一瞬驚いた顔をしたが、また人懐っこい笑顔になった。

「名前まで憶えておいでくださるとは。嬉しいですな」

 そう嬉しそうに言いながら。


 彼は、レアンドロス・キュロス・メルクーリ。

 あのアホ元夫レヴァンの兄、メルクーリ辺境伯、俗に言う獅子ししはくだ。

 私とは、以前レヴァンとの結婚式の時に会ってるし、そもそもウチの実家とは領地が隣同士で都度都度付き合いがあって、その時に何度かお見掛けしていた。

 小さい頃なんかは、お互いの領地を何度か行き来しあっており、馬に乗せてくれたり釣りに連れて行ってもらったりもしていた。

 そういえば、お見舞いにも来てくれたな。


 そうか。あまり気にしていなかったけど、獅子ししはくという名前、物凄く似合ってる。後ろに流した荒い褐色の髪が、まるでライオンのたてがみのようだ。

 そして、そうだ。

 似てる──大人になったゼノに。私が乙女ゲームで唯一好きになったキャラクターに。そうか。彼は元夫レヴァンより獅子ししはくに良く似てるんだ。


「まさか、レアンドロス様がお出迎えなさるとは。レヴァン様は?」

 今回の主催者であるハズの元夫レヴァンの姿が見えない。

 どうしたんだ? なぜヤツがいなくてレアンドロス様がいらっしゃるんだ??

 獅子伯は普段国境近くにいるハズなのに。

「アイツは今ゼノを迎えに行っている。そろそろ戻ってくるはずだ。

 俺はたまたま家に戻っていた時に今回の話を聞いてな。ちょうどよいからと一緒に来た。新しい騎馬たちを選びに。それに──」

 レアンドロス様は、眩しそうに眼を細めて私を見上げた。

「久しぶりにセレーネ殿のお顔が見たくてな。元気そうでよかった」

 そう、優し気に告げた。


 ……。

 ……いかん。

 いかんよ! 今! 私の心臓が!! 血を思いっきり送り出したぞ!!!

 つまり! ときめいてしまったぞ!!!

 やめてください。ゼノによく似た雰囲気と笑顔で、そんな優しい言葉を吐かないでください。イケナイ感情を抱いてしまいそうです!

 私は人妻私は人妻私は人妻。


「さぁ、立ち話もなんだ。長旅疲れたろう。湯の準備ができている。まずは旅の疲れをとるといい。その間にレヴァンとゼノも来るだろう」

 彼はよっこいしょと立ち上がり、エリックやアティの背中をそっと押した。

 エリックは、如何にも『騎士』然としたレアンドロス様を、尊敬と憧れの目で見上げている。目から星が絶え間なくこぼれてるぞ。

 アティは……怯えて固まっていた。そうか。こんな体の大きな男性と会った事がないんだな。確かに。熊みたいだよね。

 私は固まってしまったアティをさっと抱き上げる。

 すると、レアンドロス様はフニャリとした溶けた笑顔で、近い目線になったアティの顔を覗き込んだ。

「怖がらせてしまったな。すまんすまん」

 メチャクチャ愛おしそうな顔で、固まって私にしがみつくアティの頭を、そっと優しく撫でてくれた。


 ***


 この別荘には温泉がある。

 カラマンリス邸はバスタブとシャワーだが、こっちは大浴場だ。元日本人の私としては最高の贅沢!!


 客人用の浴場へと案内された。

 私とアティ、私は構わないからと言って子守頭であるマギー、そして私の身の回りの世話の為についてきてくれた家人も一緒に入る事にした。

 マギーと家人──クロエは、恐縮して辞退し、入浴介助だけをしようとしていたけれど、疲れたのは彼女達も一緒だからと半ば無理矢理誘った。


 脱衣所で、私はサッサと遠慮なく全裸になる。

 そして、アティの入浴準備を手伝おうとして──アティと二人が、私の身体を見て固まっている事に気がついた。

 ああ、そうか。しまったな。

 体の傷、そういえば家の誰にも見せた事はなかったな。侯爵以外。


「おかあさま、いたい?」

 アティが、私の胸から腹へと痛々しく伸びて歪む傷痕に触れて撫でる。

「もう痛くないよ。むかーしむかしの傷だからね」

 もう! アティ優しいっ!! 他人の傷を労わる慈愛を持ち合わせてるなんてっ!! 天使! 天使すぎる!! 外見だけじゃなく中身も天使じゃーん!!!

「セレーネ様、それが……」

 マギーが声を引き攣らせながら呟いた。

「そ。昔熊に襲われてついた傷。もう完治してるから不自由はないよ。ま、少し見苦しいかもしれないけれど、勘弁ね」

 私はそう謝っておいた。

 痛々しいモノを見たくないのは分かるしね。

「じゃあ、入浴介助をさせていただけないのは……」

 普段から私の面倒を見てくれているクロエが、なんだか悲しそうな顔をしていた。

「あ、クロエ。それは違うよ。私は一人で風呂を楽しみたいだけ」

 他人に洗われるの、好きじゃないんだよね。なんか、落ち着かないし。

 勘違いしているクロエにそう言い訳し、私はアティの手を引いて浴場へと足を踏み入れた。


 ***


 湯上がりアティ。

 超可愛い。超可愛い! 超可愛い!!

 ほっぺた真っ赤。ホックホク。剥きたて茹で卵みたいなお肌。ツヤッツヤ!

 いやぁ! 吸い付きたくなる!! しないけど!!! なんで湯上がりの子供ってこんなに可愛いのっ?!


 私自身も、久しぶりの湯船にドップリ浸かれて、足も手も思う存分伸ばせて超絶幸せだった!!

 うん。コレだけの為に、ここに住み込みで働いてもイイ!

 やっぱり、お風呂好きだなぁ。前世でもそうだったように思う。辛かった事、嫌だった事、全てをお湯に溶かして洗い流せるお風呂が。

 ホントに、ここで働けたらなぁ。

 アティを連れて離婚した後、ここで雇ってくれないかなぁ。

 一緒に入ったマギーやクロエも、スッキリした顔をしていた。良かった! コレで明日は辛くないぞ!


 応接間で暇そうに足をプラプラさせてソファに座っていたエリックが、部屋に入ってきた私達に気づいて走り寄ってきた。

 うーん。エリックも湯上がりっ! 可愛いぞコラ!! けしからん!!

 普段はすまし顔で何考えてるか分からない偏執少年イリアスも、なんだか凄くスッキリした顔をしていた。湯船に浸かると血行も良くなって免疫力もアップするしね。イリアスにとっても良い湯治になったんじゃないかなぁ。

 それに、こうして湯上がり姿を見ていると、ああやっぱりまだ子供なんだなって思うね。


 男性陣の他の家人たちは風呂に入らなかったようだ。まぁ、ここに暫く逗留するから、そのうち堪能できるでしょう。是非して欲しい。……ウチの風呂じゃないけどね。


「湯加減はどうだった?」

 応接間に、後から入ってきたのは獅子伯・レアンドロス様だった。

「最高でした。相変わらずここの温泉は素晴らしいですね」

 私はお世辞なく感想を述べた。アティもエリックも、イリアスでさえ同じように口々に気持ち良かった、暖かかったと喜びの声を上げる。

 その言葉に、レアンドロス様は満足げにウンウン頷いた。

「それは良かった! レヴァンとゼノも到着したぞ。

 夕餉ゆうげの支度が出来ている。さあ、食堂へ移動しようか」

 そう豪快に笑い、彼は部屋を出て行った。

 え、わざわざそれを伝えに来てくれたの? 辺境伯が? 下手したら侯爵より全然地位も高く特別な方が?


 ……。

 ……おさまれ心臓。落ち着け精神。心頭滅却すれば火もまた涼し。

 彼の一挙手一投足にときめいてんじゃねぇよ。

 ダメだ。最近あんまり男性から優しくされる事がなかったから、イチイチ彼の行動が優しく感じる。

 私は人妻私は人妻私は人妻私は人妻。

 念仏のようにそう頭の中で唱えつつ、私はアティとエリックの手を引いて、招かれた食堂の方へと移動して行った。

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