第40話 侯爵の前で真っ裸になった。

 どうやら、大奥様はレヴァンが再婚している事まで調べず連れてきたようだ。

 恐らくレヴァンも、あの調子ではぐらかして何も言わなかったのだろう。

 如何にもヤツらしいな、と思った。


 大奥様とレヴァンは取ってつけたように用事を思い出したとか言って帰って行った。


 夕飯も取り終えてアティを寝かしつけた後、私はまた侯爵の書斎にお呼ばれしていた。

 嫌な予感しかしない。


「失礼します」

 書斎にしずしずと入ると、侯爵はソファに深く座って手足を組み優雅に座っていた。

 部屋に入ってきた私を、彼は首を回してゆるりと見上げる。

「何故黙っていた」

 視線は鋭い。声音も少し硬かった。

「何故、とは?」

 侯爵の質問の意味が分からず、問い返す。

 部屋を進んで侯爵のそばまで寄って真っ直ぐに立つ。

 私をそのまま視線で追って、侯爵はため息と共に

「メルクーリ伯爵のことだ」

 と吐き捨てた。

 は?

 何故、黙っていた、と??

 は???

「終わった事だからです」

 ビックリして、そう返答した声が思わずひっくり返っちゃったよ。

 離婚した元夫の事を、敢えてベラベラ新しい夫に言う必要、ある?


 侯爵はなんだか微妙な表情をして、額にかかった前髪を後ろに撫で付けた。

「それは……再婚できてやっとヤツの事を振り切れた、という事か?」

 ……。

 …………。

 ………………は???

「いえ、違います」

 なんだか頭が混乱してきたよ?

 コイツ、何言ってんの?

「それは──」

 ソファからガバリと起き上がった侯爵が、素早く私の腰を引き寄せた。

「まだ、未練がある、という事か」

 寄せられた菫色ヴァイオレットの瞳には真剣な色が浮かんでいる。

 そして、ゆっくり顔が近づいてきた──


 ──ので、侯爵の顔をクキッと横に向けてやった。

「違います。離婚した時点で未練は爪の先程も残っていない、という意味です」

 なんでかな?

 何で侯爵コイツもレヴァンも、『私がレヴァンを深く愛してた』前提で話をすんの?

「レヴァンとも政略結婚ですよ? 恋愛感情を持ってたワケではありません。離婚した時点で個人の繋がりは切れています」

 あれ?

 最初から私はそのつもりで話してたんだけど。もしかして、のかな??


 っていうか、貴族の結婚の中でどれほど恋愛結婚があるんだ?

 殆どゼロだろ?

 レヴァンの場合は昔から知ってたけど、このカラマンリス侯爵に至っては、結婚式の時に初めまして、やぞ??

 確かにレヴァンのメルクーリ伯爵家とウチの実家の繋がりは切れてない。でもそれは、領地が隣同士で切っても切れない関係だからだ。

 そもそも、私を離縁した時点で祖父は怒り狂っていたけれど、両親が祖父をなだめて流したのだ。

 遺恨いこんがあるとしたら、ウチの実家の方だ。


 無理矢理横を向かせる私の手を振り解いた侯爵は、私から体を離して首をコキコキ捻った。ゴメン、痛かった?

 私の物言いに納得が出来なかったのか、侯爵は更に言い募る。

「……しかし、ヤツの言い分だと──」

「私ではなく、彼の言い分を信じるのですか?」

 お前の妻は、私なのに?

 妻より、今日初めましての相手の言い分を信じるのか?

 ヤツが語った『私の気持ち』の方を信じるって、どういう了見??


 なんで、コイツは、こうも私を軽く見るんだ?


「私が女だから、私の言い分は貴方には信じられないのですか? それとも、聞こえてないのですか?」

 何故、こうも私の言葉は軽くなるんだ?

 レヴァンと私の言葉、どう違う?

 何か違う?

 侯爵の中で、ヤツと私の言葉の重さが違うのは何故?

「確かに、離婚前に相談はしましたよ? 追いすがりましたよ?

 でもそれはヤツが話を聞く耳を持たなかったからです。愛してたとか女として見て欲しいとかそいう次元の話ではありません。

 レヴァンの両親が何度も何度もしつこくのに、レヴァンが対応した事はなかったからです。私に触れてこなかったのはレヴァンの意思なのに。

 一人で細胞分裂して子供を産む事は、いくら私でも出来ません」

 一人で産めるなら、とうの昔に産んでるわ。


 そう伝えると、侯爵の顔色が真っ青になる。

「ヤツとは……したのに……」

 今度はそっちに引っ掛かるのかよ?!

 オイコラ! ここでの主題に注目しろや!!

「そんな事は今はどうでも良くて──」

「良くない!」

 私が話の本題に戻そうとした声を侯爵が遮った。

「何故、ヤツとは子作りして私とはしないのだ!」

「何故ってそりゃ──」

「そんなに嫌なのか!」

「違──」

「前の男がそんなに良かったのか!!」

「はぁ?!」

「ヤツにみさお立てしてると言う事はやはり──」

「少しは私の話も聞けやオラ!!!」

 止まらなかった侯爵の胸ぐらと顎をガッと掴んで引き寄せた。


「ヤツとは義務だと思ってたからだよ! 私だって生まれてすぐこう考えて振る舞ってたワケじゃない! 失敗を繰り返して自分の意思で考える事を覚えたんだよ!

 特に!! 熊に襲われて九死に一生に得た時に! このままじゃダメなんだと思い知ったんだよッ!!!」

 それまでは、自分でも好き勝手に生きてるんだと思ってた。

 しかしそれは違った。

 雁字がんじがらめにされてるのに、上からのお目溢めこぼしでで自由にだけだと気づいたのだ。

 私の意思など関係なく、世間が勝手に最終的な私の身の振り方を決めているのだと知ったのだ。


 そんな生き方にどんな価値があるというんだ。

 自分についての決定権が他人にある状態なんて、


 私の魂の叫びは、まだ侯爵に届いていないようで、目をパチパチさせてビックリしている。

「……じゃあ、私とは──」

「義務がいいのか? 義務でお前に抱かれたら、お前は嬉しいのか? 義務でいいなら今ここでしよう。構わない。ただし、サッサと終わらせろよ。義務でただの作業だからな。

 さぁ脱げ。それともいて欲しいか? あぁ?」

 私は侯爵から手を離して、彼のシャツのボタンに手をかける。

 面倒くさかったから、途中でシャツを左右に引っ張ってやった。

 ボタンが一つ飛んだ。でも、それ以上は私の力では無理だった。

 代わりに、私は自分が着ていたガウンをバサリと落とす。

 そして自分のネグリジェの紐を緩めていった。

「お前にとっては、やっぱり私はその程度なのか? お前の『愛してる』とは、つまりそういう事なのか?

 そうだとしたら──とんだ勘違いしてたよ」

 前回の事で、侯爵が目覚めたと勘違いしてた。

 前妻とは仲睦まじかったと聞いたし、前妻はちゃんと扱われていたと思ってた。愛してると言っていたから。

 侯爵の『愛してる』がこういう事なら、期待しなければ良かった。

 楽観的な自分にムカつく。

 まだまだ自分は甘い。もっと相手を最後まで見極める目を持たなければ。

 またしまう。

 私はもういい。

 でも、アティにはそんな事させない。


「半年な。半年経って妊娠した気配がなければ私は出て行く。ただし、アティは連れて行くからな。

 お前はまた新しい妻を迎えて産んでもらえ?

 ああでも、私の妹に手を出してみろ? その大切なブツを夜中に屋敷に忍び込んで、寝てる間に切り刻んでやるからな?」

 私は全部脱ぎ終わり全身をあらわにする。

「……子供ができたら?」

 侯爵が、私の全身に走る未だ痛々しい傷に視線を這わせ、少し手を伸ばそうとしながら尋ねて来た。

「動けるようになったら出て行く。男の子なら置いて行く。女の子なら連れて行く。

 男の子なら諸手をあげて喜んで甲斐甲斐しく御世話してくれるだろ? 女の子ならアティのように人形にされたくないから連れて行く。勿論アティも。

 まぁ、そもそも妊娠出産で死ぬかもしれないけれど、それは仕方ない」

 私の言葉に、侯爵は手を止めて信じられないモノを見るかのような目をした。

「男なら置いて行くのか……? 母親の愛はないのか?」

 はぁ? どの口が愛を語る?

「勿論あるでしょうけれども。この場合は仕方がない。どうせ男の子なら取り上げられるだろうし。男の子なら可愛がってくれるでしょう? 子供が幸せになれるなら、自分が幸せにしなくてもいい。

 そもそも親の愛とは、自分が腹を痛めて産んだからとか、自分の血を継いでるからとか、そういうモンじゃないでしょうが。

 自分が産んだとしてもアティでも、どっちも可愛いんだよ! 愛してるよ!! 大切にしてあげたいんだよ!!!」

 自分が産んだらきっと可愛い。男の子でも女の子でも。

 でもアティも勿論可愛い。妹たちだって弟だって可愛い。

 最近なんかはエリックだって、ちょっとだけだけどイリアスだって可愛い。

 そこに区別なんかあるもんか。

「何か? お前は自分の腹を痛めてないよな? じゃあアティは愛してないのか? アティは自分の血を継いでるから可愛いのか? お前の愛ってそう言うモノなのか?

 お前の愛には『条件』や『代償』が必要なのか?」


 そんなのは、子供を愛してるんじゃない。自分の遺伝子を大切にしてるだけだ。

 アティの母だってそうだ。アティの母を個人として愛してたんじゃなくて、自分の遺伝子を持つ子を産んでくれたから愛してるって事になる。

 愛にはいろんな形がある。どんな愛を個人が持とうとそれは個人の自由だ。

 でも、そんな他人の愛の形を、私やアティたちに押し付けて欲しくない。


「オラどうした? 脱がないのか? 服着たままの方がいいのか? まぁアンタがどんな趣味があろうといいわ。サッサと終わらせよう。私はアティと眠りたい」

 先程から動かない侯爵を催促する。

 こちとらもう真っ裸マッパじゃ。まだ夏前じゃ。寒いわ。

 私は侯爵の肩を押す。ちょうど侯爵の膝裏がソファのヘリに当たっていた為、彼はそのままソファの上に倒れ込んだ。


 侯爵は倒れた体勢のまま、私の体と顔を交互に見ながら逡巡していた。

 そして何かを決意したのか、その手をゆっくりと私へと伸ばした。

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