第38話 敵が天敵を連れて来た。

 また大奥様がいらっしゃる事になった。

 今度はちゃんと予告アリ。

 もう、嫌な予感しかないよね。


 アレぐらいで大奥様程の人間が考え方を変えるとは到底思えないし。

 私が自分とは違う考え方を持ってる事は彼女も認識しているだろうし。

 どっちも引かない龍虎対決みたいになりそうなヨ・カ・ン★

 胃が痛くなるわ。


 それは、カラマンリス邸にいる誰もが思っていた事らしく、廊下ですれ違う家人たちが口々に私に向かって「どうぞ、よしなに」と呟いていた。

 なんで私の方が調整せねばならん。

 向うがぶつかってこなければ、こっちだって穏便に済ますっつーの。

 向うに言えや向うに。


 ところで。

 何の用事で来るんだろうか?

 侯爵に聞いてみても「分からない」と顔を真っ青にして言うだけだった。顔真っ青って。母親なのに? ……まぁ、自分の母親が苦手な気持ちも分かるよ。私も自分の母、苦手だしね。


 大奥様が到着するであろう時間帯に、今日は侯爵と並んで玄関でお出迎えする事となった。

 ピリリと緊張した空気がまた玄関に充満している。

 耳が痛くなるほどの静寂。誰もが息をひそめて声一つあげない。何。みんな死地にでも向かう兵士みたいになってんぞ。

 ……他人ヒトの事言えないけどさ。


 車のエンジン音が聞こえてくる。

 ──来た。


 久々、自分の緊張で心臓の音がうるさい。

 さっきから、隣に立つ侯爵が強く私の手を握っている。痛いって。どんだけ怖いの。でも、不安そうなのでその手を握り返してあげた。


 玄関の扉が開く瞬間、私たちはその手を離した。

 そして、仁王の如く背中に太陽光を背負って現れた大奥様を出迎える。


「今日はツァニスもいるのね。珍しい」

 挨拶の前にそれかい。もうお前の家じゃねぇんだから挨拶ぐらい先に言えや。

 前と同様に、伸ばした背筋と笑顔の『え』の字もない鉄面皮で現れた大奥様。相変わらず凄い威圧感ですこと。

「ようこそ、母上」

 侯爵がそう頭を下げた為、私も一緒に頭を深々と下げた。

 そんな我々の様子も気にしたそぶりも見せない大奥様。

 ふわりと口の端に笑みを浮かべる。

「今日はゲストをお連れしたのよ」

 だから、お前ももはやゲストなんだって──ゲスト? え? ゲスト??

 何の用事で来たのかも分からないのに、その上ゲストだって?

 ……親子だなぁ、侯爵コイツと。何で何も言わないんだろう。こちとらエスパーじゃねぇっつーのに。

「さあ、こちらへ」

 先に玄関へ入ってきていた大奥様が、扉の向うにいるのであろう人物に声をかける。

 その人物が、コツコツというゆっくりとした足音を立てて、玄関の中へと入ってきた。


「やあ、久しぶりだね、セレーネ」


 入ってきた人物の声に、私の身体がビシリと凍った。

 うわ……大奥様、よりにもよって最悪の人物を連れてきた!!


 国立軍の簡易正装の軍服を着こみ、腰には年季の入った無骨なサーベルを下げている。日に透かすと真っ赤に燃える褐色の髪に、無駄に白い歯列を輝かせた男──

「レヴァン……いつこっちに戻ってきたのですか……」

 私はソイツの名前を、苦々しく呼びつつ、なんとか体裁を保とうと必死に言葉を口にした。たぶん、喉が締まってしまって声が上手く出てなかったと思う。

「セレーネ、知り合いか?」

 横に立つ侯爵が、不思議そうな顔をして私を見た。

 そう、コイツは──大奥様は、侯爵に会わせる為にレヴァンコイツを連れて来たんじゃない。

 


「あら、ツァニスは存じ上げないのね? から聞いているかと思ったわ」

 大奥様が、渾身の笑みを顔に浮かべていた。今、大奥様、私の事『この人』つった。嫁とすら呼ばなくなった。存在の否定が軽やかですな。ムカつく。

 しかも、自分では歯が立たないからって、よりにもよってコイツを連れてくるとかっ。なんてヤツ!!

「この方は──」

「カラマンリス夫人、大丈夫です。自分から名乗りますよ」

 大奥様が手で示して紹介しようとした時、紹介されようとした本人がそれを遮った。

 無駄に眩しい白い歯をキラリとウザくのぞかせたコイツが、つかつかと玄関を進んで侯爵の前へと出る。

 そして、胸に手を置き頭を下げた。


「私の名はレヴァン・ソフォクリス・メルクーリ。爵位は伯爵。

 セレーネの、夫です」

「元・な!!」

 言うと思った! 速攻で否定してやった!!

 しかし、私の声なんぞまったく聞こえていないかのように、レヴァンは真っすぐに侯爵の顔を見据えている。

 そして、手を差し出した。握手求めるのかよ、こんな状況で。頭オカシイんか。


 侯爵は、その手を握らなかった。

 さっきまで真っ青だった筈の顔に、鉄仮面を貼り付けたかのような無表情だった。

「初めまして。私はここの主、ツァニス・テオ・カラマンリス。

 ここではなんですから、どうぞこちらへ」

 何の感情もない顔で顎をしゃくり、家人たちに二人を談話室へ連れて行くように指示する。家人たちに導かれた二人が歩いて行った後をついていこうとした瞬間──


 腰を、ガッと、掴まれた。侯爵に。

 驚いて彼の顔を見上げると

「後で、詳しく」

 低く怒気のようなものを含んだ声で、耳元にそう呟かれた。


 ああ……マジ面倒くさい事になってきた。

 私は、この先待ち受けるであろう、とんでもなく面倒くさそうな展開に、さっそく頭が痛くなって思わず額を手で覆った。


 ***


「先に申しておきますと。レヴァンは離婚した前の夫です」

 談話室に入ってきて、家人たちからお茶が振る舞われた後。

 誰かが口を開いて好き勝手喋り始める前に、先制攻撃したった。


 どうせここにいる人間たちは、絶対自分に都合の良い事しか口にしない。

 多少の真実を含めた真っ赤な嘘を言う事によって、さも全て本当だと相手に思わせたりする。また、予想や仮説を断定口調で喋ったりして、勘違いさせたりも。

 貴族なんてみんなそうだ。

 あ、しまった。そのくくりだと自分も入っちゃう。

 ……否定はしない。必要があれば、私もそうする。


 ゆったりソファに座った大奥様は、私の言葉など聞こえていないように、素知らぬ顔してお茶を楽しんでいる。

 同じく、余裕の笑みを絶えず顔に浮かべたレヴァンが、何も言わずに私ではなく侯爵を見ていた。

 対して侯爵は、ソファに浅く座って少し前のめりになっている。


 ……あれ、私、声出したよね?

 聞こえてるよね?

 私、ここに存在してるよね?

 なんで誰も私を見ていないの?


「少し、手違いがあったようです。今日はそれを伝えに参りました」

 レヴァンは伯爵なので、侯爵より身分は下だ。

 しかし、もともともつガタイの大きさと威圧感で、身体からも余裕を滲みださせていた。

「手違いではありません。確かに離婚しました」

 そんなレヴァンの言葉を否定したが、またもや誰からも声があがらない。

 あれ? 私、透明人間になっちゃった??

「だ、そうですよ、ツァニス。結婚式もちゃんと行わなかったせいで、そのミスに誰も気づけなかったのですよ。貴方の落ち度ね」

 完全に私の発言を無視して、レヴァンのセリフに続けたのは大奥様だった。

 カップを机に置いて、ふふっと小さく笑った。

 まるで、子供が可愛いイタズラをしてしまって、それをとがめるように。怒っていない。むしろ、とっても楽しそう。

「いや、正式な結婚式でしたよ。書面も提出して受理されております」

 頑張ってもっかい否定してみた。

 しかし、やっぱり誰からもリアクションが起きなかった。

 なんでじゃ。


 今まで口を真一文字に引き結んでいた侯爵が、少し小さく息を吐き、そして口を開いた。

「母上。ちゃんと確認はとれております。セレーネは離婚しており、ちゃんと結婚の届けは受理されました」

「本当に? ちゃんと確かめた?」

「ええ」

 侯爵の言葉になら、返事をする大奥様。

 ……大奥様、今回は徹底的に私をシカトする気だな。戦っても私に膝をつかせられないと気づいたんだ。

 だから、私の足元を崩す気だ。マジむかつく。


「いえ、そもそも、その手続きが間違いだったのですよ」

 大奥様とタッグを組んだレヴァンは、どっから湧いてくるんだか知らない根拠なき自信をそのデカイ身体に宿して、まるで舞台上のように大げさに困った顔をしてみせた。

 この芝居くさいところ、ホント嫌い。

「間違いじゃないでしょうが。離婚を申し出てきたのはそっちだし、ウチの家はただそれを受理しただけよ。それのどこが『手違い』なのさ」

 もう、誰も聞いてくんないから丁寧に喋るのも馬鹿らしくなってきた。

 レヴァンに掴みかからないように、なんとか自分の膝の上のスカートを握りしめて耐える。そして絞り出すようにして否定の言葉を口にしたが

「我が家の者が勝手に離婚申請をしてしまったのです。私にはそんな気は全くなかったのですが……」

 一応、私の言葉が聞こえているようで、私が言った事を間接的に受けた言葉を吐くレヴァン。


 その言葉を聞いた瞬間、私の頭にカッと血が上った。

「はぁッ!? お前が! 直接! 私に!! 離婚申請書突き出して来ただろうがッ!!!」

 私の身に起こった事実とは全く違う事を、さも平然と喋るこの男レヴァンにムカついて、思わず声を荒らげてしまった。

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