閑話

閑話 あるメイドの手記

 私はカラマンリス邸でメイドのお仕事をさせていただいている者です。

 もう五年になりますでしょうか。

 前の奥様の事も勿論存じ上げております。

 あれは不幸な出来事でした。


 あれから数年が経ち、旦那様が再婚なさると聞いて驚きました。

 前の奥様と旦那様は、それはそれは仲睦まじく、二人だけの世界が展開されていたものですから。前の奥様が亡くなった時の旦那様の消沈しょうちんぶりは、見ているこちらの胸も痛くなる程でした。

 だから、再婚などはなさらないだろうと思っていましたが、そうもいかなかったようです。やはり、後継ぎが必要だったからでしょうか。


 新しい奥様は、以前の奥様とは違い、良く言えばおおらか、悪く言えば雑なお方でした。いえ、好きですよ。新しい奥様。

 新しい奥様は、屋敷に来てすぐ私の顔を覚えてくださりましたから。

 普通、私の名前を知らない方は「そこのメイドさん」と声をかけてきますが、新しい奥様は違いました。

「そこのお嬢さん」

 ……最初、誰か不届き者が屋敷の中に侵入して、ナンパでもしてきたのかと思いました。


 奥様は面倒くさがり──いえ、ええと、せっかち──違うな、ええと、適当な言葉が浮かびませんね……なんでも自分でこなしてしまう方ですね。

 着替えも独りでなさってしまいますし、シーツや洗濯物はいつも部屋の入口のところにまとめて置いてありますし。呼びに行く前に来てしまうし──これは褒めていませんよね。うーん。兎に角、前の奥様とは何から何まで違いました。


 また、奥様は我々使用人の事を「使用人」や「メイド」とは言いません。「家人かじん」と言います。私は最初、この言葉の意味を知らなかったのですが、他の方に教えていただきました。

 これは、広義での「家族」という意味なのだそうですね。

 少し──いえ、凄く、嬉しかったです。新しい奥様は、旦那様やお嬢様だけでなく、我々まで「家族」の範疇に入れてくださっているのだと知ったので。

 とても懐の深い人だと感銘を受けました。


 ……まあ、人の名前を覚えるのは苦手なようですが。

 何度か私の名前をお伝えしたのですが、どうやらなかなか覚えられないようで。結局「お嬢さん」と声をかけられますから。「夕焼けのような美しい髪のお嬢さん」「ハタキがけがいつも完璧なお嬢さん」「足音が軽やかなお嬢さん」と。

 ……いえ、不満はありませんよ? 仕方がありません。使用人は沢山いますから。

 ただ時々、どこのイケメンにナンパされたのかと、ドキドキしてしまう事があるだけですから。


 ──イケメンで思い出しました。

 前にふと、奥様の部屋からイケメンの殿方が出てきたのをお見掛けした事があるのです。あれはどなただったのでしょうか?

 その日は来客はなかったと思います。来客があるのなら、不思議に思いませんから。

 顔は奥様に似ていらっしゃった気がするので、もしかしたら奥様のご兄弟だったのかもしれませんね。奥様は確か、ご兄弟が沢山いらっしゃるとお伺いした事があるので。

 きっと、旦那様は奥様のご兄弟といえど男性が奥様に会いに来るのを面白く思わなくて、こっそり会いにいらっしゃったのかもしれませんね。

 なので、誰にも言っておりません。多少の秘密はあっても良いと思いますし。

 ……少し、惜しい気もします。あのイケメンの殿方と、少しお喋りしてみたい気も──おっと。それは余計な事でした。


 そういえば、最近突然、旦那様の様子がおかしい気がするのです。

 再婚なさった当初は、奥様との距離があったように感じられたのですが、ある日を境に突然、奥様にゼロ距離でベタベタ──あ、いえ、ええと、ご執心なさっているご様子で。

 特に、お嬢様のサプライズのお誕生日があった日辺りだと思います。

 口を開けば奥様は何処にいる、奥様はどうしている、奥様は奥様はと、よく名前をお呼びになるようになりました。

 ちょっとウザ──いえ、なんでもありません。


 お嬢様は、奥様がいらっしゃってから見違えるように変わりましたね。

 前までは、ただそこに『る』だけの美しいお人形のようでしたが、最近はよくお喋りしますしよく笑います。笑顔があんなにお可愛らしいなんて知りませんでした。これは奥様ではなくとも可愛がってしまいますね。

 ただ一つ心配なのは……どうやら奥様を見習って、馬に乗ったり剣を習いたがっていると、家庭教師が子守頭にボヤいているのを聞いてしまいました。

 確か、奥様はなんだか凄いあだ名をお持ちだとか。いえ、私は存じ上げませんけれども。馬がどうとかなんて、聞いた事ありませんとも。

 女の子といえど、多少活発なのは大変よろしいと思いますが、剣は──どうなのでしょうね? 私ごときでは判断致しかねます。


 ああ、家庭教師、といえば。

 正直、私は彼の事があまり好きではありませんでした。少し高圧的で、私たちメイドを見下しているように感じておりましたので。

 しかし、奥様がいらっしゃってからというもの、その態度が少し軟化したように感じます。

 何か、あったのでしょうか?

 それまでは、余裕そうな態度を崩さずいつも薄っすら浮かべた笑顔を崩さない方でしたが、いつの間にか色々表情に出るようになった気がします。

 まあ、気のせいかもしれませんけれども。


 態度が変ったといえば、子守頭も変わったように思います。

 確か、彼女もどこかのご令嬢だとお伺いしました。そのせいでしょうか。お嬢様の事に関してだけでしたが、他のメイドへの当たりが強かったように思います。

 かたくなだった、という感じでしょうか。誰にも手出しさせたくない、誰も分かっていない癖に、という事が伝わってくる態度でした。

 しかし、奥様が出しゃば──違った、お嬢様に色々してあげるようになって以来、彼女の肩の力が抜けたように感じます。

 態度のトゲトゲしさはあまり変わりませんが、なんて言うか……余裕が出てきた、そんな感じです。不思議ですね、彼女の中で何が変ったのでしょうか?


 変ったといえば。

 このお屋敷には、旦那様の関係者以外来る事はなかったのですが。

 公爵子息様と、宰相子息様がいらっしゃるようになりましたね。

 あれには正直驚きました。しかも、お嬢様ではなく奥様に会いに来ているとか。

 いつの間に知り合ったのでしょうか?

 しかも、お喋りしに来るとかではなく、庭でゴロゴロ転がったり身体を動かしたりしておいでです。家庭教師を同伴なさって来る事もあります。

 その時には談話室にお通しするのですが、時々奥様の声が外に漏れて来る事があります。奥様の声は通りますから。ただ、何を言ってるのかまでは聞き取れませんが。

「それじゃダメです」とかなんとか。

 私にはよく分かりません。


 奥様は、悪く言えば嵐のような人、良く言えば太陽のような方です。

 その場にいる人間に影響を与えずにはいられないようです。

 勿論、私もです。

 お屋敷勤めが楽しくなったのも事実ですから。

 次は、奥様が何をやらかす──違った、しでかす──これも違いますね、ええと、やっぱり悪い表現以外が出てきませんね。良い意味で言いたいのですが。


 とにかく。

 旦那様は、良い方を奥様に迎えられました。

 カラマンリス邸に仕える人間として、心の底からそう嬉しく思います。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る