第36話 改めて修行を開始した。

「エリック様。頑張るんですよ。全ては貴方にかかってます」

「ハイだんちょう!!」

「……エリック、『何を』と聞いてから返事した方がいいよ」


 カラマンリス邸我が家の中庭にて、いつも通り『ドラゴン騎士団の修行』をしにきたエリックとイリアスは、一人はキョトンと能天気な笑顔、一人はソレにニコニコとツッコミを入れていた。


 エリックと会う時に屋敷から出るな、と侯爵から釘を刺さされていたが、庭ならOKだろと今日は外でやる事に。

 動きやすい格好をしたエリックと、何故か今日は同じく動きやすい格好をしたイリアスが、私と対面になってストレッチをしていた。勿論私も。


 ストレッチしながら、私はエリックを鼓舞こぶしていた。

 家庭教師サミュエルに恋してるアティ。確かに、彼女の一番近くにいる他人の男は彼だ。刷り込み的に恋をするのは当然かもしれない。

 つまり!!

 エリックがもっとアティに近づけば、アティはエリックを見直して恋をするかもしれない! そう思って彼を鼓舞こぶしたのだ。

 まぁ、別に最悪恋はしなくてもいい。

 良き相棒、良きバディ、良き相方になってくれれば。むしろ、恋愛感情よりもそっちの方が大切だ。

 夫婦とは二人で協力して生活していく事だからな。いつか恋愛感情は冷める。その後にガッツリと信頼感が残っていなければならない!!


「なんで私まで……」

「さみゅえる、うごき、へん」

 ワキから別の不満の声があがる。

 珍しくスーツ以外を着た家庭教師サミュエルと、同じく珍しくワンピース以外を着たアティが、私たちと同じようにストレッチをしていた。


 そう!

 今日はみんなで体を動かす日!

 一緒に体を動かすと連帯感が生まれる!

 そしてその後同じ窯の飯を食えばその連帯感が一層強固になる!

 アティとエリックの絆強化月間の始まりである!!

 家庭教師サミュエルはそのついで。

 偏執少年イリアスには何も言わなかったけど、自主的に参加してる。


「ストレッチは怪我をせずに済むように、やっておくに越した事はありせんからね。肩凝りにも効きますよ」

「え、本当ですか?」

 私の言葉に、サミュエルがガッツリ食い付いた。

「おじさんは健康の話になると途端に饒舌じょうぜつになるよね」

「おじっ──」

 偏執少年イリアスの笑顔の一撃に、家庭教師サミュエルが言葉を詰まらせる。

 ああ、サミュエルは『おじさん』とか『オッサン』と言われ慣れてないんだな。

 私なんぞ知らん人、主におっさん達から『おばさん』やら『ババア』やら常に言われるからな。お前が言うな、だけどイチイチ言い返してられない程多いし、もはや気にしてたら生きていけない。


 しかし、偏執少年イリアスはいやに家庭教師サミュエルにつっかかるなぁ。

 もしかして偏執対象を私に──いや、そこは、気づかないフリをしよう。そんな事はない。そんな事はない。

「イリアスも、今のうちに基礎体力の底上げをしておくと、心肺機能が強くなって生活しやすくなりますからね。でも、無理は禁物ですよ」

「はい、セレーネ」

 満面の笑みで返事をする偏執少年イリアス

 そういえば、私は前は『イリアス様』と呼んでいたのに、呼び捨てにして欲しいと言われたからそうしていたら、いつの間にか向こうも呼び捨てにするようになった。

 ……まぁ、いいけど、さ。……大丈夫、だよ、ね?


 乙女ゲーム中の偏愛野郎イリアスは病弱設定で、乙女ゲームの主人公にナイチンゲール症候群を引き起こさせるタイプだったからな。

 そんな不健全な関係なんて誰とも築かせないぞ。アティのそばにそんな危険人物置いておきたくないし、間違ってアティがイリアスに恋をする可能性もゼロじゃない。

 アティのそばにいる人間には健全でいてもらわなくてはな!


 その為には、イチに運動ニに運動!!


「さて、ストレッチはこんなものでいいですかね。

 さて今日は。ナイフの扱い方を勉強していきます」

「ないふ!!!」

 私の言葉に、エリックが諸手モロてを挙げて喜んだ。飛んだなァ。跳躍力凄いなエリック。

「セレーネ様、それはいささかやり過ぎなのでは──」

 家庭教師サミュエルが早速苦言をていしてきた。ま、想定内。

「戦闘用というより、生活する上で使う事の延長です。貴族といえど、ナイフの一本や二本、扱えるようにならないといけませんからね」

「……そうか?」

「いけませんからね!」

 途中のサミュエルのツッコミはスルーした。

「ないふ?」

 アティがちょこんと首を横にかしげた可愛い天使国の宝。

 ああ、そうか。アティは食事する時のナイフしか使った事がないから、なんでストレッチ後に食器? って思ったんだろうな。いいよ。その無垢さは気持ち上は失って欲しくない!!

「そうだね。ナイフ一本でなんでも出来るようになれると、後々とても役立つよね」

 物凄く輝く笑顔のイリアス。……言葉そのものは普通に真っ当なのに、その裏の黒さが見える気がしてならない。すっごくあどけない眩しい笑顔なのに、なんで黒いの。


 さて。

 本当であれば、ここで本物のナイフを使って、まずは危険性を知って欲しいところだけれど。流石にそんな事したら、エリックの実家・アンドレウ邸が黙っちゃいないだろうから、それはできない。

 ──妹にナイフの使い方を教えた時は、まずはナイフで自分の指先を軽く傷つけさせて、その危険性と痛みを教えたけど。勿論、消毒とか全ての前準備はした上で。さすがにそれは、ねぇ。

 あ、後から母にバレて思いっきりビンタ食らったね。当たり所が悪くって、鼓膜破られたよ。母はビンタが下手だったなぁ。


 私は、ナイフの形に削られた木の枝を各自に渡した。

「……何か部屋にこもってやっていると思ったら。こんな物作ってたんですか」

 イチイチ私のやる事にツッコミを入れずにいれない家庭教師サミュエル。そう、彼の言う通り、これは私のお手製。庭師から剪定せんていして捨てる予定だった木の枝を貰ってきて削りましたよ。ええ。

「ふふ。セレーネからの贈り物」

 嬉しそうにボソリと呟いた偏執少年イリアスの声は聞こえないフリをした。


「木製なので本物のナイフよりは軽いですが、まずはこの形状のものに慣れるところからです。ではまず、こうしてナイフを持った時の扱い方から練習しますよ」

 私は、木製のナイフをクルリとまわして、刃の方を持つ。

「ナイフは、斬ったり刺したりする『刃』の部分と、持ち手である『つか』の部分があります。先ほど私が皆さんに渡した時、刃の部分を持ってつかの方を差し出したのは分かりましたか?」

 そう尋ねると、エリックが木製のナイフをクルクル回して確認してる。いいよ。そうやってしっかり構造を理解しような。

 アティも同じように、木製のナイフを凝視している。そんなに見つめたら穴が開いちゃうぞっ!

「人にナイフを渡す時は、必ずこうしてつかの方を差し出します。じゃないと危ないですからね。

 また、刃の方を持つ時は、握るではなく刃の側面──横を摘まむように持ちます。

 握ったら、相手がつかを持って引いた瞬間、指とバイバイですよ。

 渡された方も、渡して来た人が手を離すまで引いてはいけません」

 私はサミュエルをちょいちょいと招いて、私が持っていた木製ナイフを説明した通りに渡す。渡されたサミュエルも丁寧に受け取り、今度は持ち替えて私がやったように差し出してきた。私も同じように受け取る。

「では、アティはサミュエルと。エリック様はイリアスとやってみましょうか」

 そう言うのが早いか行動が早いか。早速エリックがナイフをイリアスに突き出した。

 ……だから、刃を握るなっつーの。

「エリック。刃の方を持つ時は横を摘まむんだよ」

 イリアスが、エリックの手を取って指をほどき、丁寧に教えていた。

 アティの方も、サミュエルがまずナイフの持ち方を丁寧に見せつつ、手をとって解説していた。


 うん。いい感じ。

 暫くして慣れたら、今度はエリックとアティにコンビを組ませてやってみた。

 イチイチ動きが大きく粗いエリックには、都度都度丁寧に扱うように指導し、おっかなびっくりで握る力が弱いアティには、ちゃんと持たないと落として危ない事をしっかり伝え、怖がらずにしっかり力を込めて持つ事を教えた。

 そのうち、二人は楽しそうにやり取りを始めた。

 いいよいいよ! 絆がね! 絆がこうして出来上がっていくんだね!

 まずはここからだよね! うん! 良い感じだよ!!


 ワキャワキャわいわいと楽しそうに学ぶ二人の姿を見て、私は満足げに微笑んでその様子を眺めた。

 もう、こんなとうとい風景、永遠に見てられるわ。

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