第34話 反抗した。

 私は、大奥様に向かって背筋をできるだけ伸ばした。


「子供は授かり物です。本人たちの努力だけではどうする事も出来ません。ましてや性別など。

 貴女は確かに最初に男の子を産んだでしょう。

 しかし、それはただの偶然です。

 子供が沢山生まれても、全て女の子である可能性も充分有り得ます。子供の性別は1/2ですが絶対確率。毎回1/2で女の子が生まれる可能性があります」

 子供の性別の生み分けなど、不可能なのだ。

 遺伝子操作しない限り。


 私が物怖じせず、ハッキリと非難の言葉を口にした事が、大奥様のカンさわったのだろう。

 彼女のコメカミに、ピキリと青筋が浮いた。

「どの口がおっしゃるのかしら? 嫁の分際で」

 大奥様は私を灼熱の視線でめ上げる。

 うわ怖っ。

 でも負けない。

 アティの存在を無意識に否定し、旧態きゅうたい依然いぜんの狭苦しく個を殺す生き方を強制するような人間など、アティのそばには置きたくない。

 例え時代が悪くとも。

 私は、アティや、そして妹たちを、全肯定する。


「嫁の? 私も一人の人間であり、貴女とは対等だと思っています。

 そして、アティも同じく対等な一人の人間です。誰かの妻、誰かの娘は、それ以前に個人であり、家や家長の所有物ではありません。

 それに、例えまだ幼い子供だとしても、聞いた言葉は本人の中に無意識に残り、いずれ牙を剥く事もあります」

 今は理解出来なくても、大人になって言葉を思い出した時、祖母の真意を知って後から傷つく事もおおいにありうる。

 言っても分からないだろう、は大人のエゴだ。


「貴女と私が対等? 何をおっしゃっているのかしら」

 大奥様がスクリと立ち上がった。

 手がハンカチか何かをギリギリ引き絞ってる。

「貴族の子女は男の子を産んで初めて一人前になるのです。そこを勘違いしてらっしゃるようね?

 男の子が生まれなければ、この家は断絶してしまう。貴女はその責務を真っ当する必要があるのですよ。私はしました。

 それに、私はツァニスの母親です。嫁が夫の母をうやまうのは当たり前でしょう?」

 物凄い圧力と憤怒を含めた一撃必殺の様な言葉を大奥様が放ってきた。

 部屋に控えている家人たちからヒィィという小さな悲鳴があがる。


 しかし、私は平然とした顔で受け止めた。

「いえ。男の子を産もうと女の子を産もうと、誰も産まなくても、女の価値は──いえ、人間の価値は変わりません。

 それに、貴族とは血ではありません。立場であり役割です。

 立場や役割に必要なのは血ではなく、その役割を全うできる能力です。

 そこに、男も女も、自分の子であるか否かなど関係ありません。

 確かに今は男でないと家督は継げませんが、ぶっちゃけその法律の方がオカシイ。

 アティに才覚があるのなら、アティが家督を継げばいい」


 私がハッキリそう伝えると、大奥様は目をまん丸にしていた。

『そんな考えは考えた事もなかった』という顔だ。

 私は隣に座っていたアティを抱き上げる。

 そして畳み掛けた。

「それと。妻が夫の母をうやまうのは、夫の母親が妻より立場が上だからでも、年上だからでもありません。

 夫が大切にしているから、夫の為に大切にしようと心掛けるだけです。

 大奥様、貴女と私は今日初めてお会いしたのです。よく知りもしません。知らない方をうやまう事は出来ません。

 ましてや、私やアティをさげすむような人間は特に」

 私は、アティを抱く手に力をこめた。

 本当はこんな強い言葉をアティが居る前では使いたくなかった。

 でも、アティが居る前でハッキリとアティをさげすまれた事を否定しなきゃ。

 否定をしなければ、一度でも肯定した事になる。

 後で本人に言いつくろっても意味がない。


 しかも放っておいたら、大奥様コイツは今言った事を、ソックリそのままアティに言う可能性がある。

 そんな事させない。


 大奥様は、口を真一文字に引き結んで、腹に怒りをたぎらせた表情をしている。

 私が反論すると思わなかったからか、うやまわないからか、ハッキリ拒絶しからか。

 それとも、それ全部のせいか。


「ああ、それに」

 私は最後のダメ押しをする。

「子供の性別はですよ? ご存知ですか? 私に言われても私の方では如何いかんともできません。夫に進言なさってください」

 まぁ、遺伝子の話はこの世界ではまだメジャーではない。知らなくて当然かもしれないけれど。

 言わずにはいれなかった。

 事を、思い出してしまったから。


 私はアティを抱いたまま、『服が汚れたので着替えてきます』と、その場を辞した。

 これ以上ここにいたら、掴み合いの喧嘩に発展しかねない。私が我慢出来る気がしない。


 アティは、私が強い口調になったのが怖かったのだろう。無言で私の首にギュウっと掴まっていた。まるで、不機嫌を直して欲しいと言わんばかりに。

 なので、部屋の外に控えていた子守頭マギーに託した。


 怒りが抑えきれない私は、なるべく自分を落ち着かせようと深呼吸しながら、部屋へと戻って行った。


 ***


 私がやらかしたので、家人たちが大慌てだった。

 大奥様は、気分が悪くなるから私とは顔を合わせたくないと、ハッキリそう言い放ってきたらしい。

 部屋で頭を冷やした私は、臨戦態勢いつでも万歳OK、第二ラウンド行きますかのテイだったが、それは叶わなかった。


 私の代わりに、執事頭と家庭教師サミュエル、そして子守頭マギーがアティと共に大奥様と一緒に行動したそうだ。

 アティは、普段何をしているのかとか、新しい母親がどうだとかこうだとか、この間のサプライズパーティの事など、沢山の事を一生懸命報告したとの事。

 ああ、その様子が目に浮かぶ。

 ほっぺたを真っ赤にさせて興奮して、楽しそうに頑張って報告したんだろうなぁ。

 いいなぁ。見たかったなぁ。

 ……ま、自業自得と言われたらそれまでなんだけどね。


 侯爵が戻って来ても、私は呼ばれなかった。

 結局、その日は大奥様が帰るまで、私は部屋から出る事を禁じられた。家人たちから『お願いだから大人しくしていてくれ』と懇願こんがんされたらしょうがねぇ。

 大奥様はいつもなら泊まって行かれるのに、今日はサッサと帰った珍しいと、家人たちが噂していたのを小耳に挟んだ。


 よっぽど、私と同じ屋根の下にいるのが嫌だったんだろうね。

 ふん。こっちもじゃ。


 その日の夜、食事が終わった後に侯爵に呼ばれた。

 どうせ説教やろ。

 帰ってきた侯爵に大奥様は、如何いかに私が不出来な嫁なのかをこんこんと愚痴ったのだろうな。面倒くさ。


「失礼します」

 侯爵の書斎に入ると、侯爵はワイン片手に部屋の外の暗闇を眺めていた。

 おや、珍しい。今日はもう仕事はいいのかな。

「早速やらかしたらしいな」

 部屋に入ってきた私を一瞥いちべつすると、侯爵は盛大な溜息と共に開口一番そう言った。

 家人からも告げ口されたのかもなぁ。

 ま、後悔はない。反省もしてない。

 あ、いや、アティを怖い目に合わせてしまったのはちょっと反省。もっとほがらかに毒吐けば良かった。


「……セレーネ、お前の事は愛している」

 何その前置き。イラネ。

「しかし、私の母を罵倒ばとうしたのは許すわけにはいかない」

 一体どんな愚痴を言われたんだか。罵倒ばとうなんかしてねーし。

「また、母の立場をかろんじたらしいな。いくら私の妻とはいえ、わきまえねばならない」

 侯爵は少し頭を抑えつつ、そう零した。

 もっと凄い事言われたんだろうな。それを全部そのまま伝書鳩しないのは有り難い。

 が。

「御言葉ですが、ツァニス様」

 一方的に言いたい放題言われるのは好きじゃない。しかも、それが事実と違ければ余計に。

「私は大奥様を罵倒ばとうしておりませんし、かろんじてもおりません。

 私の思想とは違う事を押し付けようとなされたので、それは承服しょうふくできないと申したまでです」

 まぁ、口答えした事自体が『軽んじた事』になるんだろうけど。

 そう言い返すと、侯爵は片手で完全に顔を覆ってしまった。

 私はなんでこんな女達に囲まれてるんだろうかと、自分の立場を嘆いてるんかな?

「……勘弁してくれ。何故お前はこうも事を荒立てる……」

 侯爵はそうグッタリとしたテイでこぼしてワインを一気にあおった。


 まぁ? 確かに? 貴族令嬢・貴族の妻は、貞淑ていしゅくたれ、しとやかにしおらしくあれ、奥ゆかしく朗らかであれ、笑顔で黙ってニコニコしているのがベストであると言われているけれどね?

 私はそうしたくないんだから仕方ない。

 そんな女が良ければ別の女探してくれ。

 私は黙っていられる女じゃない。


「私も好きで申し上げたのではありません。納得出来ない事を押しつけて来られるから拒否しているのです」

 それのどこが悪い?

「その場では飲み込んで、黙っていればいいだろう」

「アティを目の前に『男の子を産め』と言われたら飲み込めません」

「それは別に変な事では──」

「ツァニス様もそんな事を仰るのですか?」

 私のまとう空気が変わった事を感じたのか、侯爵はハッとして言葉を止めた。

「子供に関して、何か、大奥様から言われましたか?」

 私はゆっくりと、そう侯爵に問いかける。

 侯爵は小さくフルフルと首を横に振った。

 やっぱ大奥様は侯爵には言わないか。

 まぁ、そうだろうな。


「以前申しました通り──」

 私はユラリと佇まいを直しつつ口を開く。

 侯爵がビクリと肩を震わせた。

「私は子産み人形じゃねェ。

 そんなに男の子が欲しいのなら、貞淑で大人しくどんな事を言われてもニコニコしていられる従順で言われるがまま男が生まれるまでポコポコ子供を産む女を探せ。

 ただし。

 アティは私が引き取るからな。

 アティを無意識に不用品扱いするような家には置いておけない」


 アティの尊厳が殺されるぐらいなら、アティを連れて山にこもるわ。

 山で世俗せぞく捨てて狩りで生活してく。生活が不便になって食べるに苦労はせども、誰かに人格否定される事はないし。

 アティの為なら山中の熊を狩り獲ってやるわ。


 私は、呆然と立つ侯爵を尻目にして、言いたい事だけ言ってサッサと部屋を後にした。

 ムカつく。

 ホント、ムカつく。

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