第33話 大奥様が来た。

 玄関に居並ぶ家人たちの間には、緊張だか恐怖だか分からないものが走っていた。

 クシャミでもしようもんなら、みんなブチ切れそうな空気だよ。そう思うとしたくなるやん。


 私はアティの手を握って、その中の一番前に陣取っていた。まぁ、好きで前線に立たされてるワケじゃないんだけれども。

 今はカラマンリス侯爵がいないので、その名代みょうだいとして、私とアティが出迎えるのだ。

 嫌だけど仕方ない。


 車のエンジン音が聞こえてきた。

 それにより、家人たちの間の空気がギュッと圧縮されたような息苦しさを感じる。

 家人たちの緊張がこちらにも伝染してきて、私も緊張してきてしまった。


 エンジン音が止まり、静かになる。

 そして、玄関の扉が開いた。


 眩しい光を背負って神々しく登場したのは、背筋をキリリと伸ばし、りんとした空気をまとった女性だった。

 華美に気取っていない、飾りはシンプルなのに超上等だと見て取れるドレス。

 背筋は鉄板でも入ってんのかというほど真っ直ぐで、首まで長く見えスラリとしている。

 しかし、背中に仁王でも背負ってんのかと言う程の圧力をたたえていた。

 思わず、私の膝が震えた。

 やっば。熊みたいな圧力。なにこの存在感。


「突然の訪問悪かったね。あの子が嫁を見せてくれようとしないから、えて事前に約束なしで来たの」

 声は低く、落ち着いていて上品。聞き心地は良いんだけど、その仁王背負った空気、なんとかなりませんかね。

「いえ。ようこそいらっしゃいました。

 私は妻のセレーネです。初めまして。お目にかかれて光栄です」

 私は膝を折って頭を下げる。

 アティもワンピースのスカートをチョコンとつまみ、膝をピョコっと屈伸させて挨拶した。あ、その動き超絶可愛い。もっかい見たい。

 いかん。現実逃避してる場合ちゃう。大奥様に集中だ。

「本日は生憎あいにく、夫は外出しておりまして。連絡がまだついておりませんが、戻るよう伝えますので、それまではごゆるりとおくつろぎ下さい」

 家人が侯爵に連絡をする手筈てはずになってると聞いた。

 この世界には携帯電話やスマホはないし、すべての場所に電話があるワケではないので、連絡はしてるがまだ侯爵に話が届いていないらしい。

 侯爵が戻るまでは、私がこの仁王様と対峙しなければ……


「貴女が、嫁ね」

 仁王様が、ポツリとこぼす。

 しかし、その瞬間物凄い攻撃的な空気を正面からぶつけられた気がした。

 え、何?! たった一言口にしただけでプレス機にかけられてるようなこの圧力何?!

 仁王なの?! 本当に仁王なの?!

 私の身体は、その場からすぐ逃げ出したいと反応する。

 しかし、そんなワケいくかい。見えないように歯を食いしばってから、ニッコリと笑顔を仁王──違った、大奥様に向けた。

「それではこちらへ。珍しい茶葉が手に入ったそうなので、是非ご賞味ください」

 家人から、大奥様がお茶好きとの情報と提供できる茶葉についてを先に聞いていたので、ソレをネタに場を繋ぐぞ!!


 私は笑う膝をなんとか隠して、大奥様を談話室へと導いた。


 ***


 談話室にて、大奥座と向かい合ってソファに座り、珍しいというお茶を頂いた。

 味しねェ。


「おばぁさま、おひさしぶりです」

 私の横に座ったアティが、手をモジモジさせながら大奥様にご挨拶した。

 もう完璧。さすがアティ。四歳にしてこのクオリティ。文句なし。右に出るものはいない。並ぶものもいない。最高っ!

 その瞬間、大奥様の表情が和らいだ。

「アティ、大きくなったわね。ますますアウラに似てきたわ」

 アウラとは、アティの亡くなった実の母の名前だ。乙女ゲーム中には出てこなかったから知らなかったけど、そこはちゃんと調べた。

「おばぁさまも、あいかわらずおきれいです」

 アティが、大奥様の言葉を受けてそう返した。

 凄くね?! この子天才じゃね?! 家庭教師サミュエルが事前に必死こいて吹き込んでたけど、ちゃんと言えたよ! 四歳にしてこのクオリテ(以下略

「まぁ、お上手になったわねアティ」

 まさかアティからそう返されるとは思わなかったのだろう。一瞬目を丸くした大奥様は、コロコロと上品にそう微笑んだ。


 良かった。この調子でほがらかに事を進めて、侯爵が帰ってくるのを待とう──そう思っていたのも束の間。

 大奥様の目がスゥッ細められ、鋭く私を見抜いた。

 痛っ。なんか視線が物理的に痛いよ。

「ところで。何故あの子は貴女を紹介してくれなかったのかしら?」

 あの子、とは侯爵の事だ。

 知らんよ。アイツの考えてる事なんて。ついこの間までは屋敷に閉じ込められて存在感消されてたんだから。

「私がこの屋敷に馴染んでいなかったせいでしょう。申し訳ありませんでした」

 私のせいではないと絶対の確信があるけれど、一応私から謝る。1mgも謝罪の気持ちはこもってないがな。

 なんで侯爵のやらかした事で私が謝らにゃならんねん。侯爵アイツ絶対しばく。


「そう? 私にはそうは見えないけれど」

 大奥様からの絶対零度の攻撃!

「つい最近、やっと馴染めたような気がします。夫にはまだそうは見えないのかもしれませんが」

 私は攻撃をかわした! が、微妙にダメージ!!

「そう? 結構好き勝手やっていると聞いたわ」

 大奥様の痛恨の一撃!

 ぐあっ! この屋敷の誰かが定期的に報告してたな?! クソッ! 今のは痛い!!

「……夫は、私が早く屋敷に馴染めるようにと、心配こころくばりしてくださったから、そう見えたのかもしれませんね」

 苦肉の反撃! しかし大奥様には届かない! フン、と鼻であしらわれた!

 ちっきしょう!

 確かに何もさせてもらえないから、逆に好き勝手やってた! でもそんなの侯爵アイツがそもそも何も私に説明しなかったからやん! なんで侯爵アイツの尻拭いを私がやらにゃならんねん! しかもこの人侯爵アイツの母親やんけ! ムカつくわ!!


 私が心を折らない事(※実際には若干じゃっかん既に折れかけ)にごうを煮やしたのか、大奥様はフイと顔を逸らして遠くを見た。

 はぁ。連撃終わったか。良かった。

 私がホッとしてお茶に口をつけた瞬間だった。

「そういえば。いつ男の子を産むのかしら?」

 ブハァ!!

 大奥様の一言に、思いっきりムセてしまった。

 突然何言い出すんだこの人は?!

 吹き出した私を汚い物を見るような目で大奥様は私を見下し、改めて口を開く。

「……もう結婚してどれぐらい経つかしら? そろそろでもおかしくないんじゃない?」

「いや、そう言われましても大奥様……」

 寄ってきた家人が慌てて私と汚れた床などを拭きつつ、私はなんとか言い訳を考える。

 流石に『まだヤッてないから』とは言えない。


 っていうかさ。

 そもそも論、例え侯爵の母親だとしても、そんな事に口出しされたくない。

 百歩譲って口出ししてくるとしても、私に言うなや。侯爵自分の息子に言えや。

 しかも、言われてなんとかなる事とならない事があんねん。まぁ、その為の事すらしてないんだけど、私から相談したならいざ知らず、私にとっての赤の他人から、そんな下世話に突っ込まれたくない。


 しかし、侯爵と結婚したとは、そういう事だという事も勿論理解はしてる。

 私は頭をフル回転させた。

「あの……流石に、アティがいる場でその様な話は……」

 私は逃げ出した!

「何故です?」

 しかし回り込まれてしまった!! 大奥様の攻撃!!!

「貴族の淑女たる物、当たり前の話をしているだけです。アティもいずれはその役割を担う事になります。今聞いていても構わないでしょう。いえ、むしろ今から聞かせるべきです」

 そんなワケあるかい。

 私はアティを、男の子を産む道具にさせるつもりは、チリほどもねぇ。

 悪役令嬢として処刑される運命から逃れるだけじゃなく、その後もまだアティの人生には難攻不落の壁だらけって事!?

 なんて茨の道なんだよこの子アティの人生は!

 絶対、そんなヤバイ道なんか歩かせたくない。


 先程から無意識の暴言が止まらない大奥様。

「男の子じゃなければならないのは分かっているでしょう? だから──」

「いえ。そんな事はありません」

 私はガッツリ話を遮った。

 これ以上アティに聞かせたくない。

「その発言はアティを傷つける可能性があります。

 男の子を望む、という事は、女の子であるアティを望んでいない、という風に聞こえる事もあるのです」

 実の祖母が、自分が居るのに『男の子は? 男の子は?』と両親に催促するのを目の当たりにする事について、この大奥様ヒトは無頓着すぎる。

 恐らく、自分もそうされてきたから麻痺してしまったのだろう。


『お前が男だったらな』

 そう言われた時の私の気持ちを、言った大人は気にも留めなかっただろう。


『また女か』

 生まれたばかりの妹を目の当たりにして、周りの大人がそうガッカリする様を見せつけられた他の妹たちの顔は、今でも忘れられない。


 女で悪いか! あぁ?!


「お言葉ですが」

 私はスクリと立ち上がって、ソファに座る大奥様を見下ろした。

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