本編

第32話 春の嵐の予感がした。

「セレーネ」

「……」

「セレーネ」

「……」

「セレーネ」

「何でしょうか侯爵様」

「ツァニスと」

「……ツァニス様、何でしょうか」

「何故そんなに離れるのだ」

「ツァニス様がお寄りになるからです」

「上半身がほぼ90度曲がってるぞ」

「ツァニス様がお顔をお寄せになるからです」

「嫌か」

「ええ、良い気はしませんね」

「そうか……」

 そうションボリとした声で、夫──ツァニス侯爵は私の腰をガッチリ掴んでいた手を離した。ここぞとばかりに距離をとる私。

 コイツ、距離感がオカシイ。

 今まで散々拒否してきたクセに、突然ゼロ距離とか何なの? 乙女ゲームのキャラだからデジタル様式なの? ゼロ拒否イチ密着しかないの? パーソナルスペースの概念どこいった。


 朝の食事が終わった後、侯爵は今日は外出だと言うので、玄関でアティと共に見送りに出ただけなのに。

 なんで朝っぱらから軟体曲芸もビックリのパフォーマンス披露せにゃならんのだ。

 しかも周りにはズラリと、同じく見送りに出た家人たちが立ち並んでいるっつーの。


「旦那様、そろそろお時間が──」

「何故嫌なのだ?」

 出発を急かす執事の声を遮って、ツァニス侯爵が私に不満の声を向ける。

 え、分からんの? 嫌がる理由。

「距離の詰め方がオカシ──少し、私には抵抗感があるのです。私はあまり、人と触れ合うのが得意ではありませんので」

 私はなんとか笑顔で言い訳をする。

 引きってるのは分かってる。スルーして。

「アティとはよくくっついてるではないか」

「アティとは親子のスキンシップです。私はアティの赤子時代を一緒に過ごしていませんから。触れ合う事で言葉にらないコミュニケーションを今とっているのです」

 まあ実際のところ、私が単に匂い嗅いだり撫でぐりまわしたりしたいだけなんだけどね。

 ってか、可愛らしい天使とイイ歳こいたオッサンを一緒にするか。

「そうか……」

 なんでガッカリすんねん。

 アティと同じようにして欲しいとか思ってたんか。それはそれでヤバくねぇか?


 私が心の中でウンザリしていると(ちょっと顔にも出てたかも)、アティが私の服の裾をクイクイ引っ張る。

 そして、自分の薔薇色プニプニほっぺをチョンチョンと突っついた。

 え。

 それって。

 その合図ってさ。

『ほっぺにチューして』って合図やんな。

 寝る時にアティを顔中チュパチュパしてたら、いつのまにかキスして欲しい時にするようになった合図やんな。

 今? 今すんの?

 私は構わないけど。むしろ、是非喜んで。

 と、私がアティの合図を受けて膝を折ろうとした時、アティは首をフルフルと横に振った。

 え。違うの?

 違──えぇ……まさかぁ……

 アティは、菫色ヴァイオレットの瞳の中に夜空の星屑のような沢山の光をキラキラさせて、私と侯爵を見比べる。

 マジか。

 姫、それはあまりの仕打ちでございます……


 嫌々顔を上げて侯爵の顔を見ると、アティに負けない程目をキラキラさせて私を見下ろしていた。

 何だその顔。アティと同じ顔すんな。しかも同じ菫色ヴァイオレットの目キラキラさせやがって。ここぞとばかりに遺伝をひけらかす気かこの野郎。


 はぁ。


 私は盛大な溜息を隠さず、たたずまいを直してツァニス侯爵に向き直る。

 そっと侯爵の顎に手をかけ、クキッと音がする勢いで彼の顔を横に向かせた。このまま折ったろかい。

「いってらっしゃいませ、ツァニス様」

 私は彼のその頬に、軽く唇を押し当てた。


 どさくさに紛れて腰に回してきた手はハタき落としてやった。


 ***


 春になった。

 私が来たのは冬の終わりぐらいだった。もう随分時間が経った気がするけど、そうでもなかったみたい。


 カラマンリス侯爵邸は、アティの母が花が好きだった事もあり、季節の花々がそこここに植えられている。

 特に、東屋あずまやがあるバラ園は春の陽気を受けて次々に花弁を開いて、芳醇ほうじゅんな香りを放っていた。


 母に似たのかアティも花が好きで、家庭教師サミュエルを後ろに従えて、この花は何だこの花は何だと次々に質問攻めにしていた。


 私は東屋あずまやにグッタリ座って、その微笑ましい様子を見ていた。

 横では、子守頭マギーがアティのレースカーディガンを編んでいる。

「景気悪い顔しないでいただけます? 周りの花がその陰気で枯れます」

 私の方は一切見ず、黙々とカーディガンを編む子守頭マギー辛辣しんらつな言葉を放ってきた。

「……アティはさぁ……私に侯爵と仲良くして欲しいんだよねェ……」

「そりゃそうでしょう。アティ様には実の母の記憶はありません。貴方が実質『母親』なんですよ。

 その母親と父親が仲良くして欲しいのは子供の希望でしょう」

 え。そんなもんなの?

 うーん。

「……私は両親を見てもベタベタして欲しいとか思わなかったけどなぁ」

「そりゃ自分が思春期迎えたらそう思うでしょう。自分の四歳頃を思い出してみなさいよ」

「四歳……?」

 私は、自分の記憶をまさぐってみた。

 四歳……四歳? どの記憶が四歳頃なのか分からない。あの頃は、前世の記憶と今とがゴッチャになって混乱しまくっていたし。うーん。それでよく怒られたり医者に診せられたりはしていた気がするけど、年齢が特定できないなぁ……

「思い出せないのは、貴女の両親の仲が悪くなかったからですよ。

 そもそも、仲が悪かったらそんなに沢山姉妹は生まれないでしょう」

 マギーがズバっと言い切ってきた。

 しかし

「いや、それは違うよ」

 私はすぐにマギーの言葉を否定した。

「父と母は必死だったんだよ。後継ぎが欲しくて」

 私は溜息とともに天を仰いだ。

 そう。

 私の双子の兄は体が弱かった。

 そこを心配した両親は、兄がいざ居なくなってしまった時の事を考えて、男の子をもう一人授かろうとしてたのだ。

 でも、生まれてくるのは女の子ばっかり。

 男の子が生まれるまで、両親は頑張ったのだ。

 だから、ウチの実家は貧乏子沢山。いや、貧乏は関係ないか。


「……貴女なら、家など簡単に存続させられたでしょうに」

 そんな呟きを聞いて、私は首を起こす。

 マギーは相変わらず手元を凝視していたが、編む手は止まっていた。


「女に家督は継げないからね。……本人がそう望んでいたとしても、どんなにその才能があって有能だとしても、さ」


 私は思わずあふれた自嘲気味な笑いを誤魔化す為に、また天を仰いだ。

 マギーも、侯爵家の子守ナニー頭をやっているということは、それなりの家のお嬢様だ。

 彼女にも、思うところあるのだろう。

 乙女ゲームでは、その気持ちをこじらせてしまっていたし。


 私たちの間に流れた少し陰気で重たい空気は、春の爽やかな風が吹きさらっていってくれた。


 ***


 東屋あずまやから戻って来て、さぁ今日は何してアティと遊ぼうかと屋敷の中を歩いていた時、屋敷の中が騒然としていて、家人たちがバタバタと走り回っている事に気が付いた。


「何かあったのです?」

 私は家人の一人を呼び止めて事情を聞いてみた。

「それがっ……突然、大奥様がいらっしゃると連絡が入ったそうでっ……」

 その家人は顔を真っ青にして慌てふためいていた。

 大奥様? 大奥様──あ、侯爵の母親か! 先代カラマンリス侯爵の奥様!

 そういえば、会った事ねぇなぁ。


 実は、結婚式もゲスト等は全く呼ばず、屋敷の人間たちだけでひっそりと行われたからね。会った事ないんだよね。しゅうとめに。

 うーん。私、その年代の女性って苦手意識があるんだよねぇ。

 ええ。母と、同世代の女性に、ね。


 実の母。私の天敵。


 貴族令嬢としてどこに出しても恥ずかしくないように育てたかった母と、

 野山を駆けまわり物語に出てくるような騎士になりたかった私は、

 まぁ、合うワケないよね。

 侯爵の母には会った事がないけど、貴族のあの年代の女性って、結構似たり寄ったりの価値観持ってるから苦手なんだよなぁ……。


「ああ、ここにいらっしゃったのか、セレーネ様」

 そう息を荒げて走り寄ってきたのは家庭教師サミュエルだった。

「セレーネ様。ご準備を」

 そう言って、私に深々頭を下げる。

「え? 何の?」

「何のって……」

 私が意味が分からず首をヒネっていると、家庭教師サミュエルは呆れた顔をして盛大な溜息をついた。

「今は旦那様がいらっしゃらない。つまり、現状況ではこの屋敷の主は貴女です。貴女が大奥様をお出迎えするんですよ。アティ様も今、子守頭マギーが準備しています」

 うわ。そうか。今まで『存在しないもの』的に扱われていたから忘れてた。

 侯爵の名代みょうだいは私じゃないか!

「え……大丈夫でしょうか……」

 私は苦手意識を全面に出して嫌な顔をしてしまった。思わずだよ、思わず。

「大丈夫……じゃ、ないでしょうね。お覚悟を」

 え。どういう意味?


 家庭教師サミュエルの言葉に物凄い不安を覚えつつも、家人に背中を押されて部屋へと押し込まれ、大奥様の出迎えの準備を嫌々させられるのだった。

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