第24話 ブチギレた。

 ……。

 …………。

 ………………は?

 今なんて?


「私が知らないとでも思ったか?」

 侯爵の冷たい声。怒気を、はらんでる。

 ゆっくり侯爵の方へと振り返ると、侯爵は能面で私を真っすぐに見ていた。


「言い訳もしないか」

 侯爵がゆっくり机から立ち上がる。

 両手をダラリと左右に下げて、でも拳を握りしめていた。


「あ、すみません。あまりの驚きで声が出なかったので」

 いや、ホントビックリした。

 突然何を言い出すんだコイツは。

 サミュエルと火遊び? つまり、浮気してるだろって事だろ?

 どこを見てそう思──あ。


 あれか。

 サミュエルと私の部屋で相談したりした時の事か!

 そういや最近は色々ネゴが必要で、都度部屋で相談していたもんな。

 そっか、侯爵の耳に入ったかぁ。誰だ! 変な噂流したの!! 全身の骨砕いてやろうか!!


 しかし。

 そうか。

 そっか。

 そうなんだ。


 私は、その事に気づいてしまい、笑いが堪えきれなくなってきてしまった。

 しかし、ここは笑う場面ではない!

 必死に笑いを噛み殺す。

 しかし、我慢すればするほどオカシクなってきてしまう。肩が! 震える!!

「……何がおかしい」

 侯爵の声に乗る怒気が強くなる。

 私は、なんとか笑いを我慢して口を開いた。

「いえ、まさか、侯爵様が嫉妬するなんて思わなかったので……」

 あ、アカン。口を開くと笑いが漏れる!

「嫉妬?! それは違うぞ?!」

 堪えきれずお腹を抱えて笑う私に、焦りの声を上げる侯爵。

 え? 嫉妬じゃないの?

「じゃあ何なのです?」

「お前はっ……自分の立場を分かっているのか?!」

「立場?」

 私が首を傾げると、侯爵の頬にカッと赤みが差す。

「お前は私の妻だろうが!」

 そう叫ばれて、私はキョトンとした。


 ……ああ、そういう事か。

 変に期待して損こいた。

 勿論忘れてはいなかったけど、改めて侯爵コイツの口から言われると違和感が凄い。

「ああ、そうですね。一応、肩書きは」

 取り敢えず頷いておいた。

「肩書きは?!」

「ええ、肩書きは。でも、私は貴方の?」

 そう切り返すと、侯爵は驚いた顔をした。

 そんな事言われると思っていなかったんだろう。

 顔に『?』を浮かべている。

「……いや? お前は、妻、だろう?」

 私が自然と否定したので、若干自信がなくなったかのような声になった。


 なので、私は極上の声で伝えてあげた。

「貴方は、私を、ただのセルギオスの血を残す為の腹だと、そう、言いましたよね?

 それって、『妻』と、言いますか?

『妻』とは、人間ですよね? 人生の伴侶の事だ。

 ですが、貴方は、私を、人間として見たことはありますか? 意志のある人間として」

 一度言葉を切り、スッと呼吸してから続ける。

「屋敷に閉じ込め、情報も与えず。

 貴方はただ、私を『置いている』だけですよね? 違いますか?」


 私は笑顔だ。

 極上のスマイルだ。

 ええ。

 怒ってるからね。


 侯爵は、少し目を泳がせている。

 言葉を探しているようだ。

 何か思い当たったのか、改めて私を見た。

「お前には、何不自由ない暮らしをさせているではないか」

「私がそれを望みましたか?」

 彼の言い分など、速攻で蹴散らした。

「確かに。美味しいご飯と温かくて美しい屋敷。それをご提供いただけているのはとてもありがたい事です。本当にありがとうございます。

 しかし──」

 私は、声を落とした。

「でもそれは、私にとっては、人間の尊厳と引き換えられる事じゃない」

 私はハッキリと言い切る。

「私が自然にいられるのなら、馬小屋で寝泊まりでも構わない。

 浮気を疑うのは結構。でも、アンタが怒ったのは私がアンタの意にそぐわず『勝手に動いた』からだろう? 自分を拒否したで、と気に食わなかったんだろ?

 自分の前では常に発情してて、自分がヤリたい時にヤレて、必要ない時はその存在感を消していて、自分が欲しい子供を都合がいいタイミングで産んでくれる、子供の前では貞淑で母性溢れた、そんな女が欲しかったんだろ? いや、そんなの女ですらねぇな。

 子宮がある女の形をした肉、だな」

 そこを指摘すると、侯爵は息を詰まらせた。

 図星かよ。お前は毎回図星刺されて反省しないんかい。

 それに気づいた時、今まで以上の猛烈な怒りが湧いてきた。

「私には意思も脳味噌もあんだよ。見下すのも大概にしろよ。お前何様だ?」

 最後にそう、吐き捨てた。


 もう、ここに居るのも嫌になってきたので、その場に言葉も出せず立ち尽くす侯爵に背を向けて、さっさと部屋を出て行くことにした。

 と。

 これだけは言っておかなきゃ。

「一応、言い訳しておくと、サミュエルは私では出来ない根回しやネゴをやってくださいました。私には人望も立場も権限もありませんからね。

 どこでアティに聞かれるか分からないので、私の部屋で相談していただけです。

 貴方は私を見るとヤル事しか考えないようですが、サミュエルはアティの誕生日会の為に、尽力して下さいましたよ」

 ちゃんと浮気は否定しないとね。

 これで家庭教師サミュエルの立場が悪くなっても寝覚ねざめが悪い。


 それだけを告げて、私は書斎を後にした。

 ヤツの反応は見なかった。

 物凄く胸糞悪かったから。


 しかし。


 正直、少し、ガッカリした。

 彼に『お前の妻を人間扱いしろ』と言っていたつもりだったけど、伝わってなかったんだな。

 私の言葉は、彼には何にも響いてなかった。


 ──いや、分かっていた。

 男として生まれて男として育ち男の中で生活していたら殆どみんなそうだ。

 生まれながらにそうである為、多少言われたぐらいでは、その価値観を変える事は出来ない。特に、権力のある男は。

 多分、ずっと、変わらない。

 本人が、その価値観に疑問を持たない限り。

 例え、さっきのようにハッキリ言ったとしても、私の真意は伝わらない。

 ナチュラルに、『妻には意思がある』と、そう考えたこともないのだろうし。

 私の方が変なのだと、そう思って終わりだろう。


 せめて、アティに対してはそう思って欲しくないけれど、それは可能なのだろうか?


 私は、疲労の為重い足を引きずって、自分の部屋へと戻って行った。


 ***


「覇気がないですね。何か変な物でも拾い食いしました?」

 アティの部屋に朝のお迎えに行った時の事。


 アティの準備を終わらせた子守ナニー頭のマギーが、ボソリとそう呟いた。

 ああ、昨日もアティと一緒に寝なかったからね。それによってそう感じたか?

 私は、私の胸に飛び込んできたのでそのまま抱き上げたアティの頭皮をクンカクンカしていた。充電充電。もうこの匂いがないと、私生きていけない。生きたくない。生きるに値しない。

「ひろいぐいした?」

 マギーの言葉を真似して、キュルンっとした顔で私を見つめるアティ。

 んもう! 落ち込む時間もくれないんかーい! こんなん元気になるに決まっとろーがっ!!

「拾い食いしてないよー。今は食べる事に困ってないからねー!」

「……困ったらするんですか」

 小声でマギーがツッコミ入れてきた。

 するよ。困ってたらね。何でも食べるよ。痛んでなければ。腐ってたらお腹壊すからちょっとそれは。


「それで。どうだったんですか? 例の件は」

 マギーが明確な言葉は使わずに確認を取ってくる。少し心配げな顔だ。

 ああ、そうか。侯爵に了解を取るって話はしてたからね。私の反応を見てダメだったのではないかと心配してるんだ。

「大丈夫。OK貰ったよ」

 私が昨日の結果を伝えると、彼女は目に見えて安心し、かつ、とても嬉しそうな顔をした。


 そう、実はアティの誕生日会については、彼女にも協力してもらっている。

 料理人たちにケーキを依頼してくれたのは彼女だ。料理人たちにはマギーの方が話を通しやすい。また、アティの好みはマギーの方が知ってるのだ。悔しいけどね。


 また、彼女はアティにサプライズパーティーを開けるという事についても、凄く喜んでいた。

 聞いた話によると、過去の誕生日会は、少し豪華な食事をアティは独りで食べて、侯爵からの送られてきたプレゼントを開封するだけの、ただの儀式のようなモノだったらしい。


 そんなんじゃつまらないよねぇ。

 マギー自身もアティに何かしてあげたかったようだけど、子守ナニーの立場では特別な事をするのが許されなかったらしい。

 今回もマギーはアンドレウ邸に同行する。

 今回は思いっきり祝えるのだ。

 本当に嬉しそうだった。

 ……私は行けないけどねー。

 えー? 別にー? 悔しくなんか……ないんだからねっ!!


「だから、私の代わりによろしくね、マギー」

「言われなくても」

 私がちょっとイジケつつ強がりでそう言うと、速攻で返された。若干、被せ気味だった。ホント、敬意は払われなくなったね。でも、それが心地いい。

「よろしくねー!」

 今度は、私の口調を真似て、アティがマギーにそう笑いかけた。

 マギーの顔がほころぶ。

 ああ、やっぱり、子守頭マギーはアティの事を可愛がってる。

 このまま、変に歪まずにアティを大切にしていって欲しいな。

 まだ、油断はできないけれど。


「ああ、そういえば。頼まれていた服、届きましたよ。部屋に届けさせてありますから」

「ホント?! やった!」

 マギーの言葉に、私は飛び上がらんばかりに喜ぶ。

 とうとう届いたよ! 新しい男装用の服が! やったね!

「それはそうと。どうするんです? あんなモノ」

 三人で食堂へ向かう道すがら、マギーは変な顔をして私を見る。

 うん。男物の服など、どうするんだよって話だよね?

 男装するからだよ! などとは言えない。言えるわけがない。

「ちょっと他で使う用事があったから。ありがとうマギー」

 用途はにごして、取り敢えずお礼だけ述べておいた。ツッコミだけは勘弁。

 何か思うところがあったのかもしれない。微妙な顔をしたマギーだったが、何も言わずにいてくれた。

 ごめんね、マギー。協力してくれたのに本当の事言えなくて。

 言ったら……スッゴイ目で私を見そうだしねー。ウチの母みたいに。


 さて。

 事前準備はできた。

 あとは、当日を待つばかり。


 私は、全てが上手くいくよう、それだけを考えて気持ちを引き締めた。

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