第21話 真相を見抜いた。

 家庭教師・サミュエルが、息の届く距離にいた。

 私の身体を包み込むように腕を広げて。


 その腕が閉じようとした時──


「ここが頸動脈けいどうみゃく。ご存じ?」

 私は、隠していたナイフを彼の首筋にあてて、丁寧に説明した。

 彼は、腕を閉じきらぬまま、固まっている。


「……普通、このタイミングでそれをやるか……?」

 ナイフにおののいたサミュエルが、ゆっくりと手を引いて身体を私から離した。

「当たり前だろうが。どさくさに紛れて何しようとしてんだよ。許可なく私に触んな」

 ナイフを手でもてあそんでサミュエルに見せつけた後、それをまた服の中に隠した。

 きっと、私が彼の予想外の反応をしたからだろう。彼は顔を真っ赤にして声を荒らげる。

「許可!? お前に触るのに、いちいち旦那様の許可を取れとでもいうのか!?」

「は? なんで侯爵様の許可なんだよ。これは私の身体なんだ。私の許可に決まってんだろーがっ」

 ふざけんなコラ。私は侯爵の持ち物じゃねぇ。


 突然人を抱きしめようとする失礼なヤツだけど、ちょっとだけ感謝。

 気がまぎれて震えが止まった。

 だから

「──けど、ありがとう」

 お礼は伝えておいた。

 すると、彼は苦虫を数千匹噛み潰したような顔をする。

 なんだよ失礼な。せっかくお礼を言ったのに。


「ま、まぁ、やっといつもの調子が戻ってきたならそれでいい。アティ様の警護も、その調子でやれよ」

 彼は、なんとかその変な表情を消して、扉から出て行こうとした。

 が

「待って」

 私はそれを引き留める。

 サミュエルは、身体をギクリとさせて動きを止めた。

「な……なんだ」

 そしてぎこちない動きで振り返る。

「イリアス様の事、知ってる事はなんでもいい。教えて欲しい」

 そうだよ。

 恐怖とは、未知のモノや対処の仕方が分からないモノに対して抱く感情だ。

 私がイリアスを怖いと思うのは、彼の事をほとんど何も知らないから。恐怖への対処で一番良いのは、相手を知る事。

 ま、知った上でどうしようもない時も恐怖を感じるけどね。

「そう言われても──」

 サミュエルは私から視線をそらし、あらぬ方向に視線を巡らせ躊躇ちゅうちょした。

「お願い。サミュエルは、情報収集が得意なんでしょう? なら、彼の事は私よりも知っているハズ。アティの為だから、教えて欲しい」

 そう食い下がると、少し逡巡しゅんじゅんしたサミュエルは、扉にかけた手を離す。

「そ、そこまで言われたら仕方ないな」

 少し嬉しそうに照れた笑顔をこぼして、彼は部屋の中へと戻って応接用のソファに座った。

 よし。彼の自尊心くすぐり作戦、大・成・功。


「で、何から教えて欲しいんだ?」

 サミュエルの、そんなちょっと横柄な態度もここでは我慢だ。

 まずは、欲しい情報を彼から引き出さなければならない。

「まずは、イリアス様の身の回りの事を」

 私も、彼の対面のソファに座った。


 そして、得意げに語る彼の言葉に、じっと耳を傾けた。


 ***


 将来のヤンデレ・イリアス少年は偏愛主義で、一つの事を愛すると、それを邪魔するものを全て排除する傾向が強いらしい。


 家庭教師サミュエルの話だと、イリアス自身の教育係は何人もクビになったりしているし、彼がエリックの世話役になってから、エリックの教育係も次々に辞めたりしているとの事。

 ──あの少年の差し金か。でも証拠がないところが、末恐ろしいな……


 そういえば。

 乙女ゲームをやっている時、エリックの攻略ルートをやると、コイツイリアスが出しゃばってくるのがウザかったなぁ。

 恐らく、乙女ゲームの主人公に偏愛対象を移す前は、エリックがその対象だったんだろう。確か、エリック攻略の場合はイリアスと悪役令嬢・アティの妨害工作が面倒くさか──


 あれ?

 そうだよね?

 エリック攻略の時は、乙女ゲームの主人公が、偏愛野郎イリアスの攻撃対象だった。


 じゃあ、偏愛野郎イリアス攻略時は?


 エリックは、薄っぺらだけど正義感が強く、他人のモノに手を出すタイプじゃない。

 だから、イリアス攻略ルートになると彼はいさぎよく身を引く。

 だとしたら……偏愛野郎イリアスの攻撃対象は──


 アティだ。

 悪役令嬢・アティ。


 悪役令嬢・アティは、乙女ゲームの主人公の立場をうらやんで逆恨みし、色々な嫌がらせをする。

 それに気づいた偏愛野郎イリアスは──


 思い出した。

 アティ、殺されるんだ。


 思い出した瞬間、背筋に衝撃のような寒気が突き抜けた。

 これだ。恐怖の理由。

 アティを殺す可能性があるヤツ、それがイリアス。

 そうだ。

 しかも、アティを恐怖のドン底に突き落としてから殺す為に、先にカラマンリス侯爵とその妻──つまり、私を殺すんだ。


 うわあ、マジやべぇヤツじゃん。

 どうすればそんなサイコに育つんだよ。


 でも、でもだよ。

 今は違う。その可能性は低い。

 だって、アティは悪役令嬢にならないもん。私がそんな事させないもん。

 だから、いずれ現れる乙女ゲームの主人公の邪魔もしない。

 だから大丈夫なはず──


 待てよ?


 今は、まだ、乙女ゲームの主人公はいない。

 つまり、偏愛野郎イリアスの偏愛対象は──エリックだ。


 それってつまり!!!


「サミュエル……」

 私はある恐ろしい可能性に気づいて声を上げる。

「なんだ?」

 気づいた家庭教師サミュエルがこちらをチラリと見た。

「アティを狙ってるのは、この屋敷の人間じゃない……セルギオスと名乗った男でもない……アティをあの時狙ったのは……

 イリアスだ」


 そうだ。

 今の偏愛野郎イリアスの偏愛対象はエリックだ。

 そして、アティはその婚約者になろうとしていた。

 つまり、偏愛野郎イリアスにとっては、エリックを彼から奪う可能性があるアティが、排除の対象になったんだ。


 だからアンドレウ邸で、アティを狙ってランタンを落とした。

 死ねば儲けもの。生きていても火傷で外に出れないような姿になったかもしれない。

 もとの乙女ゲームではアティは死なずに済み、また火傷も外からは見えない背中で済んだ。それによりイリアスの思惑とは異なり、婚約が盤石となってしまった。

 乙女ゲームでは、その流れに家庭教師サミュエル子守頭マギーが便乗した結果だったんだ。


 そして。

 私が今日感じた恐怖。

 あれは。


 最近エリックが執心する私に対して向けられた──殺気。


「何言ってるんだ、イリアス様はまだ子供だぞ?」

 家庭教師サミュエルは、呆れた顔をして首を横に振った。

 しかし速攻で私はその言葉を否定する。

「子供だから何? 子供にも欲求はある。強いこだわり、偏執さも持ってる。倫理観が浅い分逆に危険。それに、十一歳にもなれば充分何でもできるよ。ランタンを落とすなんてワケもない」

 それこそ、ナイフ一本持っていれば大人だって殺せる。知識と手に入れる手段さえあれば、毒だって使える。

 むしろ、その無垢で無邪気そうな外見をフル活用する事だってできる。『自分が子供だから大人が油断する』と自覚さえしていれば。


 普通の子供だって、教えなければ物も壊すし虫も殺す。場合によっては小動物だって平気で殺せるようになる。それはあくまで倫理観だ。後から身に着ける事。

 可哀そうだからと嫌がる人がいるが、私だって食べる為に鹿や兎を平気で仕留めて解体できる。


「じゃあ、仮にアティ様を狙ったのがイリアス様だとして。なら屋敷に近づけなければいいじゃないか」

 サミュエルはヤレヤレといった具合で肩を一度いからせてから落とした。

 確かに、彼の言う通りだ。

 でも。

「可能性が、まだ残ってる……まだ正式に婚約が結ばれたワケじゃない……」

 そう。

 この間のはあくまでも顔合わせだ。婚約をするにあたっての内定が出たに過ぎない。

 本当の婚約はこれから。この世界での婚約は口約束ではない。ちゃんと書面が作られる。

 その書面には、当事者二人の拇印ぼいんが押される。


「まさか、本婚約の時に?」

 私と同じ事に思い至ったサミュエルが、ソファから背中を浮かせた。

 私は彼の目を真っすぐに見てゆっくりと頷いた。


 本契約の時、アティはまたアンドレウ邸に行く事になる。

 彼が普段活動している場所だ。庭のようなもの。そこで、事を起こさないとは思えない。


「本婚約のタイミングは知ってる?」

 私はアティの婚約について詳細を知らされていない。

「アティ様の四歳の誕生日だ」

 サミュエルは、そう言うと胸ポケットから小さなメモ帳を出して中を確認する。

「……再来週」

 再来週。思ったより近い。


 ……あ! アティの誕生日忘れてた! 盛大にお祝いしようと思ってたのに!! ここの生活になってからあんまり日数を気にしなくなったから──って、違う。今はそれどころじゃない。


「アティを守る為に色々考えておかないと」

 私は頭の中で、アティを危険に晒さない方法を模索しはじめた。

 しかし、そんな思考をサミュエルが中断させる。

「ちょっと待て。あくまでイリアス様がどうっていうのは仮の話だ」

 そうか? 私は確定だと思うけど。

「セルギオスとかいう正体不明の男の事を忘れてないか?」

 あ、忘れてた。

 だって私だから。

「どうしてあの男は、アティ様が狙われていた事を知ってたんだ。しかも、その場に現れた。おかしすぎないか?」

 ごもっとも。おかしいよね。分かる。確かに。

 でも──

「……彼は、違うよ。彼はアティの敵じゃない」

 敵であるハズがない。私はアティの敵になんかになりえない。

 アティが襲われる事を知っていたのは、この世界をゲームとして事前にやっていたから。

 ……なんて言えるはずもないけれど。


「……なんで言い切れるんだ。お前、ヤツを知ってるのか」

 サミュエルが、ソファから立ち上がった。

 疑ってる。私を。

「お前もしかして、今のイリアス様の事をでっちあげて視線を逸らさせて……」

「違うったら」

 私も立ち上がったら、サミュエルは私からサッと距離を取った。

 彼の鋭い視線が私に突き刺さる。


 ここでサミュエルの協力がとりつけられないのは痛い。

 なんとか信頼してもらわなければ。

「彼は……セルギオスは……」


 私は、意を決して口を開いた。

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